私が幼少の頃、マンションの向かいに住んでいたご夫婦が埼玉の演奏会に来てくださいました。
32分の長いシューベルトのソナタ(19番)を聞きながら、
私が3歳くらいのとき、よくべそをかいていたことを思い出していたそうです。
私は本当に小さい頃は良く泣く子で、注射が怖くては病院中を泣き叫びながら逃げ回ったり、
母に叱られては、地団駄を踏む代わりにぴょんぴょん両足で飛びながら泣きわめいたり、
激しく泣いた記憶は沢山あるのですが、いわゆる「べそをかいた」記憶は自分にはあまりありません。
でも、そのMさんによると、私はある日遊びに行った帰りに「ママのために」と白い花を摘んできて、
Mさんと母が談笑中に、母にプレゼントしたそうです。
ところが談笑が終了した頃には花はくたくたにしぼんでしまい、
「捨てても良い?」と母が私に許しを求めたところ
「折角ママのために摘んできたのに」と3歳の私はべそをかき始めたそうです。
そんな思い出にMさんが浸っておられるとは全く知らずに、
私は髪振り乱し、息も荒くシューベルトを弾いていたわけですが、
演奏後、その話を聞いて、本当にしんみりと嬉しくなってしまいました。
人間はどんな道を選択し歩いて行っても、一人では生きていけない、と言うのは皆共通だと思います。
私も、上のMさんを始め、多くの方に見守られ、助けられ、ここまで来れたのだと思います。
私は実は2回、かなり大きな病気をしています。
その時も、親子ともども色々な方に支えられて、乗り切りました。
特に二十歳の時は、(もう駄目かもしれない)と腹をくくった位の大病で、
でもその時の主治医の方が、奥様の分娩の時にも病院に詰めてケアしてくださり、治りました。
その人には、医者としてそこまでしてくださる職業上の義務はなかったと思います。
その人はどう言うお気持ちでそこまでしてくださったのか、
私はどう言う縁で、そこまでしていただく好運に恵まれたのか、
そのことを考えると、ときどき泣きたくなります。
今まで作った4枚のCDを送って、
あの時のお陰で今こんなに元気に自分の道を自分なりに進んでいることをお知らせしたいのですが、
病院をその後移ってしまわれていて、宛先を調べるつてがなくなってしまいました。
とても、感謝しています。
明日は千葉県、稲毛のジャズ喫茶「キャンディー」での演奏会です。
音楽を通じて、少しずつ少しずつ、お陰さまでここまで来られたお返しが出来たら、と思います。
真希ちゃん
演目に音の響きに妄想・・・
はらはら どきどき
ワクワクしています!
病気のお話、乗り越えて素晴らしい今!
お花のお話、自分にあわせてジーン・・
では明日(今日)!
そうですね、たしかにひとりでは
生きてゆけませんね。
>jazz spot candyさん
わ~い! 私もとっても楽しみです。今日も、よろしくお願いします。
>abbrosさん
特に創作活動は色々周りの影響を受けますよね。人に優しくしてもらった日は自分の音にゆったりとした余裕が出るのが、分かります。
思い出に浸ってないでしっかりピアノ聞いてよ、って感じだね。でもどんなに素敵に、立派になっても、私には泣き虫のちっちゃな真希ちゃん。そしてお母さんはまじめで、頑張り屋で、いつも一生懸命。あの頃と少しも変わらない。
ほんわかと胸の奥が暖かくなるような幸せなひとときをありがとう。
>三町治子さん
コメント、母と綾に大声で今、読んで聞かせました。三町さんとこの間お話してから、香港での子供時代のことが次から次へと思いだされます。妹は3歳で香港を発ちましたので、その頃をほとんど覚えておらず、話して聞かせて、二人で大笑いしています。香子ちゃん,建くん、智子ちゃんにもよろしく。
マキコ