私の教えている「非音楽学生のための音楽理論」は今、ジョーセフ・フークスと言う人が「Graddus ad Parnassum」と言う教則本にまとめた「Speceis Counterpoint」と言う主にパレストリーナなどの書いた16世紀の音楽に基づいた対位法を教えています。この方法はとてもルールがはっきりしていて、教則のメソッドとしては教えやすいのですが、実際の音楽への応用を疑問視する人も多く、今ではあまり教えられていません。私も学校で正規に勉強したことは無く、でもルールが細かく、選択肢が狭く、ほとんどゲーム感覚で次の音が決まっていくので、音楽学生じゃない学生に教えるのには手ごろ、と言うことでがんばって教えています。が、授業の前にこの細かいルールのリストを頭に叩き込むこと約2時間、そしてそれでも、授業中のデモンストレーションで皆でそれぞれの音を協議して書き進めていく時「先生、それはこれこれのルールを犯しているよ~」と生徒に指摘されて、「おお、確かにそうだ!良く覚えていたね~」と赤面ものです。
そしてルネッサンスの授業は天正遣欧少年使節の資料が面白くてたまりません。久しぶりに意欲的に読書をしている感じ。私は子供の頃は本の虫で、トイレでも練習中でも就寝時間でも登校中でも、授業中ですら、大人の目を盗んで(読みすぎて、他に何もしないのでいつも怒られていた)本にかじりついている子供でしたが、今その感覚がちょっと戻っている感じ。
それに比べて、音楽分析の70ページの読み物は斜め読みです。今読んでいるのは、ソナタ形式と言うのがいかに18世紀の貴族文化にマッチしていたか、しかしこれがロマン派に移行するにつれ、いかに作曲家の意図にそぐわなくなってきたか、そして作曲家がソナタ形式をいかに歪曲、課題解釈していったか、その中でも「保守的」とされたブラームスが、「クラッシク時代」から「ロマン派時代」の架け橋となったとされるシューベルトのソナタ形式書法(そしてその型破りさ)からいかに多くを学び、自分のソナタにそのまま応用しているか、と言う概要の長い、なが~い学術分。概要を書き出すと結構興味深いのですが、実際はえんえんと「このソナタのこの部分とこのソナタのこの部分を比べると、この調性があの調性に移行する前の準備が10小節にわたってこのように進められる方法において酷似している」とか、楽譜を引き合いに出さずにただ曲名だけれ例がバンバン出されて、そりゃあ、この宿題に一ヶ月書けるつもりならちゃんと楽譜を引っ張り出してきて(フムフム)と調べますけど、そんな3日でそんな時間はありません!全部読み飛ばして、要点だけとりあえずつまみ食いです。
そしてアパートは今、ルームメート探しで大変!メール、電話、そして実際部屋を見てもらってお互いのインタビュー。中々楽しく興味深い作業ですが、時間がかかります。
そんな中、昨日はこの大統領選初の討論を見ました。オバマとロムニ―、一時間半にわたる討論です。二人ともノートも見ずにお互いの方針について、統計や過去の業績や、事実をバンバン出してきます。
凄いなあ、同じ人間とは思えないよ、と思いつつ、しかし二人の言うことにあまりに食い違いがあるので、どこかで誰かが間違えているか、うそをついているな、と思ったら今朝の新聞で、ちゃんと二人の犯した事実引き合いの間違えのリストが発表されていました。よかった~、皆間違えるんだ!
最近わたしも読書に目覚めています、古いレイモンド・チャンドラーの短編集をちらっと齧ったら楽しくて、小説の面白さを再認識。
>kawashimaさん
読書の秋ですもんね。ヒューストンは昨日、急に気温が10度以上落ちて、秋めきました。びっくりです。
読書をしていると、全く別世界に移行できますよね。
マキコ