美笑日記9.12:23年後の9/11に演奏会

2001年9月11日。当時NY在住だった私は一時帰国中でした。

2001年の夏「海外で活躍する若手演奏家を応援する会」(別名サウンドウェーブ)の皆さんにご支援いただいて日本での正式デビュー独奏会をしました。8月26日に横須賀にあるカスヤの森現代美術館、そして9月6日に江戸川区総合文化センターの小ホールで演奏を終えた私は、9月の13日くらいにNYに帰る予定だったのです。

(写真は当時のサウンドウェーブの方々とカスヤの森の若江さんと一緒に撮らせて頂きました。2020年のパンデミックまで日本での演奏会の度にお世話になりました。)

世界貿易センターに飛行機が突っ込んだことは、ニュースでリアルタイムで知りました。映画かと思いました。

一般人の飛行が許されて数日後にNYに戻りました。飛行機から降りたら、空気がにおいました。煙だけではない、特徴的な臭気でした。到着した日かその翌日に吐いたのを覚えています。臭気のせいか、疲労のせいか、心痛のせいか、自分でもわかりませんでした。日記や予定表など豆に書き留める習慣がある私(そしてそれらを全て後生大事に段ボール箱に今でも持っている私)ですが、9月の二週目からは空白ばかりです。9月18日に当時の生徒さんの名前が書き込んであり、その翌日からちらほらと予定の様な覚書のようなものがあるので、18日にはNYに戻っていたのだと思います。

10月18日付で、サウンドウェーブの皆さん宛てに書いた手紙が、私が見つけられる初めての文章らしき文章です。(FAXで送ったので私の手元に残っているのです)

【前略】…NYは帰ってきてみたら都市全体がうつ状態という感じでびっくりして私はしばらくあてられてしまいました。帰った次の日夜の8時半ごろリンカーンセンターのあたりを歩いていたら人も車も灯りも少なくて、まるで夜中の2時みたいな感じでした。今でも風向きによってはにおい(世界貿易センターの)がして、みんな何となく思い出します。でも、だいぶん平常に戻りつつあります。戻りつつあるというよりは、みんな戻そうと意気込んでいるようです。生きていて、どうしようもならないことは山ほどあるけれど、どうしようもならない事に打ちのめされるよりは出来ることを出来るだけ一所懸命やっていこうと思います。

昨日、シーズン初のコンサートを弾きました。一音一音贈り物を送り出す気持ちで弾いていきます。

11月20日に世界貿易センターの発掘作業に当たる方々のための休憩所でピアノを弾きました。その時のこともサウンドウェーブ宛ての手紙にあります。

地下鉄の駅を出たら目の前に真っ黒に焦げた廃墟があって、思わず息を呑んだら空気が臭かった。その臭さは、日本から帰って来た時は私の家の近所でも漂っていた臭さで、ここ一か月嗅いでいなかった匂いだけど、改めて(ああ、まだ燃えているんだな)と思って気持ちがどんよりしました。忘れてホッとしていた現実が目の前に突き付けられた感じでした。休憩所ではガスマスクを首にぶら下げた消防士や、消防士のジャケットを羽織った牧師さんや、軍人さんやボランティアの人が、みんなバラバラに一人ずつ座ってサンドウィッチを食べたり、寝たり、ボーっとしたりしていました。私の前にピアノを弾いていた人はショパンのワルツやノクターンや何だか景気の悪い曲ばかり弾いていたので、私は絶対に短調の曲を弾くのは止めて、静かでも明るい曲を弾こうと決めて、きれいに楽しく弾くように努めました。そしたら気のせいか、それまでみんなバラバラに座っていたのが小さなグループになって喋り始めて、沢山の人がピアノのところに来て私の肩を「ポンポン」と叩いてくれたり、「Thank you」と言ってお辞儀をしたり、曲の合間に色々話しかけたりしてくれたので、私も嬉しかったです。でも一時間弾いただけで随分くたびれた気がしました。私も面識のあった富士銀行の方のご遺体が一昨昨日確認されたと伺っていたのでそれもあったのかもしれないけれど、自分でもどうしてか分からないほど悲しい気持ちがしました。

昨日は、9/11の23周年記念日でした。「人間の底力は本当にすごい。その時はどうやって乗り越えられるか分からないように思える大惨事も、気が付けば時間が経ち、一人ひとりの成長を経て、過去の歴史になっている。」そうお話して、ポーランド独立のための学生運動に携わったショパン、ユダヤ人迫害を逃れてアメリカに渡った両親の基につましい幼少時代を過ごしたガーシュウィン、そして黒人霊歌を基にクラシックの作曲を続けた20世紀の知らざれる巨匠マーガレットボンヅなどを紹介しながら、それぞれの曲を演奏しました。特にお聞きいただきたいのはマーガレットボンヅの曲です。20分37秒から最後までです。

このヴィデオのアングルでは寂しい客入りに見えますが、沢山の方が立ち上がって拍手をして下さり、演奏後には沢山の人に握手を求められ、感謝を表明していただきました。CDが6枚も売れたんです!最近はCD再生機を持つ人が少なくなり、あんまり売れないのですが。

父の赴任先は世界貿易センターでした。これは家族で渡米してから数年後の写真です。

Leave a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *