これもセクハラ!?-私がちょっと悲しいわけ。

半年で3回、生涯学習の音楽のクラスに呼んでいただいた。

医療・法律・教育・研究…専門は様々だが男女問わずみんな引退後でも向上心に満ち溢れ、質問もコメントも活発に出る。参加者の一人は92歳だと教えてくださった。御年を伺ってびっくりー若々しいと言うのもそうなのだが、何しろおしゃれなのだ。皆さん素敵で、イキイキとしていらっしゃる。

私は演奏でのデモンストレーションを交えながら脳神経科学で明らかになってきている音楽の効用について、3回続けて講義をした。そのために文献を読み、自分なりに勉強をし、胸を張って1時間話しをして、多くの方に喜んでいただけた。CDも沢山売れたし、「あなたの音楽活動を応援しています」と沢山の人に言ってもらえたし、立って拍手もしてくださった。3回目のレクチャーの後、一人の男性に大きな封筒を渡された。「家で、一人で、開けてください」と封筒に指示してあった。私はレクチャーの中で、自分が音楽の効用を演奏会に行きづらい人たちに届ける音楽宅配サービスをしたい、そのために沢山の人の協力と支援が必要だ、と訴えてきたのでビジネスの助言か、あるいは支援金か、とちょっと気になりながら急いで帰途した。お腹が空いていたけれど、「家で一人で」と指示してあるので、とりあえず食事は後回しにして、急いだ。最近の物騒な郵便物騒動も脳裏をよぎった。何しろ名前も知らない人から受け取った小包だし。でもまあ、そんなことする動機も思いつかないし、とりあえず楽しみに家に帰った。封筒の感触からハードカヴァーの本だと言うことは明らかだったけど、本に小切手が挟んであるのかも…あるいはビジネス関係の本なのかも…!

家に帰って小包を開けたら、中からハイフィッツの伝記が出てきた。「この本を見て、あなたの事を想いました。ハイフィッツはヴァイオリニストで、あなたはピアニストですが…ちなみに私はバスクラリネット奏者です。テニスもやります。If you want to trade men, call me.」最後の文章が良く分からなかった。直訳すると「男の人たちを交換(あるいは取引、又は輸出輸入)したければ、電話をしてください。」誤字か何かかと思った。小切手もビジネスアドヴァイスも無かった。

ちょっとがっかりもしたけれど、とりあえず本の御礼をと思い、数日後電話した。そしたら「If you want to trade men…」と言うのは「野の君を自分と交換したければ…」だったのだ。2回目の会にはたまたま休日だった野の君がボランティアカメラマンで登場していた。

男性はまず自分の昔の彼女と、自分の音楽歴の話しを長々とした。その時はまだ「If you want to trade men」には全く想いを馳せずにできるだけ丁寧に聞いていた。そしたらいきなり口説き始めたのだ!電話越しに。

私はこの男性の名前も知らなかったし(カードに書いてあったので初めて知った)今だに顔も背格好も思い出せないし、第一70代か80代かはたまた90代か全く知らないが、そういう対象として考えると言うことに想像さえ及ばない。70代・80代の男性に口説かれることは残念ながら初めてではないが、少なくとも過去のケースはもう少し顔見知りだった。

渾身込めてやった講義の全てが無駄だった訳ではないのは、理解できる。会場の他の人たちは素直に感動して講義が終わった後もいつまでも群がって質問や感想を述べ、感動を分かち合おうとしてくれた。でもこういう男性の邪心は、私や、私の様な女性を、一挙に萎えさせる。

(私がどんなに頑張っても真面目に受け取ってもらえないのか?)(私が童顔だから?)(やはり従順で幼稚な「東洋人女性」のステレオタイプを払拭することは無理?)(私の挙動に媚びたところが少しでもあった?)

特に今回の様なケースでは相手を全く知らないので、結局自分に原因を求めてしまう。

私はもう40代である。しかも自分を女性とあまり思っていない。私は着飾ることも、女性らしくあることも、あまり好きではない。それなのにどういう因果で今だこういう目に合うのだ?

最近、結構こう言うことが立て続けにあって、敢えて書きました。「美人」と言われて(ちなみに私は自分の事を美人と思ったことは一度もないし、美人になりたいと思ったこともない)、それだけで済まされて、話しもろくに聞いてもらえないで、見た目だけでまるですべてを見透かしているかの様に上から目線で話しをして…

後日談:このブログは一年以上前に書きました。色々な理由から発表するのをためらっていましたが、今日読み返してやはり公表しようと思いました。いかに日常的に、しかもこういう「無害」と言われてしまってもおかしくないハプニングの積み重ねが、私たち女性の勇気ややる気をいかにくじいているか、と言うことも大事だと思ったからです。

もう一つ、理由があります。こういう問題は単純ではない、と言うことをこのブログの後日談で考えさせられたからです。この電話の数日後、この男性は赤いシャツを着て私の演奏会に登場!壇上の私に目線をビシビシ送りながらちょっと客席から手を振ったりもして、真ん前の席のど真ん中に座り、ニコニコしていました。「If you want to trade men, call me.」で私が電話をして来たので、電話で私の口調が変わったのも気づかず、彼は誤解をしてしまったのです。私は演奏中もずっと怒り心頭で、演奏が終わってアプローチして来た彼に「あなたの言動は非常に不適切(inappropriate)で、私の夫や私たちの結婚に対して大変失礼だったと思います。」と言った。そしたら彼は急に空気が抜けた風船の様になってすごすごと寂しそうに帰ってしまった。私も非常に後味が悪かった。#MeTooのブログを書いた後だったし、私はこういう風に相手方の男性に面と向かってぴしゃりと言ったのは初めての経験だった。でも考えてみたら、彼は私にアプローチして来た人達の中では一番弱い立場にあった人だ。今までアプローチして来た人達はお金や、演奏会や、立身法や、音楽の秘伝(笑)や、そう言うものをちらつかせながら来た。中には「言うことを聞かないと君のキャリアに傷がつくぞ」と程度の差はあれ、暗示したり実際に脅迫して来た男性もいる。なんにせよ社会的に地位がある事を誇示しながら「俺様に目をかけてもらってラッキーだと思え」と言う感じで上から目線で来る人が多かった。一方この男性はもうかなりのご高齢で、しかも一聴衆。私に危害が加えられる立場にはない。そして脳神経科学によると、恋愛感情と言うのは脳の活性化にとても効果的なのである。

こういう人達を軽くあしらう話術や態度を身に着けることも、私の様な職業の一部なのか?それとも、#MeTooのご時世で私は女性として、やはりきちんと一線を引く厳しい気負いを常に前押しするべきなのか?性格的には私は後者なのだが…でも前者がうまく演じられる器があったら、私はもっと演奏の機会を頂けているのだろうか…?いやだ!こういう悩みも本当に時間とエネルギーの無駄だ!これだって十分セクハラの弊害だ。結局...結局こういうことが起こらなければ、こう言うことを全く考えずに済むのだ!やる方が悪い!!

2 thoughts on “これもセクハラ!?-私がちょっと悲しいわけ。”

  1. お疲れ様です。

    どこにもいますねこの輩。
    かくいう自分もそうかも知れません。
    男と言うよりオスの本能なのでしょう。

    衰えゆく脳細胞の中で美人を射止めたいと言う混濁の所以です。
    オスにはメスのことなど忖度する余裕などありません。
    生殖本能一直線です。

    欲しいものは駄々をこねて親の気を曳き目的を達成しようとする子供の魂胆です。
    岩手県の俗諺に「二度童子」(にどわらし)があります。
    老人は赤子と同様に手がかかるという意味です。
    人は襁褓で生まれて襁褓で死ぬ宿命です。

    頓珍漢な人は往々にして現れます。
    美人の評価はケインズが述べています。
    誰の論評かわかりませんが引用します。
    『ケインズは「自分が美人だと思う女性」を選ぶのではなく、「より多くの人が美人だと思う女性」を選ぶべきだ
    と主張した。その女性が美しいかという客観的な判断は不要で、周囲の動向を見て決めればよい。』
    美人コンテストでは、本人が美人を否定しても他人が勝手に美人にしてしまいます。

    今回も凄まじい内容ですが、いつも真っ直ぐな吐露には驚かされます。
    とても参考になりました。
    有難うございました。

    小川 久男

    1. 人間性と言うのは、本能を超越した理性と理想を持ったものだと思います。
      「どこにでもいる」「オスの本能」と許容して来た文化が今まで女性の進出を妨げてきた一因ではありませんか?
      本能を言い訳にするのなら、人間は動物と同等ではないでしょうか。
      生殖本能が人生の原動力ならば、生殖機能が衰えた段階で寿命が尽きるべきではありませんか。
      生殖機能が衰えても何十年も生き続ける人間の使命は何だと思われますか?

      人口の半分を「性的対象」「家事労働」「美人・不美人」の域に押し込めて本領の発揮を難しくすることで、
      結局社会全体が生産性に於いても倫理性に於いても損失を被っています。
      根強い歴史的背景と文化的傾向を見直し改めるためには、
      社会が一丸となって女性も男性ももっと深い考察と反省をするべきだと思います。

      「8K」サロンでの私の演奏を聴いてくださって、
      私の活動をブログへのコメントを通じての応援と言う形で関心を持ってくださっている小川さんにはとても感謝しています。
      私は小川さんの事は全くこの赤シャツ男性と同じだとは思っては居りません。
      でも、そういう風にわざわざ言わなくてはいけない事自体、そして小川さんご自身「自分もそうなのか?」と自問してしまうこと自体、
      悲しいとは思いませんか?
      私たちは、男性・女性である前に、それぞれが意思と理想を持って生きる一個人だと思います。
      そしてお互いを人種や性別や宗教や出身国などを超越した一個人として向き合うことが「尊重」と言うことなのだ、と私は思っています。

      更に言わせて頂ければ「オスにはメスのことなど忖度する余裕などありません。生殖本能一直線です。」と言い切れるぐらい、小川さんは男性代表なのでしょうか?
      これは文化的に私たちが信じ込まされているドグマでは無いでしょうか? 
      「男らしさ=性欲」「浮気は男の甲斐性」と言うのは歴史的・文化的な迷信だと私は思っています。
      世界的に言えば人口増加が大問題である現在、人間の生殖機能・本能に対する何世紀も前の迷信を続けることは論理的に正当化し得ないと思います。
      更に、日本を始めとする先進国の少子化・高齢化問題が、こういう社会的な性差別や人口増加に対する女性のボイコット、あるいは社会全体の自殺行為と考えたら、
      生殖本能を前押しするのは、本当に時代遅れだとは思いませんか?

      長々と書かせて頂きました。私の正直な意見です。
      お読み頂いて、受け止めて頂いて、心からお礼を申し上げます。
      「とても参考になりました。」と言う文章に勇気を得て、敢えて意見を述べさせていただきました。
      平田真希子

Leave a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *