- アメリカ医療専門家:外出禁止令解除には検査が必要ー今はその検査キットが十分に出回っていない
- テキサス州、ミシガン州、アイダホ州、ウィスコンシン州の各州知事が来週から外出禁止令を徐々に解除し始める見解を発表
- ドイツの感染率が減少し始める。
- 中国の経済が40年間初めての7%縮小
私は大抵、健康優良児である。
ストーカー騒動の時は「そんなに笑ってると、色々サポートしてくださっている皆さんが真希子は真剣に取り組んでいないって不審に思うんじゃない?」と友人に忠告されるほど、何事にも敢えて大笑いしていた。それをしてのける気力も大抵あった。(もちろん時々は大笑いする気力がないときもあった。ストーカー退治は大変だった…)
3.11の時も「それ!」と兎に角大特急でチャリティーコンサートを開催して、できるだけ沢山復興支援金を集めるために奔走した。泣くとか、日本の大惨事に感情的なダメージを受けるという選択肢は全くなかった。
私は3枚目キャラ。大抵の事は笑い飛ばして見せるし、そういう自分が好きだ。
そんな私だけれど、時々今朝のようになる。
…起き上がる理由が見いだせない。
こういう時こそルーティーンに従って体を動かした方が良いと頭では分かっている。—物は見かた、考えよう。理屈は分かっているのだが、でも暗い方向にしか考えがいかない。私が何を発信しようが世界の現状は変わらない。演奏会はこの先数か月か、もしかしたら数年単位で、無い。私のプロ生命がそれを持ちこたえられるという保証もない。私は今まで何のために頑張って来たんだ。私の存在意義ってなんだ?
野の君が心配して見に来る。野の君のためだけにでも、起きよう。運動着に着替えるが、主観的にはそれだけで息も絶え絶え。走らなくても歩くだけでも良いから…と運動靴を履いて外に出るが、庭から出ずに家に戻ってくる。
「あれ、忘れ物?」野の君はやっぱり心配している。
「ううん、後で行く。」 …どうしても気が乗らない。
私の4半世紀の心の友で、NYでピアノ調律師をしている家族のようなリックにSOSのテキストを打つ。リックは私のこの状態を知っている。胸の内をぶちまける。来週の木曜日に予定されている初めてのライブ配信演奏の事も。「ライブ配信の意義ってなに?デジタル音のくせにリアルタイムの意義ってどこにあるの?YouTubeのヴィデオを観ているのとどこが違うの?録画されたヴィデオは少なくとも編集してきれいにしてあるだけ、ましじゃない!?」
どんなに心を込めて音色を作っても、その音を拾うマイク、そしてケーブルやインターネットの接続や、受信側のスピーカーで私が発信した音とは違うものになる。それに私がずっと謳ってきた「時空を共にした音楽共体験」とは全く違って、ライブ配信を聴いてくださる高齢者施設の方々はそれぞれの部屋で、コンピュータースクリーンやテレビの画面で私を眺めることになる。彼らの反応は私には見えない・聞こえない・感じられない。
「でも…」リックはいつも、私が自分では思いつかない事を言ってくれる。
「今高齢者施設に入っている方々はラジオで育った世代でしょ?例えば戦争中、ラジオを聴きながら『近所の皆が今この同じ番組を聴いているんだ』って思っただけでどれだけ安心したと思う?そういう思い出が蘇って来るんじゃないかな?ライブ配信の意義ってなくはないと思うよ」
すーっと頭が冷えていくのが自分で感じられる。胸の内が収まっていく。
私が広めたいのは癒しだ。音楽は媒体に過ぎない。生音じゃなきゃ意義がないとか、デジタル音がどうのとか、そういうのは私のエゴなのかもしれない。
野の君が買い物に誘ってくれる。スーパーは店内人数の制限をしていて30分近く待つ。入ったら手に消毒液をスプレーされる。でも、その後はいつもと同じトレジョだ。品物も豊富にある。2週間ぶりの買い出し。そして次にいつ来れるか分からない。ニュースでは食産業や運送会社に感染が広まり、供給が需要に追い付かなくなる恐れがある、といっている。…そして私は今すごく、すご~く悲しいんだ!普段は自分たちに許さないお菓子もかごに放り込む。そして冷凍肉とか、冷凍食品もこの際買ってしまう。ついでにアイスも2種類。コーヒーもちょっと贅沢な奴。カートは満載。でもなんだかちょっとホクホク。
帰って来て、「シナモン・クロワッサン・ローフ」というずっと前から食べてみたかった、健康には悪そうだけれど、心にはすごく良さそうな甘いパンをトーストして、バターをたっぷり塗って食べる。あまりの美味しさに一瞬全てを忘れてしまう。外はサクサクで香ばしく、中はモチモチでシナモンの香りが甘い。ああああ~~~幸せ~~~~。
そう言えば私は食いしん坊でもありました。
真希子さん、またまた元気になりました。
自分の考えや思っていることって、やっぱりエゴなんですね。
毎日の「退屈さ」と「当たり前」に感謝です。
ありがとうございます。
本当に日常の慣れ親しんだ一つ一つを味わって愛でるということを続けるのが肝心ですね。
私こそ、こうしてご縁あって飯田さんともつながれていることも、感謝です。
コメントありがとうございます。
平田真希子
お疲れ様です。
人間、やめますか。
いつでもやめることができるのが、人間の特権です。
これは、簡単なことです。
でも、生きていればこの先のことが確認できます。
まして、この先の人生設計を潜在意識がしていたらどうでしょう。
人はやがては、人間と言う被り物をこの世に残して生まれ故郷の宇宙へ旅立ちます。
被り物の寿命が100年なのか50年なのかは、潜在意識が知るのみです。
と、私は自分に言い聞かせています。
が、今生きていることだけは確かです。
小川久男
小川さん
激励ありがとうございます。
でも大丈夫!私は自殺思考にまでは全く至っていません。
私は友人の自殺未遂などの経験も踏まえ、自殺という行為の周りへの破壊力は理解しているつもりです。
困難に苦しむ自分も客観的に観察して面白がる...そういう視点をカッコイイと思って、一緒に前進しましょう。
食べ物がおいしい内はまだ全然大丈夫です!
真希子
Pingback: コロナ日記㊲:平田真希子演奏ライブ配信のお知らせ – ピアノの道
Pingback: コロナ日記110:明鏡止水 - "Dr. Pianist" 平田真希子 DMA