ほっこりする話し

ライス大学は大きな大学である。
キャンパスには色々なビジネスが在る。
スチューデント・センターと言う、飲食店や本屋や、バーやコーヒー店が入っている、
生徒がくつろいだり、たむろしたり、勉強したりするビルがあって
その中にコピー・印刷専門店がある。
そこのおじさんはひょうひょうとした、人当たりの良い、だれにでも挨拶をする気さくな人だ。
ライス大学の一年目に、指揮をするためにどうしても必要な総譜のコピーを頼んだら、
それがきっかけで覚えてくれていて、
どこですれ違っても、かなり距離があっても、必ず挨拶をしてくれる。
忙しい時にはそれがうるさく感じられる時もある程、
どこに居ても「ヘ~イ」と声高らかに、腕を高く上げてニコニコと私の存在を確認してくれている。
私も(古き良きアメリカとはこういうことかな~)とか思いつつ、
ストレスを感じていても、半徹明けでも、挨拶されれば、挨拶を返していた。
そのおじさんがこの間、初めて私を呼び止めたのだ。
「ねえ、ちょっと」
初めてのことで、ちょっとびっくりした。
はっきり言って、仕事を依頼してからこっち、挨拶以上の会話を交わすことは無かったのだ。
「この頃また幸せになったんだね。
しばらくずっと元気がなかったでしょ。
また笑えるようになったんだね。本当に良かった。嬉しいよ。」
…物凄くびっくりして、どう応えて良いか分からなくなった。
どうして分かったんだろう…
見守っていてくれたんだ…
ありがとう、としか言いようが無いけれど、
私がどれだけ感謝しているか、ちゃんと伝わるように言えたかしら。
感動のおすそ分けをしたくて、
親しい友達数人に電話をして、このエピソードを聞いてもらった。
事情を知っている皆が、私と一緒に喜んでくれた。
ありがとう。
…その元気の無かったころ。
その中でも一番やるせなかったある日。
泣きたい気持ちで高速を運転していたら、
隣の車の運転手がなんだかしきりにこちらに手を振る。
おんぼろの車。
運転手はとても若い男性。もしかしたら10代かも。
それがナンだか横の車線で私の車の横にぴったりくっつけて、
一生懸命手を振って、顔を覗き込むのである。
(え?私のタイヤ、パンクしている?車、煙出てる?)
でも、手を振るおにいちゃんはニコニコしている。
警告でも無さそうである。
(もしかして、どっかで会った知り合い?)
私は実は良く、全く見覚えの無い人に「マキコ~」と親しげに挨拶され、
どぎまぎすることが良くあるのである。
しかし、この若い、若~いおんぼろ車のお兄ちゃんに限って言えば、
そう言う可能性も少なさそうである。
どう見ても、クラシックの音楽会に行くタイプには見えない。
(も、もしや、こ、これは…ナンパ!?しかし、高速で??)
なんだか良く分からない。
どうやって応対して良いかも分からない。
取りあえず、手を振り替えして見た。
向こうは満面の笑み。
ナンだか手話のようなことをしている。
(わからないよ~、道路に集中しておくれ~)
と、一生懸命テを振っていたが、
しかし何分かそうやって交信を試みた後、
向こうが(じゃあ、僕は次の出口で降りるね)と
合図をして、去ってしまった後は一抹の寂しさがあった。
下心があるわけ無い。
二人とも、それぞれの車を高速でびゅんびゅん飛ばしているのである。
もしかして、あのお兄ちゃんはなんらかの啓示を受けて、
あの時私が切実に必要だった温かみを、
精一杯振りまいてくれたのではないか。
人違いの可能性の方が数万倍大きいのだけれど、
でも、あの時の私は、あの出会いで随分救われたのです。
ありがとう。
ほっこりついでにもう一話。
最近教え始めた短大は、
私が今までぬくぬくと育ってきたエリート志向の学校よりもずっと多様。
人種も文化背景もそれぞれ全く違っていて、
でもそう言う世界を知らない私と、そう言う世界しか知らない彼ら。
そのギャップが却ってお互い新鮮。
私がする何でも無い音楽の話しが、物凄い驚きをもって迎えられたりする。
その中の、いかにも人種差別の対象になりそうな浅黒い肌の男子生徒の一人が
「凄いYoutubeを見つけたんだ。マキコ、絶対聞くべきだよ。
お願い、ヴィデオ、プレーしても良い?」
と先日から何度も言ってくる。
私が「え~、じゃあ、そのヴィデオ、メールで送ってよ」
と言っても、「一緒に聞いて、反応を見たい」と粘る。
今日まで伸ばし伸ばしにしていたのだが、
授業のあと、たむろす他の生徒の私への数々の質問を辛抱強く待ってやり過ごしているので、
「よし、じゃあ聞いてみよう」と言った。
(どうせ、何か私には価値の分からないポップスか何かだろう)と思っていたら、
度肝を抜かれた。
「凄い速いんだよ!なんでこんなに速く弾けるんだろう~」
と、その男子生徒が私に聞かせたのは何と、
ショパンの幻想即興曲だったのである。
「エ!?これショパンだよ!」
と言って、私が自分で弾いてみせると、またもや感動してくれる…
彼はどうやら、この曲がクラシックだ、と言うことさえ思い至らなかったらしい。
どうやってこのヴィデオにたどり着いたのか。
ただ単に(凄い!)と思って、私に聞かせてくれようとしていたのだ。
私や、私が一緒に育ったような人間、
「幻想即興曲」=ショパン作曲と言うのが常識な人間には思い至らないような感動で
彼はキッとこの曲との遭遇を私と分かち合おうとしたのだろう。
私は偏見に満ち溢れていました。
ごめんなさい。
君たちは、まっさらで素直で、素晴らしいです。
入学が困難なエリート校に入ってくる生徒は皆
そう言う学校へ入れるように小さい時から教育してくれる余裕のある家庭に育った
特権階級の子供が多いのです。
たまたまそう言う家庭に生れ落ちなかったからと言って
君たちが感動する心、向上心、向学心を持っていないと決め付けてはいけない。
私に聞かせてくれたい、と思ったその心が痛いくらい、嬉しい。
ありがとう。
ほっこり、ほっこり。
私は幸せ者です。
ありがとう。

2 thoughts on “ほっこりする話し”

  1. >kawashimaさん
    う~ん、取りあえず、このブログもその果実と思ってください。読んでくれるAbbrosさんたちが居る限り、そして聞いてくださる聴衆が居る限り、私は将来在るかもしれない大きなキャリアよりも、一々感謝して、その時々にできる小さな果実を分かち合うことを優先したい、と思います。
    コメント、いつもありがとうございます。
    交信というのは、人間ですね。
    人と人の間に、「人間」=日本語は素晴らしい、
    マキコ

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