旅行大好き

空港のフードコートで、 スタバのアールグレーにシナモンと蜂蜜を入れて飲みながらブログ執筆中。 朝の8時の幸せ。 アレルギーが出るほど一人旅が嫌いで、 実際に飛行機内に使われている洗剤か何かで発疹して 天才的な物凄い才能にも関わらず、ソロ活動を辞めてしまった私の友達もいるけれど、 私はそう言う意味では物凄く音楽人生に向いている。 何が良いって、旅路では全てが新鮮に感じるところが一番良い。 いつも飲んでるアールグレーだけど、そしてスタバの行列は相変わらずだけど、 搭乗時間まではまだちょっとあるし、今日はシナモンと蜂蜜とちょっぴりのナツメグを 丁寧に混ぜ込んで、ミルクを投入して、 そしてゆっくりとカフェインが早朝の覚醒マジックを私の脳にかけていくのを感じながら 最近の事、子供の頃の思い出、そしてこれからの事に思いを馳せる。 人間観察も面白い。 赤ちゃん連れ、一人旅、学者タイプ、遊び人風。 先週のLA行きの飛行機では、私たちの後ろに多分飛行経験のあまり無い人が座った。 この人はちょっと機体が「ガクン!」と揺れると「Oh no, oh no…」と独り言を言い、 着陸の際には「Here we go…here we go, yes, yes, yes!!!」と大興奮をし、 タッチダウンで一人で拍手喝采をし、つられて機内で拍手が起こった。 そう言えば私たちがまだ子供の頃は着陸の度にいつも機内中みんなで拍手をしたよな~。 どんな時でもどんな事でも、感動できるって素敵。 そして、何でも新鮮に感じられ、感動してしまうから、旅って大好き。 音楽人生、万歳! 今夜はボストンで一泊します。

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練習の是非:強行軍の中休み

乾燥機が規則正しく洗濯物を回す居間の外で、雨が静かに降っている。 時々、雷が遠くで転がる。 メンデルスゾーンの二楽章を復習する合間に バニラとグレープフルーツ風味の白茶をすすりながら(ああ至福)と思う。 木曜の午後の締め切りぎりぎりまで論文のリサーチと執筆に没頭し、 翌朝、日の出前にLAに向かった。 昨日の夜中過ぎにカラカラに晴天のLAから帰って来て、 明日からマサチューセツ州の音楽祭で演奏と講師。 今日一日ヒューストンで、中休み中の実に久しぶりの練習。 「一日何時間位練習されるのですか」とよく聞かれるけれど、 今週は「一週間何時間?」だな~、と思う。 そして鍵盤の感触、楽譜を読むと言う行為、ピアノの音の新鮮さ、 メンデルスゾーンの素晴らしさに、一々感動している自分を発見する。 練習しすぎると感動が亡くなる。 19世紀の練習に対する考えは大きく真っ二つに分かれた様だ。 片方では「一日18時間!」と謳うピアニストのグループが在った。 ヴィルチュオーゾ・スーパースターのリストは、 パガニーニの超絶技巧に打ちのめされ 「3度、6度、トレモロ、オクターブ、連打などの技巧練習だけに一日4-5時間」かけ 気が狂ったように一日中練習したそうだ。 生徒にも同じようにスケールのみに3時間かけることを進めたりし、 (ただし、強弱や調性を色々変えながら) 退屈さを紛らわらせるために本を読みながら練習すると良い、と進言までしている。 ヘンゼルは聖書を読みながら一日10時間バッハを「音無し鍵盤」で練習し、 ドライセックは一日16時間の練習をこなした、とされている。 彼らが目指していたのは、意識しなくてもどんな技術でも弾きこなす手、である。 手(や技術)と意識や音楽性や個性を切り離して考える考え方には 彼らなりに当時の医学や科学で論理付けをしていたらしい。 ロバート・シューマンは、自分の手に「宣戦布告」までしている。 この「練習すればするほど良い」と言う「質より量派」の考え方は 少なくとも一部は工業革命の結果、と言えるのではないか。 「分析可能なら量産可能」と言う考え方の元、 兎に角量や数をこなす事によって究極的に質の向上まで持っていく、と言う考え方。 音楽教育では練習の補助のための機械(メトロノーム・指をつるし上げる機械、など)が 一時はプロシアの学校に配布されたり、 グループ・レッスンが行われたり、ピアノ教則本が爆発的に売れたりした。 ピアニストも量産可能なのか? 一日十時間練習するえば、誰でもヴィルチュオーゾになれるのか? …それだと、「ヴィルチュオーソ」の希少価値が失せ、 ピアニストの芸術性に関する疑問符が湧いてくる。 「質より量練習派」に相反する考え方だったのが、 「一日3時間以上の練習は無駄」派。 こちらにはショパン、 クララ・シューマンの音楽教育を全て管理したクララの父親、フレドリック・ヴィーク、 そして大人になって独立したクララ自身、等が居る。 クララの父親は「自然に帰れ」のルソーや教育論者のパスタロッツィの概念を受け 「感覚で最初に学び、その後知覚する」や「人間全体を見た音楽教育」を謳い、 クララが幼少の頃から3時間の練習のほか、3時間の散歩(早歩き)を義務付け、 もう少し成長してからは、その他に芸術鑑賞や作曲の教育など、を実行した。 (その代り、学校は「時間の無駄」とされ、クララはほとんど通わなかった。) 諸事情から、成人後家族の大黒柱となって教育活動や演奏活動を手広く行ったクララが 自分の子や、孫の養育まで手掛けていたのを考慮すれば、 彼女は一日10時間も練習する贅沢を許されなかったことは明らかだが、 その上彼女は膨大な量の日記や手紙を執筆している。 この二つの考え方の根本には、「何を『崇高な』芸術とするか」と言う事があると思う。

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書評:『読む音楽』

楽譜を読む能力は音楽を楽しむためにどれくらい必要か? Leon Botstein著『Listening through Reading: Musical Literacy and the Concert Audience』 Nineteenth-Century Music, Vol. 16, No. 2,Music in Its Social Contexts (Autumn, 1992) pp. 129-145. University of California Press. チャールズ・アイブスは音楽を描写するために使う言葉が読む人の音楽の体験を影響してしまう事を受け、「言葉を超越した絶対音楽」の概念は無理だとした。音楽を言葉その物と捉え、物事の本髄を表現することによって現存する言葉を超越した世界共通語となることを目指すことができるだけ、とした。 この記事で著者は、音楽と言葉の関係の歴史的な発展を追っている。 18世紀の後半、一般聴衆と言うのが中産階級の出現によって広まった。文盲率の減少、都市化、市場経済の発展、印刷物による一般情報の多様化の結果だった。表現の自由や、活発な情報交換、多数決などによる社会形成が文化を大きく影響した。 このころのアマチュアの多くはまだ貴族的教育の名残を受け、アマチュアとしてでも楽器演奏だけでなく、作曲も出来た。 18世紀の終わり頃すでに設立されていた音楽に関する文学は批評、美的概念論、そして音楽に関するフィクション。ここに音楽の歴史(1776~)や作曲家の伝記が少し遅れて加わる。 このころのアマチュアと言うのは大体歌を歌うか、弦楽器を演奏していた。(ピアノはやはり一般的には高額だった。)歌や弦楽器だと「楽譜を読む」と言う行為は、音符を見たらその指示されている音程を自分で分かり、発音できなければ行けない。 19世紀の始めごろから消費者社会になり、文化は娯楽に成り下がる。 しかしこのころから音楽学校の設立が盛んになる。 1848年の革命を境に、ドイツ語圏を中心に音楽文化がもう一度盛り上がる。合唱クラブやアマチュアアンサンブル、中産階級の中からスポンサーを募って運営する公開演奏会。それまで家庭内だけで音楽演奏を楽しんでいたアマチュアが社交的に音楽創りを楽しめる。 ピアノが安く手に入るようになり、沢山の家庭に進出。ピアノでは楽譜を読むと言う行為が、音を見ればどの鍵盤をどの指で弾けば良いか、と言う事になる。歌や弦よりもずっと簡単でだれにでも出来る。 ピアノが「音痴でも弾ける楽器」を提供したことと同時に、消費者経済の影で音楽が大衆娯楽となり下がる危険。これら危惧した評論家たちが、ベートーヴェンの崇高化などを通じて、いわゆる「クラシック」音楽を通じた精神性や意識の向上、教育効果などを高らかに歌い始める。 19世紀後半になるとここに曲解説や、どうやって音楽を聴くべきかを説く本、音楽の簡単な略史、演奏会用の演目解説、そして音楽誌が沢山出回る。 このころは演奏会の供給が需要に追い付かず、一般聴衆は音楽イベントに飢えていた。 その飢えをちょっとでも満たすために、旅行ガイドの様な音楽批評を多く出回った。 …19世紀後半以降は私の博士論文に直接関係が無いので、とりあえずここで中断。 すでに一応知識としてぼんやり理解していることを的を得ている他の人の言葉で読むと、爽快! 音楽人生、万歳!

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最終章の出だしで私が書こうとしていること

器楽曲は「崇高」だと言う考え方はベートーヴェンが活躍する直前にすでにTieckとWackenroderによって提唱されていた。その後、ベートーヴェンを崇高な器楽曲作曲家の象徴とする動きは1800年ごろから始まる。それと時を同じくして、暗譜の記述が増え始める。 これは偶然ではない。 「崇高」とされた器楽曲は「絶対音楽」と呼ばれるものである。ここに於いて始めて、音楽はプロセスではなく芸術的創造物となる。演奏イベントでは無い、すでに創造され完成されている音楽を蘇らせるだけである。しかもその創造物は完璧であり、その全体像を把握して始めて詳細の意味が分かる、とされた。つまり、始めから終わりまで音楽を経験したのでは絶対に分かり得ない。だから初見はもうだめ。そして事細かな詳細全てが全体の一部として重要な役割を果たしているため、一音でも変えると、全体像が崩れてしまう。だから昔の様に楽譜に装飾音を足すとか、即興アドリブを入れるとかも、NG。つまり「絶対音楽」に於いては奏者は楽譜を忠実に再現することが求められる。そして全体像を把握し、一音一音が全体像を完成するためにどのような役割を果たしているか理解し、その全てを消化した上で演奏して初めて、芸術になる。 暗譜になるのは、当たり前ではないか。 これを、明日と明後日で、書きます。

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書評:ベートーヴェンを評論した人々

生前ベートーヴェンが音楽評論家に叩かれまくった…と言う一般常識はウソ!? Robin Wallace著「Beethoven’s Critics: Aesthetic dilemmas and resolutions during the ocmposer’s lifetime」Cambridge University Press、1986 この本は著者の博士論文が元になって出版されている。 この人は、Leipzigで1798年から1848年まで出版されていた音楽週刊誌、Allgemeine Musikalische Zeitung(AMZ)、1824年から1830年まで出版されていたBerliner Allgemeine Musikalische Zeitung、同じくドイツのMainzで1824年から1839年まで出版されたCaeciliaなどを中心にベートーヴェンに関する批評を読み尽くして書かれている。 言及されているのはまず、今まで一般的に音楽学で「ベートーヴェンに対する批評」の一般的な例として繰り返し引用されて来たもの(E.T.A.Hoffmannの物を中心に、特に悪い酷評)が、実は全く一般的では無い、としている。 更に、「絶対音楽」のドイツロマン派的理想と言うのが、ベートーヴェンの位置づけとほぼ同時進行に、評論文を通じて行われた、としている。 1790年代にTieckとWackenroderと言う作家が、哲学的概念としてはすでに100年前に提唱されていた「崇高」と言う美的概念が、歌詞の無い器楽曲に見いだせる、と言う考え方を発表する。歌詞が無いから、言葉を超越した計り知れない畏怖の念を呼び起すような素晴らしい世界を打ち出せる、と言う考え方。 1798年に刊行したAMZは初刊から毎号ベートーヴェンに関して言及していたが、最初の3年は確かにベートーヴェンへの評価は「すごいピアニストだが、作曲家としては分かりにくすぎる」と言うのが一般的だった。「悲愴」や作品11のピアノ三重奏などは好評だったが、それはベートーヴェン以前の作品にすんなりと比べられるから良しとされていて、斬新的なアイディアは全て「考えすぎ」と批判されていた。 1801年にベートーヴェンはAMZの出版社でもあり、彼の楽曲の出版社でもあったBreitkopf und Hartelに脅迫文を書く。「私の作曲を出版したがっている出版社は沢山ある。例えば出版社Aにはこの曲を約束した。出版社Bにはピアノ協奏曲!しかし、自分が一番気に入っているもう一つのピアノ協奏曲はまだ出版社を決めていない。お前の所でも良いのだが…ところで、お前の所で出版しているAMZの評論家はそろいもそろってなんだ!けなされて良い作品が書けるか!?」…と、まあこういう内容である。 上の脅迫文が功を成して、「ベートーヴェンはいつも分かる人には分かる斬新さを持って新しい音楽を打ち出してきたが、その芸術性が最近どんどん明らかになって来ている」など、今までは「聴衆が分からないのは作曲家が悪い」だったのが「作品が理解できないのは聴衆が悪い」と言う風にスタンスが変わり、これが「月光」を含むピアノソナタ作品26と27の批評を境に定着する。 、 さらに、ピアノ協奏曲第3番、交響曲3番「英雄」などで、それまでは「作曲家にどう作曲した方が良いか進言する」と言うスタンスだったのが「聴衆にどう聞けば良いか教える」、いわば曲の説明文のような形になっていく。 1810年、E.T.A Hoffmann(「くるみ割り人形」を書いた作家だが、音楽評論ですごく音楽史に於いて影響を持った)が第五の批評を書き、「ベートーヴェン=崇高」の構図が確立する。長い、長~い評論文、しかもその3分の2は「これが起こって、次にこれが起こって」と言った、音楽の説明文と言うか描写文なのだが、その中で「ベートーヴェン=崇高」を確立した例文を一つ。「ベートーヴェンの音楽は戦慄、恐怖、驚愕、苦痛の梃子を動かし、ロマン主義の本質たる無限の憧憬を喚び覚ます」これぞ、まさにドイツロマン派。 ここで特に重要なポイントの一つは、E.T.A Hoffmannは明らかに総譜を片手にこの評論を書いていて、しかもこの時点で彼が実際に第五の演奏を聞いた事があったかどうかも定かでは無い、と言う事だ。それまでは演奏されて聞く人が居て、初めて音楽となる、すなわち音楽とはイベントであった。ところがドイツロマン派に於いては、楽譜がすでに作曲家の創作した音世界、『音楽』なのである。 この本はさらに、Berlinでベートーヴェン信望者として最終的に「ソナタ形式」など、主題や副題などの「テーマ旋律」を元に音楽の構築を解析するやり方を設立したA.B.Marxの評論、第9をめぐる論争、ベートーヴェンの死後始まった「ベートーヴェンこき下ろし文」、「絶対音楽=ドイツ」なのでフランスではベートーヴェンはどう受け止められていたか、などを検証する。 この本は、1986年出版と生憎少し古いのだが、ここで検証されている評論文は英訳が無い物が多く、私にはとても読み応えがあった。4つの事を強く思った。 1.ドイツ人は面白い。「器楽曲と言うのが一番崇高な芸術形式だ。なぜならば器楽曲には歌詞が無く、故に言葉を超越した人間の意思や感情の伝達を可能にしているからである」と言う事を、音楽家だけでなく、哲学者、文学者、宗教家までが延々、本当に延々と言葉を使って論じている。そして最終的にこのアイディアが定着し、ベートーヴェンが「偉大」で崇高な作曲家として歴史に名を遺すのは、どこまでがベートーヴェンの音楽のためなのか、どこからが評論文のためなのか? 2.ベートーヴェンは明らかに自分に関する評論文を読んでいる。自分が好きな評論を書く評論家には感謝状を送ったりもしている。私には当たり前に思われる「ベートーヴェンが評論を読んで自分の作風を変えていった。あるいは意図的に評論文におもねって作風を変えなくても、影響を受けた」可能性を、なぜ誰も考えないのか?とっても不思議である。 3.この本がRobin Wallaceと言う人の博士論文だったと言う事は最初に書いた。Robin Wallaceはイエール大学で哲学と音楽学で博士課程を収めたツワモノである。この人がこの博士論文で暴いている「音楽学のウソ」と言うのは、私の様なエセ学者でも、すでに感づいてしまっていることである。特に19世紀の半ばごろから評論文と言うのは洪水の様に出版されている。そしてこの時代の人は手紙や日記を書くのが大好きで、その多くが参考資料として読めたりする。しかし、この膨大な資料を、正直に全て検証するのは多分人間的には無理なのである。それで、ある学者がたまたま自分の研究発表の裏付けのために使った、もしかしたら例外かも知れないある評論文や手紙や日記が「当時の一般的考え」として他の学者に引用されてしまったりする。そしてその引用がまた引用され、その引用がまたまた引用され...すぐに収集がつかなくなってしまう。暗譜の言及に関してもそう言う事が多々ある。でも、それに気がついてもどうやってそれを正せば良いか、分からない。大きな問題である。 4.このツワモノRobin Wallace.私はこの人の博士論文に多いに触発された。この人はドイツ語だけでなく、フランス語でも当時の文献を実に根気よく読み進み、データにしたり、まとめて解釈したり、頑張ってこの論文を書いている。ところが、私はこの人をGoogleして知ってしまったのである。こんなにすごい人なのに、テキサスの本当のド田舎のとてもさえない大学で教え居る…音楽界ではどんな分野でも世俗的な出世を望むのは難しいのか。Robin Wallaceに幸あれ。

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