• 日本では最後の「『クラシック』って何⁉」。 今年の演目は本当に色々な方に心から喜んでいただけた、と言う自負があります。 特にサロンではお客様からの質問が止まらない、私もトークが止まらない状態。 私も本当に嬉しく、本当に楽しく、汗をかきながら音楽と音楽観のシェアを楽しみました。 今週の金曜日、7月8日(金)が日本では最後の「『クラシック』って何⁉」になります。 千葉県の美浜文化ホールと言う美しい音響の大好きなホールで 「平田真希子応援団」の感謝しきれないサポートの元、18時半の開演です。 達成感と満足感と幸福感の中にはちょっぴり寂しさも混じっています。 このテーマでもっともっと弾きたい!と言う気持ち。 せめて一人でも多くの方にお越し頂けますよう。 「いいね!」と「シェア」でご協力いただければ、幸いです。 音楽人生、万歳!

  • 今日は3つの、お互いに関連性にある文献のまとめとそれぞれの感想を少し。 ちょっとがちがちのブログ・エントリーになりますが、 特に私の英語の文献は日本語に訳されている物がほとんどなく、 日本でリサーチをされている方々のお役に立つことがあるかもしれないと思い、 ここに記します。 最初はMyles W. Jackson著の記事: Physics, Machines and Music Pedagogy in Nineteenth-Century Germany (19世紀ドイツに於ける物理、機械と音楽教育)。 工業革命と共に色々な分野での機械化が進んでいた19世紀のヨーロッパに於いて 人間の仕事のできるだけ多くを機械化しようと言う動きは 音楽演奏(1)や音楽教育(2)まで及んだ。 1.楽器演奏を取って代われる機械(オルゴールなど)、 2.そして技術向上を高めるための練習を助けるための機械(メトロノーム、指矯正など)、 また、大量生産と言う概念が広まる。 楽譜が市場に大量に出回り、楽器の大量生産が加速する中、 奏者をも大量生産できるもの、と言う考え方が音楽教育を変えていく。 音楽を道徳向上を通じて社会的意義のあるものとして 練習を助ける機械を学校教育に導入してアマチュア音楽家の大量生産が行われた。 音楽を社会的価値のあるものとしてこの動きに賛成したのが プロシアの王、Friedrich Wilhelm III. あらゆる技術は分析の後、再現が可能と言う理論に基づいた動きだ。 一方、大規模な大衆娯楽を最初に成功させた パガニーニやリストに代表されるヴィルチュオーゾは 奏者に自分を投影することを拒むほどの超人間としてもてはやされた。 この場合、スター的演奏家の条件は「再現が不可能」。 この二つの矛盾した考え方が社会現象としての音楽と19世紀の音楽の発展に どのように反映されるか、と言う記事。 この記事は例が多かったので引用はできるが、 主張は少ないし、すごく深い視点がある訳では無く、 書き方と論理の整理もちょっといい加減な印象を受けた。 次は岡田温治著の本: 天使とは何か~キューピッド、キリスト、悪魔。 この本で私の論文と関係ある個所は第三章「歌え、奏でよ」 「天使と音楽と人間の間で取り結ばれて来た長くて固い絆の素描」 (「はじめに」より)。 ここで指摘される古代来の音楽観に於ける矛盾は 「数学的で幾何学的な合理性の極と(例:プラトン、ピュタゴラス)、 感覚的で感情的な非合理性の極(例:アリストクセヌス)」(P.89)。 聖アウグスティヌスは『告白』X:33で教会音楽について 「私は快楽の危険と健全の経験との間を動揺している」と告白している。(P.89) この本の95パーセントは私のリサーチには関係ないが、 上に引用した矛盾は使える。 最後にDavid Gramit著の本:…

  • 私は子供の頃、これ以上無いほどの本の虫だった。 練習よりも読書が好きで、 練習中こっそりと楽譜立てに本を立て、 何時間もハノンをやって廊下をやってくる母の足音が聞こえるとサッと本を隠すとか 授業中に机の下に本を隠して読むとか、 練習中のトイレにかこつけてトイレに何十分もこもって読みふけるとか そんな事をやっていた。 そんな本好きは、両親の読書好きの影響も大きいと思う。 本当に幼少の頃からかなり高学年になるまで、 就寝の際には必ず本を読んでもらった。 妹といつも出来るだけ長い本を選ぼうと言う作戦の元に相談し、 その晩の朗読者の母か父との交渉を経て、その晩の朗読となる。 とっても楽しみだった。 読書をすると、本当に時間も現実も全て忘れて没頭した。 物語の展開が待ちきれず、次のページをめくるのももどかしかった。 寸暇を惜しんで読んだ。トイレの時間、短距離を歩く時間、何かを待っている時間… 今ではそういう風に没頭することは珍しい。 数年前、帰国の際に芥川龍之介の「地獄変」に没頭し、 電車に乗っていると言う事すら忘れて何駅も乗り過ごしてしまった事があるが、 そう言う時間はまれになった。 でもこの「本の虫」のイメージがあるからだろうか? それとも通勤時間中を読書に充てている母が 本を読みながら私を思い出してくれることが多いのだろうか? 帰国すると、母が私に読ませたい本を山積みにしておいてくれている。 大抵は図書館から借りて来てあるが、 中には「図書館で借りて読んで凄く良かったので、持って帰ってもらおうと思い購入した」 と言う本もある。 全てを帰国中に読むのは到底無理! 演奏、そして演奏のため練習や通信、その上日本でしか出来ない社交がある。 そして博士論文のリサーチのための本を私は6冊も持って帰ってきているのである! 論文用の本を読むか、母推薦書を読むか...毎回ジレンマである。 そんな中、誘惑に打ち勝てず読破してしまった母推薦図書。 1.山口絵里子著「裸でも生きる」と、続編「裸でも生きる~Keep Walking」 2.宮下奈都著「羊と鋼の森「 3.大島弓子(漫画家)著、全作品集 まず、山口絵里子さんの活動については テレビのドキュメンタリー・シリーズですでに感銘を受けていた。 「アジアで一番貧しい国」と検索して出てきた国「バングラデシュ」で 「可哀想だから」買ってもらうのではない 「お洒落だから」「使いやすいから」「欲しいから」買ってもらえるバッグを バングラデシュ産の材料と職人で作り、自分たちに自信と経済力を持ってもらう。 その25歳で始めたプロジェクトの奮闘記。 続編では、メディアで受け、バッグの売り上げも需要が追い付かない所まで延び、 バングラデシュのプロジェクトが大成功をおさめたのち 同じ志で今度は賄賂で行政が腐敗しきっている国、ネパールで 同じような奮闘を繰り広げるところまで、話は発展する。 私はいつも「音楽は人と人との間に共感を通じて、和平をもたらす力がある」と そう思って意義を感じて音楽活動を続けています。 近年、英語と日本語に不自由が無い音楽家の自分が 国際親善の様な仕事に携わることが出来ないか、と模索するようになりました。 そういう意味で、この本は私を大変触発してくれる本でした。 次に「羊と鋼の森」。 主人公がある調律師の仕事に感銘を受け、調律師になるまでの道のりを書いた小説。 題名はピアノのハンマーに巻かれるフェルトが羊毛からできていることと、…

  • 明日はみなとみらい以来初めての演奏。 …と言う事で今日はみなとみらいの演奏を聴く、自己反省会をしました。 全体的には3つ。 1.演奏中は主観的に致命的に思えるミスタッチが実は一瞬のかすり傷。 2.内声部に集中しすぎると、主旋律が影が薄くなる。 3.拍に固執すると、『歌』がおろそかになることがある。 要するに全てはバランス。 視点も、声部の弾き分けも、拍vs歌も。 1.についてですが、このような話しを聞いた事があります。 スポーツ選手のスカウト・マンと言うのは、 その選手がいかにミスをしないかではなく、 ミスからの立ち直りがいかに早いか、を見るそうです。 人間、誰でもミスはする。 そのミスから来る心理的動揺と言うのから どれだけ素早く立ち直っていつもの自分のペースに戻れるか、 それがその選手の本当の価値だ、と言うのです。 私はこの話しを聞いて感銘を受けてから10年近く、 この事を心がけて頑張って来て、随分良くなった。 でもまだ上達の余地が多いにある。 例えば、普通の人なら気が付きもしないような小さなミスに一々細かく動揺している。 さらに、ミスの可能性がある難所で、ミスの可能性に動揺していることがある。 まだまだ、まだまだ。 2.はこれはみなとみらいのピアノにも少し問題があったかも知れませんが、 全体的にソプラノの音域に当たる部分、 人が一番一緒に声を合わせて歌いたくなるメロディーがもう少しはっきりしていたら もっと共感を呼び起こす演奏になっていたと思う。 3.はメトロノーム練習のし過ぎ。 メトロノーム練習はプレッシャーがかかる中での演奏に安定感をもたらしますが、 安定感と言うのは裏を返せば、つまらない、と言う事にも成りえる。 その瞬間の音の響きや観客の吐息、会場の雰囲気に臨場した反応を もっと細やかにするためには、安定したテンポ感よりも大切な物がある。 次にこれから明日、さらに5日と8日の演奏に向けて 細かい練習を要する曲の順位は。 1.ベルグ(入り組んだ内声部をきちんと整理して歌えるところまで練習) 2.リスト(ペース配分。最後のパッセージが自動的に弾けるまで技術練習) 3.ジョップリン(のり、ゆっくりメトロノームをかける練習) 4.ラフマニノフ (旋律の歌い回し) 5.ベートーヴェン(特に1楽章の第二旋律の手の交差を集中的に) 頑張るぞ!

  • みなとみらい小ホールは私の16年目になる日本での演奏活動の中でも 一番多く演奏させていただいているホールです。 港の見えるロビーが本当に気持ちが良く、 ふわ~っと広がる演奏会場の音響と共に素敵な非日常性を醸し出してくれる お気に入りのコンサート・ホール。 ここで祝い、感謝を述べることが出来た16年目の今年の演奏会は 特に感慨深いものがありました。 16年前に横須賀を拠点とする「海外で活躍する演奏家を応援する会」の斎藤さんに きっかけを作っていただいて始めることが出来た日本での演奏活動です。 もうすでにアメリカやヨーロッパで色々演奏の機会を頂いていた私ですが、 苦しいスランプの時期に日本で演奏を始めることになりました。 最初の数年は足も手も声も震え、 本当に生きて弾ききれれば御の字と言う感じで 早打ちする心臓を抑え、恐怖心と戦いながら、 歯を食いしばって毎年頑張りました。 演目の間に舞台袖で膝を抱えて座り込んで 「怖い!」と駄々をこねたことも在ります。 見守ってくれた家族、「応援する会」の皆さま、 そして友人たちには心配をかけることも多々あったと思います。 (ここで辞めたら私はダメになる)と思って必死でしたが、 あそこで演奏の機会を与え続けてくださった人々、 そしてそういう私「初々しい」などと言う言葉と共に 暖かく応援し続けてくださった聴衆の皆様の愛情に ただただ感謝あるのみです。 まだまだ反省点も多い演奏ですが、 それでも場数を踏ませて頂いたと言うかけがえの無い幸運のお陰で、 私は反省点も前向きにとらえ、これからの練習の活力にできる 面の皮の厚さと、客観性を自分の演奏に対して持つことが出来るようになりました。 これから、もっともっと音楽人生の修行を通じて 人間として向上、そして貢献できるようになりたいと思っています。 これからもよろしくお願いいたします。 ところで、備忘録。 昨日の演奏会の準備に向けてうまく行った点。 1.演奏会前数日の徹底メトロノーム練習。(特に裏拍にメトロノームを合わせる練習) 2.ゆっくり、片手づつなど、地道で基本的な練習を本番直前までやったこと。 3.本番前、会場での練習をピアノに慣れるためだけの最低限にしたこと。 4.本番30分前に20分ほど爆睡したこと。 5.休憩中にエネルギードリンクを飲んだこと。 6.休憩中に横たわって目を閉じて3分ほど安静にしたこと。 7.演奏数時間前から演奏終了までの間に2リットル以上の水をがぼ飲みしたこと。 昨日の反省点。 1.本番前夜、本が面白くてつい熱中して3時間位で読破してしまった事。 (ちなみに読んだのは山口絵里子さんの「裸でも生きる」-素晴らしい!お勧め) 2.もっとイメージトレーニングをするべきだった。 3.もっとピアノに触らずに楽譜を読む時間を作るべきだった。 4.本番前はお腹が空かないのですが、昨日はもっと食べておくべきだった。 5.ペース配分に失敗してリストの最後で筋肉がパンパンになって困った。 (もっと脱力!) 6.トークの際、もっと口をマイクに近づけないと、エコーがかかって聞き取りにくい。 7.もっとゆっくり喋る。 8.ラグタイムの時、みんなと一緒にリズムを手でたたく時はもっとゆっくり。 9.休憩中にもっと糖分を取るべきだった。 まだまだありますが、それは次の演奏会の前に。