博士論文用に今読んでいる文献は「Beethoven Hero」(Scott Burham著)。
この本の趣旨は
作曲家ベートーヴェンと、その「困難に打ち勝つ英雄」像の音楽様式が
いかに西洋音楽そのもののアイデンティティーとなったか、と言う事。
これを、ベートーヴェンの音楽そのものの学理的分析と、
歴史的背景の分析によって、なぜこの様な歴史的運びとなったか検証する、と言う物。
Scott Buraham著、Beethoven Hero Princeton, NJ. Princeton University Press 1995
第一章「ベートーヴェンのヒーロー」
交響曲第三番「英雄」の歴史的批評文とその背景の検証。
第2章「英雄的スタイルとその魅力」
何がベートーヴェンの音楽を英雄的にするのか。
1.ベートーヴェンに於いて意思伝達の媒体としての音楽が、
常識的慣習を超越し絶対的必要性を持った言語となる(ワーグナー)
2.革命的・劇的要素の使用「崇高」「疾風怒濤」非常識
3.意志的(強引な)テーマの発展。
第3章「ベートーヴェンと音楽学者たち」
現在私たちが音楽分析に楽理で使うテクニックは
ベートーヴェンの交響曲やピアノソナタなどの「英雄的作品」を分析し、
ベートーヴェンがなぜ、いかに偉大かを説明するために確立された。
これ等の分析方法は、音楽を構築デザインと考えることを要求され、
最後までの発展の過程を全て把握して初めて可能となるので、
何度も曲を聴く(あるいは楽譜を読む)ことを必要とする。
ベートーヴェンの作品は聴者ではなく、作曲のプロセスの視点から捉える
例)A.B. Marx Satz vs。Gang
― 発展する意思を持つ音楽 = 英雄的
Hugo Riemann 8小節単位
― T-S-D-Tと言う和声進行を背景構造の調性デザインに投影させる
Heinrich Schenker
Rudolph Reti Motivic Analysis
ベートーヴェンはこれらの分析法を知った上で作曲していたわけでは無い。
しかしベートーヴェンを「理想」として開発されたこれらの分析法は、
この理想と同じように同じ分析法できれいに分析できる音楽を「理想」とし、
ベートーヴェンの後輩作曲家たちは、これらの分析法に肉付けをする形で
ベートーヴェンを理想とした作曲をする、と言う動きが出始める。
さらに、分析法に乗っ取った聞き方、解釈が正しいベートーヴェンの受け止め方、となる。
第4章「ベートーヴェン、ゲーテの時代、英雄的自我像」
歴史的背景には『個人 対 運命』の当時の構図がある。
①ゲーテの「We must not seek to be anything but to become everything」
(自分が何者でもあるとおごるな、しかし全てになれるように努力しろ)
②キリスト教の「創造ー原罪ー救世」、更に「運命 対 個人・意思の選択」のバランス
③ヘーゲル、カント、などなど他にも延々と出てくる…
あああああ、私にはこの本の読解は無理じゃ!
それに、これは私の博士論文のテーマ「暗譜の起源」とは直接的には関係ない!
無い無い無~~~~~~~~~い!!
しかしこの本を読もうと隙を見ては閉じようとする瞼と格闘している最中に、
アイディア到来!
意思の力をアイディアの長さ(強引さ)とするのはこの時代の特徴では?
だって皆文章が長い!カントもヘーゲルもショーペンハウアーも!
最後のマルが来るまで10行とか!
読みにくい!
長ければ崇高ってもんでもないでしょうが!
もう一つアイディア到来!(これはもう少し真面目です)
ベートーヴェンの音楽を「独創的」としながら、
この独創性を「分析可能な対象」とし、
さらに「分析して再現、そして発展可能」とする。
これは工業革命の反映。
さらに、ピアニストを「芸術家」としながら
メトロノームや指訓練の機械の量産などに見られる
「ピアニスト大量生産」の時代をも彷彿とさせる。
メトロノーム・マーキングの一般化は暗譜の一般化と時期を同じにしている。
この二つには実は共通項があるのでは!?
この本は和訳は出ていないようですが、和訳があるか調べている時に
こんなブログを見つけました。