乾燥機が規則正しく洗濯物を回す居間の外で、雨が静かに降っている。
時々、雷が遠くで転がる。
メンデルスゾーンの二楽章を復習する合間に
バニラとグレープフルーツ風味の白茶をすすりながら(ああ至福)と思う。
木曜の午後の締め切りぎりぎりまで論文のリサーチと執筆に没頭し、
翌朝、日の出前にLAに向かった。
昨日の夜中過ぎにカラカラに晴天のLAから帰って来て、
明日からマサチューセツ州の音楽祭で演奏と講師。
今日一日ヒューストンで、中休み中の実に久しぶりの練習。
「一日何時間位練習されるのですか」とよく聞かれるけれど、
今週は「一週間何時間?」だな~、と思う。
そして鍵盤の感触、楽譜を読むと言う行為、ピアノの音の新鮮さ、
メンデルスゾーンの素晴らしさに、一々感動している自分を発見する。
練習しすぎると感動が亡くなる。
19世紀の練習に対する考えは大きく真っ二つに分かれた様だ。
片方では「一日18時間!」と謳うピアニストのグループが在った。
ヴィルチュオーゾ・スーパースターのリストは、
パガニーニの超絶技巧に打ちのめされ
「3度、6度、トレモロ、オクターブ、連打などの技巧練習だけに一日4-5時間」かけ
気が狂ったように一日中練習したそうだ。
生徒にも同じようにスケールのみに3時間かけることを進めたりし、
(ただし、強弱や調性を色々変えながら)
退屈さを紛らわらせるために本を読みながら練習すると良い、と進言までしている。
ヘンゼルは聖書を読みながら一日10時間バッハを「音無し鍵盤」で練習し、
ドライセックは一日16時間の練習をこなした、とされている。
彼らが目指していたのは、意識しなくてもどんな技術でも弾きこなす手、である。
手(や技術)と意識や音楽性や個性を切り離して考える考え方には
彼らなりに当時の医学や科学で論理付けをしていたらしい。
ロバート・シューマンは、自分の手に「宣戦布告」までしている。
この「練習すればするほど良い」と言う「質より量派」の考え方は
少なくとも一部は工業革命の結果、と言えるのではないか。
「分析可能なら量産可能」と言う考え方の元、
兎に角量や数をこなす事によって究極的に質の向上まで持っていく、と言う考え方。
音楽教育では練習の補助のための機械(メトロノーム・指をつるし上げる機械、など)が
一時はプロシアの学校に配布されたり、
グループ・レッスンが行われたり、ピアノ教則本が爆発的に売れたりした。
ピアニストも量産可能なのか?
一日十時間練習するえば、誰でもヴィルチュオーゾになれるのか?
…それだと、「ヴィルチュオーソ」の希少価値が失せ、
ピアニストの芸術性に関する疑問符が湧いてくる。
「質より量練習派」に相反する考え方だったのが、
「一日3時間以上の練習は無駄」派。
こちらにはショパン、
クララ・シューマンの音楽教育を全て管理したクララの父親、フレドリック・ヴィーク、
そして大人になって独立したクララ自身、等が居る。
クララの父親は「自然に帰れ」のルソーや教育論者のパスタロッツィの概念を受け
「感覚で最初に学び、その後知覚する」や「人間全体を見た音楽教育」を謳い、
クララが幼少の頃から3時間の練習のほか、3時間の散歩(早歩き)を義務付け、
もう少し成長してからは、その他に芸術鑑賞や作曲の教育など、を実行した。
(その代り、学校は「時間の無駄」とされ、クララはほとんど通わなかった。)
諸事情から、成人後家族の大黒柱となって教育活動や演奏活動を手広く行ったクララが
自分の子や、孫の養育まで手掛けていたのを考慮すれば、
彼女は一日10時間も練習する贅沢を許されなかったことは明らかだが、
その上彼女は膨大な量の日記や手紙を執筆している。
この二つの考え方の根本には、「何を『崇高な』芸術とするか」と言う事があると思う。
考え方の発展にもそれぞれ色々な背景があり、一般化するのは難しいのだが、
「質より量」練習派は、演奏する音楽を「『崇高な』芸術」として、
演奏家はそのお筆さきの様な存在になる。
練習は「精神修行」の様になり、音楽以外の人生経験は「邪念」につながる、と考える。
演奏家は巫女の様な存在になる。
対して「3時間以上の練習は無駄」派では、演奏家が芸術家になる。
人生経験を得ることでその演奏を通じた表現がより豊かになる。
そして「才能」と演奏能力への信頼で、
困難なパッセージでも音楽的・知能的に理解できていれば最小限の練習で弾きこなせるはず、
と考える。
私個人はと言うと、一番練習したのは修士を終えた2000年ごろから2006年ごろ。
このころは本当に起きている時間のほとんどは練習に充てていた。
このころは最高で正味8時間以上やっていた。
正味と言うのは、トイレや食事の時間も全て差し引いた時間である。
そう言うのを全部書き留めて、練習量を管理・計算していたから、自信を持って言える。
一日8時間半以上の練習を長く続けてやることは、不可能に近い。
しかし、博士課程を始めた2010年、
そして特にその後、博士課程最終総合試験の猛試験勉強をした2014年の夏ごろから
練習量は物凄く減った。
そしてその頃からそれまでの自分の練習は非生産的だったのでは、と思い始めている。
練習をやり過ぎると、感動が減る。
量を練習する、と言うのも私の人生に於いてそれなりに意義があったし、
あの頃の自分には演奏技術以外に、
そういう風に練習することに精神的に必要性を感じていたと思うけれど、
それは音楽のためではなく、ある一種の現実逃避だったと思う。
はっきり言えることは、今、私は、数日振りに練習をしていて最高に幸せ、と言う事である。
音楽人生、万歳!