テントを張ってキャンプした事

今学期の遊びのハイ・ライトはなんと言っても2回キャンプをしたことです。 ある日イキナリ、「今日テント買ったんだ。明日から1泊2日でキャンプに行くんだけど、一緒に行こう!」といつも遊んでいる子から誘われて、「でも、練習しなきゃ」と私がまごつくと「出発は午後の2時にするからそれまで練習すればいい!明日は満月なんだよ!!」とかなり強引に行く事が決定されました。 いつも遊んでいる4人と、テント、寝具、食料がトランクからあふれて後部座席まで進出している大混雑の車で3時間ほどLAからドライブして、ジョシュアツリー国立公園(Joshua Tree National Park)と言うところでキャンプしたのが一回目。 4人とも誰一人それまでテントを立てた経験がなく、説明書をどう読んでいいのかも分からないような状態でどんどん日が暮れて暗くなる中、皆で二時間くらいかけてすったもんだの末、杭を打ち込みテントを張りました。 キャンプファイアーを燃やして大量のツナ缶と食パンとソーセージと生にんじんとチョコレートを皆で食い散らかしながら、星を見て歌を歌って、3人用のテントの中に4人で雑魚寝をして、次の日山に登って朝食、山道を歩いて昼食、そして帰り道デニースに寄ってメニューで一番安いものを食べただけなのに、何を食べても凄く美味しくて、どんなつまらない冗談も凄く可笑しくて、本当に楽しかった。(ただし、デニースに限って言えば日本のほうがずっとずっと美味しい。これは否定しようの無い、客観的事実。) 次にキャンプに行ったのは、私の誕生日(11月18日)の在った週末です。レッドロック渓谷(Red Rock Canyon)と言う、これもLAから車で2時間半位の所まで、前と同じメンバープラス一名で行きました。 前回のキャンプがどんなに楽しかったか私達が大量に宣伝(自慢)したので、今回は同行希望者が20名くらい居たのに、宿題、練習、ペーパー〆切等を理由に一人抜け、二人抜けして、結局ほぼ前と同じメンバーになったのが可笑しかった。 確かに一回目で思い切って行くまでは、私もトイレや洗面の問題から皆で一緒に寝る事、練習を一寸休む事まで不安に思う事は色々あったけど、非日常や少々の手間を回避して毎日を安全に生きていたら面白い事沢山やりすごしちゃうんだなあ、と思いました。 マシュマロを串にさしてキャンプファイアーで溶かしたり、焦がしたりしながら食べる、と言うのが大ヒットでした。(ちなみに残ったマシュマロを帰ってから試しにチンしてみた所、モコモコと膨れ上がって綿菓子のような物に変身し、それもびっくりでした。) 前回の満月がいかに明るかったか、今回月の無い所でキャンプをして始めて分かりました。天の川がはっきり白く見え、星座が移動していくのがわかる真っ暗闇は、壮大な感じがしました。 さて、初回のジョシュア・ツリー国立公園はジョシュア・ツリーと言う、小型の松がひねくりかえって踊りを踊っているようなひょうきんな木が沢山生えている砂漠で、不思議な景色が延々と続く所でしたが、キャンプ場としては初心者向きで、道路もしっかりしているし表示も分かりやすく、キャンパーでにぎわっていて何所にテントを張り、何所で火を燃やして、トイレは何所にあるのか、といったような事が一目瞭然で、私たちとしてはおおいに助かりました。 一方レッド・ロック渓谷の方は本当に白茶けた赤のような絶壁が長年の風(かな?)でうねうねと不思議な模様を見渡す限り描いている、これもまた不思議な所でした。大自然のスケールはこちらの方が断然大きく、感動しましたが、公園としても余りにも大きくて道に迷っても人に聞けるまでずっと歩いていかなければいけなかったり、一寸不安な事もありました。 でも、急な丘を4つんばいになって皆で上って、頂上で一人ずつ大声で叫んだらば、本当のこだまが何度も何度も聞こえたのに感動しました。音響の広がりが目に見えるような体験でした。ちなみに私の声が5人の中で一番大きく、こだまも一番はっきりしていました。これは自賛ではなく、皆言っていました。 私の誕生日の前日に出発したこのキャンプから帰宅したのが翌日7時くらい、それからシャワーを浴びて、着替えて、9時半からは誕生パーティー。私とチェロの19歳の子の誕生日が同じだったので、学校の生徒半分くらいが出席する大きなパーティーになりました。 いい誕生日でした。ケーキに私の名前が書いてありました!

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ロスから再びニューヨークを訪ねて

師走になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。 ロスアンジェルス(以下LA)では11月の最後の週まで半袖でも汗ばむほど暑い日と風が冷たい日が交互で季節不明でしたが、ニューヨークは間違いなく冬です。余りに寒いので、急いでないのに思わず駆け足になってしまいます。中々いい運動です。 ハドソン川のむこうにマンハッタンを望む高級アパートの一室から、お便りしています。  家具や内装も細かい所まで趣味良く手がかけられていて、そういうことに無頓着を決め込んでいる私には、まるで御伽噺の世界のようです。ここに住んでいる私の友達は、70年代にジュリアードを卒業し、その後しばらく教えた後に方向転換して薬品会社に勤め始め、今ではやり手のキャリア・ウーマンです。でも、週末や休暇を利用して彼女と同じような経歴の人たちと室内楽を積極的に楽しみ、私のような若手(!?)の応援にも積極的で、演奏会には友達を沢山連れて来てくれるし、ホームコンサートを開いてくれたりします。アメリカではこういう愛好家たちを対象にした「室内楽合宿」と言うのが数多く存在しているようで、彼女も仕事と出張の多忙の合間を縫って、感心するほど積極的に一年に何回も参加しています。室内楽のレパートリーは私より多いのかもしれない。初見だって、大したものです。 さて、私がここに今お邪魔しているのは、彼女が5泊6日の出張中に猫のお世話をする代わり、彼女のアパートに住まわせて貰うという、ベビーシッティングならぬ、キャットシッティングの為です。私は今月20日にここでホームコンサートをさせていただくので、ここのピアノで練習して慣れることができるのが嬉しいし、美しいアパートに住めるし、マンハッタンへの行き来も便利だし、いいことヅクシでホクホクです。朝、寝室の窓一杯、マンハッタンの向こうからゆっくりと日が昇るのが見えます。思わず拝みたくなってしまいます。日本の初日の出を思い出します。それに、自分の日常と無関係の空間で一人静かに過ごす時間が嬉しいです。今学期は本当に良く遊んで、良く学びました。楽しかった事、学んだ事をきちんと振り返って言葉にして、又前に向かうための時間が欲しかった。 これから順次私の体験や考えたことをエッセイにまとめて、お届けします。読んでください。

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ロスアンジェルスからの最初の手紙

私が日本を発って、ロス・アンジェルスでの生活を始めてほぼ一ヶ月がたちました。皆さん、いかがお過ごしですか? 新しい生活の報告をしよう、文章にまとめて自分の中でも整理をつけたい、とずっと思いながら、でも試行錯誤の段階でまだ自分でもはっきり把握していない色々な事柄や気持ちを、安易に言葉にして片付けてしまうのも勿体無い気がして毎日の生活を続け、ようやく今、コンピューターに向かって書いています。 私の今の一週間の学校の時間割は大体こんな感じです。 月曜日 11時~12時半    音楽史・聴講(ショーンベルグから現在まで)      2時~4時  ピアノ曲20世紀のレパートリーの授業必修 火曜日 9時~10時半    音楽史・聴講(ルネッサンス後期から古典派まで)     3時~4時   倫理・聴講(先入観の危険性)     4時~7時   ピアノのおさらい会兼公開レッスン・必修 水曜日 11時~12時半   音楽史・聴講(月曜と同じ) 木曜日 9時~10時半   音楽史・聴講(火曜日と同じ)     11時~1時   選ばれた生徒の発表演奏と、その後昼食会     3時~4時半   倫理・聴講(火曜日と同じ)     6時~6時45分   レッスン 学校は朝7時45分に開きます。私は張り切って大体毎日8時には練習開始しています。 夜は10時半までに校舎に入れば、いつまでも好きなだけ居残って練習が出来ます。 私は朝方なので、最高11時半ですが、皆割りと夜型で朝寝坊する変りに平気で12時半、1時半まで練習しています。  水曜日と木曜日の午後2時~7時までと、土曜日の8時から2時までが学校が子供用のプログラムの為に貸し出されるので練習はしてはいけない事になっていますが、ピアノの生徒(12人います)の寝室にはアップライトが設置されているので、そこでも練習できます。  この、生徒に支給されるアップライトがドイツ製のSeilerと言うメーカーで、私はここに来るまで聞いた事が無かったのですが、手作りの部分が多く年間製造台数が限られていて、アップライトにして一台2,3000ドル(約270万円)するそうです。生徒達はそんなお金を使うなら中古のグランドが欲しいとブーブー言ってます(私も)。 でも、アップライトにしてはかなりアクションがしっかりしていて弾き応えがあると思います。 あとピアノの生徒同士で弾きあいっこを沢山します。 この日の何時にと決めるのではなく、練習の息抜きに廊下をぶらぶらしていると、 「一寸シューベルト聞いて」 「いいよ、じゃついでに私のハイドンも聞いて」と言う風にどちらかの練習室に言って弾きあいっこをしてコメントしあうのです。 ライバル心と言うものはここでは少なくとも今まで私が見る限り音楽に関しては感じられなくて(人間関係に関してはかなり濃厚なドラマが展開している)、みんな取りあえず音楽に対する情熱とそれから愛校精神と言うか、コルバーン対その他音楽学校みたいな意識も少しあるようで、お互い向上しあおう、と言う感じです。 とても嬉しくて、頼もしくて、私は大いに恩恵をこうむっている。 皆指摘がとても鋭いし、それに自分では思いつかなかった練習方法とか、音楽への新しい視点とかが見えてくるので、わくわくします。 それから他の人の演奏を批評する、と言うのも大変勉強になります。思った事を言葉にする事で自分の考えをはっきりさせてそして責任を持って問題定義をしたら、ちゃんと解決法まで出す、と言うのはとてもいいトレーニングだと思います。 コルバーンは創立されて4今年で4年目ですが、すでに数多くのコンクールの入賞者を出しています。 私のルームメートも今日、ジュネーブでのコンクールの為に出発しました。 先週末イギリスであったリーズ・国際ピアノコンクールでも2位が去年までコルバーンにいたアメリカ人でした。皆でインターネットの実況中継を聞いて興奮していました。 私は直接は知らない人だけれど、皆と一緒に固まって本選と結果発表の中継を聞いて、本当に嬉しい気持ちがしました。 不思議な物です。 コルバーンの生徒は全員学費無料、住む場所及び電気ガス水道全てが賄われ、その上食費と称して月400ドルのお小遣いがもらえます。 住んでいる所は学校の斜め向かい、LAフィルの拠点であるワルト・ディズニー コンサートホールの隣にあるコンドで、私の部屋は15階、ベランダからの眺めもとてもいいです。 全校生徒68人が全員同じビルに住んでいる訳ですから、行きかうのもとっても簡単で、気軽に皆でビデオを見るために集まったり、宿題をしに行ったりします。 そして毎週末誰かの誕生日パーティーがあって、誰の誕生日でもない週末もやはり誰かの部屋でパーティーがあります。 食べ物は無くて、ビールだけ大量にあって、かかっている音楽は絶対にクラシックではない―なぜかとても楽しいです。 今までの私のここでのハイ・ライトは二つあります。 一つは毎週木曜日にある、選ばれた生徒の発表会に出て、ラフマニノフとプロコフィエフを弾いた事。 まだ日本から帰って二週目で勝手が分からないし…と私がためらうのを先生に強く勧められてやったけれど、やってとてもよかった。 同業者の前で自分の演奏を発表するのは全く違ったプレッシャーだけれど、それに狭いコミュニティーの中で新参者に対する興味津々で、それも一寸初めは億劫だったけれど、皆それを見込んで、舞台に出たとたん(まだ弾いてもいないのに)凄い拍手喝さいで、私は笑ってしまってそれで何か吹っ切れて弾き切れたし、学校生活への一歩を踏み出した感じです。  もう一つはピアノの生徒の内二人が来春にあるLAマラソンへの参加に向けてほぼ毎日マラソンをしていて、それにくっついて先週土曜日ベニス・ビーチと言う海岸を8キロくらい歩いた事。 6時15分の出発で、その前の晩2時までパーティーで楽しくしていて、出発前は??と言う感じだったけど、いってみたら朝の砂浜と言うのは、本当に気持ちよくって、沢山歩いた事も、その時一緒に行ったほかのピアノの子達と色々なお話しをした事も本当に良かった。 LAと言うのは本当に気候が完璧で私がこっちに来てからまだ一度も雨降らないし、やしの木がそこらじゅうに生えていて、海がすぐ近くにあって花がどこにでも咲いていて本当に天国か、リゾート地のようです。 10月8日にコルバーンに公開レッスンをしに来るドイツのヴァイオリニスト、クリスティアン・エディンガーと言う人と共演(フランクのソナタと、ベートーヴェンのソナタ5番「春」)します。学校から選ばれてする演奏なので、頑張ります。 それから、10月17日にはここのチェロの生徒の子の必修リサイタルの伴奏をします。張り切っています。 又、書きます。皆さんもお元気で。

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2006年のプログラム

 NYの真希子です。先日カナダから帰ってまいりました。今年もよろしくお願いいたします。  「海外で活躍する若手演奏家を応援する会」の主催による毎年夏の日本でのコンサートも、ありがたいことに今年で6年目を迎えます。人生の半分以上海外の私ですが、やはりこうして故郷で演奏できる喜びはこの6年間修行の大きな励みになってまいりました。今年もこだわりのプログラムを聞いていただけるのを楽しみにしながら、準備しています。  今年のプログラムはロシアの作曲家中心です。 ロシアに最初の正式な音楽学校が設立されたのは、意外に遅く、1862年の事でした。いわゆる「西洋音楽」の影響を嫌い、ロシア民俗音楽を元にした独自の音楽を発展しようとする動きと、正統派西洋音楽として認め、受容される音楽を発展しようという正反対の動きのせめぎあいの中で、ロシア音楽はユニークな成長を遂げます。この成長に多大な影響を及ぼした5人のロシアの作曲家(チャイコフスキー、カバレフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ)と、ストラヴィンスキーのソナタを触発したベートーヴェンが、今年のプログラムです。   これ等の名前、特に「春の祭典」を書いたストラヴィンスキーの名前から、一般のお客様は前衛的な現代曲をイメージされるかもしれませんが、長く厳しい冬を耐えるロシアの音楽と言うのは、情が厚く、歌心のあふれる音楽で、絶対楽しんでいただけると言う確信を持って、今回のプログラムを組みました。  プログラムを組む作業と言うのは、中々わくわくする物です。料理人がコース料理のメニューを決めるのと似ているのではないか、と思います。一貫したテーマは必要ですが、その中で五感へそれぞれ違った刺激を与え、最期にいい気持ちで、満足して帰っていただけるための作戦、というかスケジュール作成というか。。。今年のプログラムは我ながら中々良く出来ている、と自負しています。  美味しい物は人と分かち合いたい物です。是非、演奏会にいらして、私が見つけてきた珍味をお味見ください。

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コンサートツアーを終えて

 昨夜遅くツアーから帰ってきました。  3月8日にニューメキシコ州に飛んでオーケストラと合流し、そこからトコトコとバスでアリゾナ州、カリフォルニア州、またアリゾナ州、そしてコロラド州と回りました。アメリカは本当に広い!!こう広い所をこういう風に旅行していると、何だかタイムトラベルをしているようです。  カリフォルニアでは太陽がサンサンと輝いて、オレンジが木からこぼれおちる位たわわに実っていて沢山食べました。香り高くて、香りを飲み込んでいる様だった!素晴らしかった。天国みたいな初夏の陽気のカリフォルニアを発って、ニューメキシコでは桜が三分咲き位で、コロラド州はツララの固まりが真っ青でそこら中雪景色です。毎日毎日季節が変わって、こんなの初めてでした。  もう一つ実感したギャップは貧富の差です。通過点でバスの窓から見るだけですが、圧倒的に貧しい町というのもあります。きっとこういう所の写真を見せられたら、誰もそれがアメリカとは思わないでしょう。南アメリカとかアフリカとか中近東と思うと思います。それか又は「大草原の小さな家」位の時代だと思うかな。こんなにテクノロジーが浸透している時代のこの国で、掘っ立て小屋に住んで本当に「大草原の小さな家」みたいに洗濯物が干してある。そうやって色々な土地の色々な人と30分時空を共有して、共感を呼びかける私は、自分が音楽家で本当に嬉しくて幸せです。   聴衆との共有/共感とは別に、共演者との交流と言うのも本当に嬉しいものです。何時間も一緒にバスに揺られて、何回も演奏会の緊張を一緒に経験すると、喋る言葉が違っても、経験してきた歴史も、住む社会の状況も全く違っても、通じ合う所が見えてきます。ツアーの最後の方で、バスーン奏者が、その上に座るとおならの音(それも「ぷー」という様な可愛い音ではなく、音を聞いただけでお腹を押さえてトイレに駆け込みたくなるような「ベリベリブォー」という凄まじい音)がでるおもちゃを買ってきて、それで何回皆で大笑いしたか、数え切れません。コンサートのときやられなくて本当に良かった!  色々なオケのメンバーに「こういうツアーで肉体的にもきつい旅程で練習時間も非常に限られているとき、普通に考えれば演奏の質が落ちてもしょうがないのに、あなたはどんどん上手くなる。すごい。」と褒められました。そういうことは一番最後のコンサートの後に言ってくれれば良いのに、3回目くらいから言われ始めたから、私もがっかりされないように、次はどうすればもっと良く弾けるだろうと一生懸命バスの中で前の晩の録音を聞いて、楽譜を読んで、何だか随分張り切ってツアーを乗り切ってしまいました。最後の日は、一番背の高いヴィオラ奏者にお姫様だっこされて皆で写真を撮りました。   帰って来てさすがにぐったりして、これからまた色々忙しいのにどうやって調子を取り戻そう、と今朝はちょっと心配だったけど、この手紙を書いてたら嬉しくてまた元気になりました。この夏聞いて頂けるのが楽しみです。今 年も色々な人のお蔭で、色々体得しながら充実して過ごしています。

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