洒脱日記223:日本の冬の寒さを描く。

今朝はいつまでも布団の中に居たい寒さでした。

アメリカは大抵の家がセントラルヒーティングなので、日本の冬の様な屋内の寒さは滅多にありません。でも南カリフォルニアでは今、日照時と朝晩の寒暖の差が激しい。夜眠る時は割と暖くて、環境と電気代に優しくACを切って眠ってしまって、朝が大変!

でも実は。今朝、布団の中で日本の冬を懐かしく思い出していました。

鼻の先っぽが冷たくなって、でもお布団の中がぬくぬくの幸せな感覚。トイレに行く時に来ていくためのちゃんちゃんことかを掛け布団の上に用意しておく知恵。とてもじゃないけれど寒い寝室では寝間着を脱げなくて、居間のストーブの前まで着替えを持って走って行って息を切らせながら着替える毎朝の大騒ぎ。

落選した物書きコンクールの歴代優勝者の短編を続けざまに読みました。

皆本当に見事!思わずうなる凄さです。設定から想像力豊か。色々な時代・国・社会層が在ります。西部開拓に壮大な夢を見るまだ15歳の新婚夫婦。植民地化されていくアフリカの奥地で、一生西洋化を頑なに拒み続けるある女性。自殺をすでに決めている男性とそうとは知らずに彼との将来を思い描く女性とのある小旅行。タイの孤児の兄弟に転がり込むある幸運の話し。それぞれの短編が完全に確立した鮮明な世界と人間模様を提示してきます。でも、フィクションでも、鮮明な世界で読者との共感を成し遂げようと思ったら想像力とリサーチだけではカヴァーしきれない。やはり著者の実感・実体験が最終的には物を言うんだなあ、と思います。

例えばアメリカ人の多くはセントラル・ヒーティングが無い屋内の寒さと言うのは、想像しにくいと思います。トイレをぎりぎりまで我慢してしまう寒さ。布団の中以外の世界に敵対心さえ抱いてしまう温度差。そして(いざ!)と覚悟を決めて布団をはねのけた後、次のぬくもりを目指した素早い行動の必然性。それをコメディにするのか、悲劇として描くのか。それは味付けの様な表面的な問題なのだと思います。そういう体験をしたことが無い人にも思わず身震いをさせてしまうような文章力というのは、やはり微細の描写の文章力にかかってくる。でも難しいのは、これを瞬間的に成し遂げないと、物語りがダレてしまうということ。だから一字一句の選択で、出来るだけ効率よく五感を総動員して、描写していないところまで読者に伝わってしまうような、効率的な語感が必要になる。これはもう、センスだと思います。

例えば村上春樹にはその語感がある。ヘミングウェイにもある。スタインベックにもある。宮沢賢治・川端康成...う~ん。どこまで自分の感覚と語感を信じて、正直になれるか、なのだと思います。

今日は色々な短編を読んで、何だか世界旅行をしたような感じがしました。読書の合間にバッハを弾き、とても充実した一日でした。

ファイザーのワクチンが治験で90%の効果。FDAが緊急許可をイーライリリーの抗体治療に出したことも明らかになりました。今後の展開を希望を持って見守りましょう。

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