アルテンベルグ
ドイツの赤ちゃんはおとなしい。公共の場で泣くことがめったに無い。これは躾が厳しいというより、おしゃぶりの使用法に何か秘密があるような気がするが、実際はどうなのだろう。 そんなドイツで初めて弾いた独奏会はバッハがオルガンを弾きに来た事も有るという石造りの大変立派な城の一室だった。私は大変気負っていた。滞独して3週間、初めて人種問題に直面していたのだ。「東西国際音楽祭」は、共産主義圏と民主主義圏の若者達に音楽を共演させることで世界平和を願うという名目だったが、皮肉な事に会場となった街の若者の一部の間でネオ・ナチズムが浸透していた。統一後まだ7年経っていなかったドイツの小さなその街の経済状態は不安定で失業率は高かった。外国人に街を開いて、低賃金で働く移民が増えると現地の彼等の仕事は更に減る、と彼等は心配していた。 その夏、私達外国人音楽家が槍玉に上がってしまった。黒人のチューバ奏者がバスの中で殴られた。アルバニア人の少し肌黒いヴァイオリン奏者が蹴飛ばされた。私も街中で「ハイル・ヒットラー」とやられ、面食らった。そんな中での独奏会だった。国籍や肌の色が違っても同じ人間、いじめられれば悲しいし、意思の疎通は大変嬉しい。共感しよう、音楽を通じてそう言いたかった。 一曲目を弾きに会場に入ってハッとした。客席一列目のド真中に金髪の6-7才の男の子と女の子がめいっぱい着飾って雛人形のようにしゃっちこばって座っている。足が床に届いていないのに、宙ぶらりんのその足を二人ともひざとかかとできっちり合わせて緊張している。とたんに気持ちが和んで肩の力が抜けた。2時間の演奏中、二人とも全く物音を立てなかった。あの二人のおかげで素直に弾けた。 コンサートの後、もらった花束の中から一輪ずつ二人にあげた。女の子が「ダンケ(ありがとう)」とはにかんで笑った。嬉しかった。