書評:「ベートーヴェンとウィーンに於ける革命の音:1792-1814」

フランスの革命に続き、ウィーンで革命が起こりうる可能性が十分にあった。
しかし、ベートーヴェンの革命的な音楽が革命思想を文化的に昇華してしまった…!?
と、言うのが今日私が読んだ論文の趣旨。
Rhys Jones著「Beethoven and the Sound of Revolution, 1792-1814」Historical Journal,57.4(2014)pp。97-971 Cambridge University Press
私の論文(ピアノ演奏に於ける暗譜の起源)の論理を発展する上で、、崇高(Sublime)と言う美的概念とベートーヴェンをつなげたかったから。
まず「崇高(Sublime)」と言う美的観念とは何か。
これは視覚も含め人間の知覚能力を超えた圧倒的な物(雄大な自然や、超自然現象、オカルト現象など)を指す。計り知れない物、畏怖の念を起こすもの、と、こうである。
暗譜(視覚の助けを借りない演奏)がまずヴィルチュオーゾの演奏で「超人間的で崇高だ」とされた現象を2章目「Virtuosic Memory」で描く。、そして三章目の「Transcendental Memory]で「(ベートーヴェンの様な)神格化した作曲家の音楽が『崇高(Sublime)』であり、記譜法を超越するものであるから、暗譜をして消化してからでないと演奏は不可、とする過程を描く。…と言うのが私の計画。それでベートーヴェン=Sublimeとする論文を探していて、行きあたったのである。
さて、ベートーヴェンはどのように「Sublime」だと思われていたのか?
ベートーヴェンが「自分以外では一番偉大な現存する作曲家」としたのは、イタリア生まれだが生涯主にフランスで活躍したLuigi Cherubiniである。ベートーベンの作曲様式にはケルビーニからの沢山の模倣が見られる。さらにCherubiniはフランス革命を支持し、革命の曲を沢山書いた作曲家であった。フランス革命の時、革命分子が自分たちのテーマソングを歌う事で結束力を高めたらしい。その音楽はウィーンに駐在中のフランス人の家などでベートーヴェンは知っていた。ベートーヴェンの曲にはそれらの音楽モチーフが多くみられる。例えば「第五(運命)」の「ダダダダーン」は、革命の曲に多く使われたリズミック・モチーフであった。
それではベートーヴェンは革命派だったのか?政治的にはそこの所はうやむやである。そうだったと解釈できる史実もあるし、そうでは無かったと解釈できる史実もある。
ここで大事な事は、ベートーヴェンが革命的な音楽を書いた事。そしてその音楽には解決が在った事(例えば「ダダダダーン」で劇的な不穏さで始まる「第五」も最終楽章ではハッピー・エンドである)。そしてウィーンでは実際には革命は起こらなかった、と言う事である(ただし、1848年まで)。ウィーンで革命が起こらなかった理由には政治的抑圧、内省的な国民性、など色々な理由があるが、ベートーヴェンの交響曲で革命の疑似体験をし、ベートーヴェンを革命的に解釈することで、革命的な思想を昇華してしまった、とも言える。そしてそれを示唆する当時の評論文なども沢山引用されている。
「崇高と美の観念の起源(1757)」で崇高の概念を打ち出したバーク(Burke)、そしてバークに少し遅れて崇高を含む美的概念について言及したカントは、崇高にはある程度の距離が必要だとしていた。ある一線を超えてしまうと「崇高」は「苦痛」となり、人間を衰退させ得る、悪影響を持ってしまう。フランス革命はその一線を超えてしまった。では、「第五」は?しかし「第五」は音楽としてその一線を超えることで、聴くものを萎えさせ、革命の実際の行動を起こす原動力を奪う左様が在ったのでは?
ベートーヴェンがそんな計算をして作曲したとは思えない。だから、この最後の章にまとめたセクション、これは蛇足だ。でもちょっと面白い。

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