聴くことで静まること


10年以上前にテレビでたまたま見たの映画のワンシーン。
湾岸戦争から帰ってきた女性が朝、
ライスクリスピーが牛乳を吸って出す
「パチパチ」
と言う音にじっと耳を澄ませて微笑む。
その淡々とした行為に、女性が戦場で味わった凄まじい騒音が彷彿されて、
とっても印象的だった。
今、私も寝苦しい夜を諦めてライスクリスピーに牛乳を注ぎ、
このブログを書きながら思い出している。
LAで私が大好きだったヨーガの先生は
「真剣に聞くことに集中することによって、思考を一時停止することが出来ます」
と言っていた。
NYで再会した私の友人は、
彼女の父親の死に際に関する家族の葛藤の話しを私に打ち明けてくれている最中、
突然立ち止まって散歩していた公園の鳥の鳴き声に1分くらい耳を傾けた。
私も一緒に聞いて、その延々と続く歌に感動した。
何という鳥だったのか。
一度もメロディーが繰り返されない、どんどん発展して行く、まさに歌。
NJで色々な物を整理した際、自分の膨大な量の日記の中に発見した
一か月前に亡くなった私のアメリカン・ファーザーが
私がホームステーを始めたばかりの91年の私の誕生日に書いてくれた手紙。
「人は誰でも錨となる拠り所が必要だ。
これからのマキコの人生で私とジョーンとこの家をマキコの錨にして欲しい」。
手紙が書かれてから25年間、まさに錨になってくれた。
延べ日数で言うとNJと日本の実家と、
どちらがより多く私の田舎だったのか。
日本だって私は一年の内一か月は演奏活動などで居させてもらって、
かなりの日数を過ごしているのだ。
マンハッタン時代、疲れると休息を求めてNJに行っていた。
日帰りしたことも、週末を利用して2泊したことも、ずっと長く何週間も滞在したこともある。
LAやヒューストンに移動した後も、年始年末や夏休みなどを利用して良く行った。
ピアノが練習し放題だったことや、
マンハッタンの友達や音楽創りの機会が恋しくて、何かに付けて帰っていた。
91年に私に手紙を書いてくれた際、エドは66歳だった。
まだホームステーを始めたばかりで、将来の関係性も不確かな私への手紙に、
自分の余命など考えるはずもない年だったのだ。
私たちの関係が一生ものになったことだって、
努力と忍耐と愛情の賜物の、ほとんど奇跡だったのだ。
大学に進学した私が週末に帰りたいと言うと、
エドはいつも私が好きな菓子パンをいそいそと買って待っていてくれた。
その菓子パンを手作りしていたドイツ系パン屋さんもとっくの昔に引退してしまった。
形あるものはいつかは形を変えるし、命あるものには寿命がある。
変わらないのは、自分の中の思い出と、
何が起こっても周りの音を愛でる態度。
音楽人生、邁進。