NYに来ています。
NYは私が13歳から20年近く過ごした、私の故郷の一つですが、今回の「帰郷」は一年ぶり。
8日の滞在を精一杯楽しむ!意識的に思っているだけでないのかもしれない。どうしても夜遅くまで目がさえ、朝早く目が覚めてしまう。
ワクワクしています。
体験型シアター「スリープノーモア」に行ってきました。
LAで同じく起業をしようとしているピアニストが「お願い!ぜひ行って来て!人生観変わるから」と強く勧めてくれたので、
かなり高額でしたがチケット購入。
「怖いからいかない」と同伴を断ったNYの友達の言葉にちょっとドキドキしながら、行きました。
シェークスピアのマクベスを基に、6階建ての1939年建築のホテルを改造して、役者を部屋から部屋へと追いかけながら体験する、と言う前知識と、「動きやすい服装と靴で来てください」「お客様には仮面をかぶっていただきます」などと言う観劇前日に来た劇場からの注意書き、そして私に熱狂的に勧めたLAの友達の言葉から大体の予備知識はありました。
体験型シアターと言うのは、私は他でも体験していました。
例えば、公園で行われたシェークスピアは、舞台転換ではなく、それぞれの場面にふさわしい公園の場所に移動して劇が展開され、観客はその間、役者について行って立ちっぱなしで観劇します。出番でない役者が必要に応じて、懐中電灯で進行中の劇を照らしたり、小道具をササっと出したりしていました。これは工夫が結構楽しかった。
ダンテの「神典」の時は何と、マンハッタンの一か所で落ち合って、役者について地下鉄の駅にぞろぞろ行きます。これが「地獄」への降下。そして地下鉄に乗って、他の何も知らない乗客も居る中、役者がとうとうとモノローグを演じて、目的地でみんなでぞろぞろと役者について行って、使われていない倉庫のようなところで、ヴィデオ・インストレーションとか、ライヴの音楽とか、などが「地獄」を演出する、と言う試み。この時は間延びがして、ちょっと観客同志で気まずい感じがしました。
ただ、こういう場合、どうしてもプロダクションや演技その物の質が失われる感が否めない。
今回は「儲け度外視でセットデザインも衣装も非常な投資をして製作され、役者も最高級」と言うLAの友達の言葉で更に好奇心が刺激されていました。「儲け度外視」!...このご時世で?私は今、起業をしようとしている中、利益を出しつつ、提供する音楽の質を妥協しない、と言うことの難しさに七転八倒しています。だから、ここが一番の見どころだった。
(警告:要注意!もうすでにチケットをご購入の方、またこれからスリープノーモアに行くのを楽しみにしている方々はお読みになられない方が良いかもしれません)
結論から言うと...ちょっと悲しい気持ち。まず、「儲け度外視」ではなかった。セットが「歴史的背景を重要視した調度品」で、芝居抜きでもインストレーションとしても博物館の様に楽しめる、と言う謳い文句だったのに対し、すべてが薄暗く、何もよく見えず、しかし数多くある剥製も触ってみると偽物。そして「儲け度外視」でお客様の体験を最優先にさせるのであれば、絶対入場数を半減すべき。仮面を被ったお客は傍若無人となり、役者を囲んでお互いを押しのけ、少しでもよく見ようとほとんどけんか腰。役者は接近してくる聴衆をかき分けながらなんとか演技を続行しようとして、お客にぶつかったりしている。
そしてシェークスピアなのに、役者は無言でパントマイムと踊りのみ。しかも演技も踊りもどっちつかずで、結果(私の意見では)どちらも最高級ではない。踊りやパントマイムだけでシェークスピアの新解釈を提示できないとは思わないけれど、このスリープノーモアではセックスと暴力シーンだけがハイライトされ、血まみれになった役者が殺し合いの組み合いを延々と続けたり、半裸・全裸の役者が茫然といつまでも踊り続けたりする。(しかし、素晴らしい体つきだった。女性はみんな、きれいだったけれどおっぱいが無くてびっくりしたが、男性は筋肉粒々で彫刻みたいだった。)
興行の難しさ。なぜ本物には正当な対価が払われると言う確信が無いのか?お客が悪いのか、資本主義が悪いのか?
どちらも悪いのかも。仮面を被ることを義務付けられる3時間は無言でいること義務付けられるが、それが終わった後、周りのお客に聞いてみた。「どうでしたか?」そしたら「すごい!素晴らしかった!」と言う意見ばかり。「14回もスリープノーモアを見に来た友達に強制的に連れてこられたが、その訳が分かった!」などと。
エ~~ン(涙)