「明るい」とか「強い」とか「強気」とか、私にそういうイメージを持っている人は多いのではないか、と思います。体も声も手ぶりも身振りも大きいし、周りをはばからず声を上げて頻繁に笑うし、普通は言いにくいことを敢えて言ったりするし、こうして発信もしたりしている。
でも、私は実は性格診断よると「表現力が人一倍あるので外向的と思われがちだが、実は非常に求愛も愛情表現も苦手で、しかも内向的」なのです。職員室に入る時「失礼します!」と大声でする挨拶が苦手で、職員室の前でもじもじ行ったり来たりしている様な子供でした。初対面の人の前では声が出なくなるくらいシャイだったのです。
そんな私が月曜日からコロナ以前にも無かったような好機の嵐に見舞われます。そして今、私は不安に押しつぶされそうです。これから10月までの私の予定表をご覧ください。
8月16日(月)~8月29日(日) 米東海岸(8月16日~25日までマサチューセッツ州、25日から29日までNY/NJ) 8月16日∼18日 ボストン近郊でリハーサルと交遊 (早朝と就寝前は連絡可) 8月18~24日 ArtsAhimsa音楽祭:朝8時半前と11時から17時までリハーサル以外自由 8月19日夜:音楽と脳のプレゼン 8月20日夜:メシアン「時の終わりの為の四重奏」講師演奏 8月21日夜:ラヴェル「ピアノ三重奏」講師演奏 8月24日~29日 NYとNJで色々(未定) 8月26日 Pelham, NY(トッホのお孫さんと共同リサーチとプロジェクト協議) 9月2日(木)~9月6日(月) モントレー、カリフォルニア州(Renaissance Weekend) 9月2日(木)18時~9月6日(月)10時半までずっと忙しいです。 9月8日(水)∼13日(月) ベルギー、ブリュッセル: 欧州若手リーダー・プログラムで芸術の社会効用についてパネル協議(10日14時~15時半) 10月1日頃~10月14日頃 テキサス州ヒューストン(とダラス!?未定) 10月7日(木) ヒューストン・メソディスト病院のクレーン・ガーデン演奏シリーズ 10月8日(金) ライス大学で「音楽と社会協調」プレゼン 10月10日(日) Asian Society Texas Centerにて演奏
月曜からの東海岸と、10月のヒューストンは今まで私がやって来たのに似たような活動です。今まで何度もプロジェクトを手掛けてきた、気ごころの知れた仲間たちとの再会・再共演です。新しい曲やチャレンジもありますし、伺う先々で演奏だけではなくプレゼンもするので、練習と演奏だけしていればよかった過去とは少し違いますが、それでも私の良く知った世界です。
問題は9月です。どちらでも演奏も頼まれてはいますが、メインはプレゼンとかパネル協議に成ります。そしてどちらも政界・学界・メディア・NGO・国際機関・起業家・社会運動家など、畑の違う人々が集まって意見交換をするという大会です。そしてどちらもスケジュールを見ると朝は7時や8時の朝ごはんから夜は10時のキャッシュバーまでぎっしりとパネルやプレゼンのオンパレードで、しかも初登場の私が何度もパネルに出ることになったりしています。
何が不安なのか。
自分でもはっきりとわからないので、ここで書いて整理させてください。
まず知らない人、しかも社会的に非常に評価されていたり、地位を築き上げてきた人達に混じって、自分のベストを出せるか、という不安があります。ベストを出したい。私が大切だと信じている事を影響力がある人達に申し出たい。でもその願望がプレッシャーにもなります。
このハードな旅程も不安です。子供の頃からぷくぷくして背丈も体重も平均をはるかに超え「健康優良児」と良く言われましたが、実は病気がちでした。今でも調子が悪い時は腑抜けになってしまいます。本当に力が入らなくなってしまうのです。上手くペース配分をして、プレゼンやパネルの時に「バシ!」と決めたいのですが、でも実はこういう大会では、プレゼンやパネルだけでなく、その後の飲み会でたまたま話し込んだ人との繋がりの方が最終的に重要だったりします。「ここぞ!」という時がどこなのか、予測しにくい。理想的には大会中ずっと「オン」状態で居たいのですが、この旅程でそれが可能でしょうか?
もう一つ、私で良いのか、という不安があります。特にブリュッセルのお話しはびっくりしました。ヨーロッパには音楽の治癒効果を謳ったり研究している人はいないのか。それはそれで問題だし、プレッシャーも大きくなります。わざわざ私をアメリカーしかも西海岸ーから、飛行機で飛ばすのか?環境問題に首を突っ込み始めている今、問題は複雑化します。私のメッセージに私の体重分の飛行機の燃料の価値はあるのか?(...でもブリュッセルには行きたい!)
ピアノの道に生涯を捧げてきた音楽家として、私には音楽的な価値を見分ける自信があります。そして沢山の素晴らしい師や先輩や機会に恵まれ、培う幸運に恵まれた自分のピアニズムと音楽性にも自信があります。それを演奏でいつもベストの状態で発揮できるかというのは別問題ですが、でも私は時間をかけて育んで来た、自分特有の音と音楽性と美学があります。
一方、音楽の効用については私は自分自身の実感と、勉強した知識はありますが、例えば統計や最新研究内容などは今の時代グーグルで誰でも調べられることばかりです。確かに私は音楽の効用や社会改善の為の使い方について普通の人よりは読み込んだり考察したりはしていますが、それは私が読んだものを他の人が読めば皆同じ結論に達するという事を、言わば要約しているだけです。じゃあ、なぜそれを私が、この平田真希子が、言わなければいけないのか?
今、上の段落を書きながら気が付きました。私は統計や最新研究内容を伝えているのではない。統計や研究内容は例や証拠として参照しているだけで、私が伝えているのは音楽や、音楽を通じて私が考察する人間性についての情熱なんだ。演奏と同じで、究極的には技術や正確性じゃなくて、まごころなんだ!
書いて、少し落ち着きました。ありがとうございました。
「求愛が下手」という苦手意識克服のために、敢えてお願いさせてください。私は今、応援や励ましの言葉をかけて頂きたいです。
お疲れ様です。
この一文は、天真爛漫、お茶目な人間そのものです。
喜怒哀楽の幅がとても広く高くそして深い。
替えることができない性格ならば、そのままずっと、生きればいいのです。
だって、自分は自分が一番よく知っているから。
小川久男
「そのままずっと、生きればいい」
…おっしゃられる通りかもしれませんね。
マキコ
Pingback: 明鏡日記58:我が家の可愛いサボテンの実 - "Dr. Pianist" 平田真希子 DMA
音楽への熱意が
伝わってくるブログ。
楽しみに拝見しております。
ありがとうございます。
😊
みきさん、
ありがとうございます。
音楽同志、それぞれ頑張りましょう!
真希子