あるジャーナリストとお話をする機会を得た。 (Nさん、こんにちは!)
この人が、インタビューなどで人の話を本当に聞くと言うことがいかに難しいことか、言及された。
自分の世界観、先入観、価値観などのフィルターを通してでは無く、
その会話の相手をそのままの人間として受け入れる、と言うことは、結局不可能だ、と言われていた。
でも、それにできるだけ近づくべく真摯に聞く努力をする過程で、
それぞれの対話の相手を自分の世界観、先入観、価値観に取り入れることが出来、
自分の視野が広がるかも知れない、そうも言っておられた。
私も最近、自分がいかに人の話を聞けていないか、痛感している。
人と対話をするとき、その人の話す文章の前半を聞いて、後半に予測を付けてしまい、
その時点で、聞くのをやめてしまっていることが多いことに、このごろ気がついた。
これは、私の音楽の聴き方、さらに演奏中の自分の注意の払い方に全く比例している。
たとえば、クライマックスの前に長いスケールの上昇があったとする。
スケールはパターンだから、始まった段階で終わりまで大体予測がつく。
そうすると私はそこでそのスケールを聞くのをやめて、次のセクションのことを考えたりしている。
でも、こうするとそのスケールのクライマックスまでの盛り上がりが、最高ではなくなってしまう。
一音一音、来るべくしてくる音全てに耳を澄ます事が出来るようになると、
音楽全体が、緻密に、おのずから出来上がってくる。
会話でも、たとえば語尾まできちんと聞き、内容だけでなく、
その人の声音や、文章の終わりの抑揚の様子、その後の息まできちんと聞く、
と言うことが、本当に話を聞く、と言うことなのだと思う。
まだまだ、修行中です。
そうですね、他人の話を聞くのは難しいです。
けど頑張りすぎると疲れちゃいませんか?
ポイントをしっかり押える、だけでもいいような
気もするんですけどね、どうでしょう。
>abbrosさん
コメント、ありがとうございます。
確かに、バランスの問題ですよね。昨日頑張りすぎて、今日は一人で静かに過ごしました。ハハハ。
マキコ