怒りvs。笑い

「どうしようも無い状況に出会った時、笑う人と怒る人、二通りいますが、マイケルさんは気を付けて笑う人をお嫁さんに選んだので、幸せに暮らしていました」。。。これは子供のころ読んだ童話に出て来た一文です。子供心に何だか感銘を受けました。
「マキコは『となりのトトロ』のメイに似てるね。どうしようもない状況に出会うと、普通の人みたいに泣くんじゃなくて、口をへの字に結んで、めくらめっぽう行動に出る」と、友達に言われて大笑いした事が在ります。この友達は韓国人で、この人が『となりのトトロ』をそこまで熟知している、と言うのもまた感慨深かったのですが、もう何年も昔の事なのに未だに覚えているのは、このコメントが妙に的を付いている様な気がしたからです。トトロを知らない人の為に説明すると、さつきとメイと言う姉妹は、お母さんの長期入院中、お父さんに連れられて物凄い田舎に引っ越して来ます。財政難とか、そういった深刻な状況が想像できますが、そう言う事は映画の前面に全く出てこず、二人は物珍しい田舎の暮らしを満喫しています。でも、お母さんの退院がまた先送りになってしまった時、それまでの我慢が一気に家族内で爆発してしまいます。メイは4歳と言う設定なのですが、お母さんの退院の先送りが決まった時、地団駄を踏んで怒りまくり、お姉ちゃんに叱られると、お母さんの為に一生懸命畑で作った野菜をしっかりと持って、遠い病院にお母さんを訪ねるべくめくらめっぽう走り出して、行方不明になってしまいます。私の友達はこのシーンの事を指していたのです。
最初に引用した童話では、どうしようもない状況に出会った時笑う人の方が怒る人よりも良い、と明らかに暗示していましたし、私もそう思って育ってきました。そして私がどちらかと言うと「怒る人」である傾向を好ましく無いと思い、変えたい、変えよう、と思って努力して来た気がします。でも、この頃少し考えが変わりました。笑い、と言ういのが受動的な反応で在るのに対し、怒りと言うのはエネルギー(少なくとも瞬発力)につながる、能動的な反応ではないか。怒る対象と言うのは吟味しないと、エネルギーの無駄遣いになるし、怒る価値のある対象、あるいは怒ってどうにかなる状況と言うのは限られているかも知れないけれど、怒りが必ずしも悪いと言う事は全く無い。ユーモアのセンスと言うのは絶対に必要だと思うし、本当に素晴らしいユーモアと言うのは状況を変えるパワーを持っていると思うけれど、余りに多くの場合問題を回避、あるいは無視してしまっていると思います。
笑えたり、泣けたりした方が、特に女性としては、得だなあ、と思う事が在る今日この頃、自分を励ますために書き出してみました。特に今、何かに対して怒っているわけではありません。ただ、こういう受動的な姿勢が、特に女性に在って、好ましいとされる事に関しては、ブログを書く位には怒っても良いのかな~?ちなみに冒頭の童謡の作者は女性なんです。

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