洒脱日記214:小春日和の思い出

今日は胸がすくような秋晴れでした。

昨日とは打って変わってぽかぽかと暖かく「小春日和」という言葉がぴったり!

私が「小春日和」という言葉を最初に聞いたのは13歳で渡米した直後です。NJの家から毎週土曜日にジュリアード・プレカレッジ通っていました。土曜日の朝でも渋滞するリンカーントンネルとマンハッタン。片道小一時間かかります。私の高校で同じようにジュリアードプレカレッジに通っている子が他に二人いました。韓国系アメリカ人のデイビッドと、台湾系アメリカ人のキャシーです。3家族がカープールをする事になりました。

デイビッドの車に乗り込んだある土曜日の早朝、私はデイビッドのおじい様に紹介され日本語で挨拶されてびっくりしました。そのおじい様が「今日は小春日和ですね。」と言ったのです。私は小春日和と言うことばは印刷された文字で読んだことしかなく、冬の季語と言うことすら知りませんでした。「日本語がお上手ですね」と当たり前のことを言ったら「ああ、それは戦争中に...」と返され、それで恐縮してしまって、謝る事しか思いつかず、ひたすら下を向いていました。おじい様も、何を言っても謝られて困られたと思います。

キャシーのおばあ様にも、それからしばらくして同じように車の中でお会いしました。デイビッドのおじい様と同じくらい日本語がお上手でした。そして日本の歌やお料理を習って楽しかった、とやけに親日家なのです。日本語の歌を歌って下さったり、和歌を暗唱して聞かせて下さったりしました。「第二次世界大戦中のアジアに於ける帝国主義日本=極悪」という自分の単純の歴史の理解に始めて疑問符がついた時だったのかも知れません。

アメリカに行ったら金髪碧眼の人しかいないと何となく思っていたのですが、ジュリアードのピアノ専攻は大半がアジア人でびっくりしました。「すごく優秀」という前触れで私の家庭教師になった同じ高校の先輩のアイリーンもアジア人だった。アジア人の家庭は教育熱心が一般的だったのです。

本を書いていると色々思い出します。なぜアジア人がクラシック音楽なのか。考えさせられますよね。

2 thoughts on “洒脱日記214:小春日和の思い出”

  1. お疲れ玉です。

    幼少時からバイリンガル以上だったんですね。
    自分をしっかり主張する性向はこの時期に創られたのでしょう。
    平和な日本は、井の中の蛙大海を知らずですね。

    小川久男

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