演奏道中記11.7 :ERでのワンシーン考察

何で私が土曜日の正午に救急病棟に居たか、とそこはひとまず置いといて。

有無を言わせず渡された検査服。申し訳ないくらい不必要な私の為のストレッチャーは、人々が慌ただしく行きかいナースステーションの真ん前。医療機器のビービー、ピーピー、ピロピロがけたたましくアドレナリン分泌を促します。...泥酔から覚醒途上にあるらしい無精ひげの男性が苦しそうにうめき声を上げています。新たなる救急車が乗りつけ、新しいストレッチャーが運び込まれます。

待つことは覚悟の上。丁度良い具合に上体が起こせるストレッチャーに身を預け、この時間を読書に充てて有効利用してみせるぞ…とうそぶいた、その瞬間。

「ギョア~~~~~~ン!ア~~~~~~!ギャア~~~~~~~!!」

痛いからではない、怖いからでもない、ただもう怒り狂っている泣き声。

男児。推定年齢2・3歳。右腕に真っ白な新品ギプス。

「おうちにかえりた~い!」「いや~だ~!」

泣き叫びながら、抱きかかえる父親から逃れようともがき暴れます。

(なぜだ!なぜ自分をこんな目に合わせる!)...字幕が男の子の下に見えるようです。

「これきらい!これにくい!取って!取って!」

ギプスを指さしてしゃくりあげながら父親に命令します。

「どうして?ギプスいたい?いたくないでしょ?なおしてくれてるんだよ。」父親は疲労困憊の様子で、それでも何とか説明の試み。母親はその横で無言。微動だにせず、ストレッチャーにもたれかかっています。

看護士さんが二人がかりで、検温・血圧などのバイタルを取ろうとしますが、これも必死の抵抗にあいます。足がキック。手がパンチ。上半身くねくね。首はぐらぐら。でも父親に羽交い絞めにされ、若い男性看護士二人に囲まれたら、3歳児の抵抗はあっけない。その悔しさが捻られた体から絞り出されるような泣き声になって、救急病棟中に響き渡ります。

何と世の中は理不尽なんだ!みんな嫌いだ!世界も嫌いだ!だいっっっっきらいだ~!!!)

「動かない方が早く終わるよ~。終わったらおさらばだよ~。もう二度とお兄さんのお顔みなくてよいんだよ~。」

看護士の嘆願の声が3歳児の抵抗の雄たけびと絡み合います。

「はい、おわりだよ~。よかったね~。」

自分の方がよほどホッとしている看護士の声がして、男の子を拘束していた父親の腕が解かれた、その瞬間。男の子は飛び跳ねる様にお母さんの膝に飛びつき、やたらめったら叩き始めたのです。

(私を守るべき者!! なぜこんな惨事を許した!! 手をこまねいていたではないか。許さぬ!絶対に許さぬ!!)

パンチ!パンチ!ドスドスドスドス!!! パ~~~ンチ!!!!

「こら!!!」お父さんに抱き上げられた男児の下から、お母さんが朦朧とした感じでストレッチャーから身を起こし、帰り支度を始めます。


縁あって思いがけず一部始終を見守る事となったこの寸劇に、わたしは感じ入ったのです。全ての人の立場とやるせなさに共感できる気がしたのです。そして、これが世界の縮図の様な気がしてならなかったのです。

沢山の人々がそれぞれの立場で、世界や行政や富裕層や不正や過去や、色々な物に対する様々な怒りを何かにぶつけよう、何とか発散させようともがいている。

怒りというのは、圧倒的な困難に直面しても活力を保つために生存本能に組み込まれた正常反応とも言えます。ただその怒りに身を任せてしまうと、怒りの矛先をどこに向けるのかの判断を根本的に間違えてしまう事がある。理性(この場合は父親)も、愛情(母親)も、突破口(看護士)さえも、弱体化させてしまうほどの勢いで攻撃してしまう。でも、例えばこの必死の三歳児にどうやってそれをわからせるのか?


最近、ネルソン・マンデラと会話をしたことがある人のお話しを伺う機会がありました。27年間も自分を投獄し、自分や仲間を非情に畜生扱いした白人社会を許し、アパルトヘイド廃止後人種を超えた共存社会を築き上げた偉業を成したノーベル平和賞受賞者。自分たちを抑圧し痛めつけた過去を持つ相手と、協力体制を創り上げるべく尽力する、その達観と人徳はどこから来るのか。

どうやったら救急病棟の怒りの骨折3歳児ではなく、ネルソン・マンデラになれるのか。


ネルソン・マンデラは菩薩だなあ~。ネルソン・マンデラだけじゃない。ガンジー。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。ダライ・ラマ。


ちなみに、私がなぜ救急病棟に居たかと言うと...尋常ならぬ突発的な痛みに日夜問わず何度も襲われるようになり、余命僅かかと決死の覚悟で一通り検査してもらった結果、腰のこむら返りの様なものであるという診断が下りました。

♫チャンチャン!

2 thoughts on “演奏道中記11.7 :ERでのワンシーン考察”

  1. お疲れ様です。

    何はともあれ、重篤ではないようなので安心しました。
    今回の試練は、来し方、行く末を再考す機会かも知れません。
    やがて、すべてが受容できる歳となりますから。

    小川久男

    1. ありがとうございます。
      小川さんももう何年も私のブログをフォローして下さっている間に色々おありになったことでしょう。
      人生山あり谷あり!今は万全、元気で希望に満ち溢れ色々取り組んでいます。
      真希子

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