水がぶ飲みの訳

私は曲と曲の間、舞台袖で何をしているかというとがぶがぶ水を飲んでいる。2時間のリサイタルプログラムで大体2リットルのペットボトルを飲みきる。 練習している時きでも、指を止めて頭の中で復習・予習をやりながらせわしなく歩き回ったり、ボーっと窓の外を見ながら水かお茶を飲む。4時間の練習で1リットルでは足りなかったりする。 これは友達と確認しあったことだが、演奏中、多分私たち奏者はつばを飲み込んでいない。この事実に気がついてからは時々意識して演奏中つばを飲み込んでいるが、それもフレーズとフレーズの間、音の一瞬の途切れ目でのことだ。 実際はのどの奥で一曲弾きながら歌っているようなものなのだ。だから一曲弾き終わった時ののどの状態と言うのは、曲の間中「あーーーーー!」と叫び続けていたようにカラカラ、コンコン、ヒリヒリなのだ。 さらに曲によって、それから舞台照明の熱さ加減によってかなり汗をかく。一般的に指揮者と管楽器奏者、その中でも特に男性、が私の観察する所では一番大量の汗をかく。 タキシードまで汗でグッショリになる。 指揮者とは共演し終わった後、舞台上でハグしたりするので、私までビショビショになってしまったりする。 あと、緊張の為に汗をかくピアニスト、と言うのもいる。私の友達は本番のたびに手に汗をかいてしまい、鍵盤がツルツル滑るそうで、手の汗腺を手術でとれ(本当にそういう手術があるらしい)と先生に言われた、どうしようと相談してきた。 (そんなこと分かりません。) それから一度私が譜めくりをした事のある現代曲専門の美男子ピアニストは、出場直前私にむかって「自分は本番中緊張すると非常な汗をかくが心配しないように」と忠告してくれた。 忠告してくれて良かった。何しろ彼の汗はただごとではないのである!玉のような汗がぽたり、ぽたりと演奏の間中、ずーっと滴り落ち続けるのだ!! 私はよほど手術中医者の横にたってハンカチで汗を拭く看護婦のようにふいてあげようかと思ったが、とりあえず譜めくりに集中して汗は見て見ぬふりをした。随分話がずれてしまったが兎に角、演奏の合間の水分補給は不可欠!と言うことが言いたかっただけである。 そんな訳で私は「六甲の美味しい水」が特に好きですが、舞台袖では水が本当に美味しく飲める。

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プログラム、「初心にかえる、古典にもどる」のこころ

ピアノは比較的新しい楽器です。もともと在ったのは管楽器のように空圧を利用するオルガン、ハープのように弦をはじくハープシコードなどもっと歴史の深い鍵盤楽器。これに続いて、叩いて弦を響かせるピアノの原型が普及し始めたのはハイドン(晩年)やベートーヴェン、シューベルトの時代です。 ですからピアニストがピアノのレパートリーを理解する上で基本にするべきなのが、この古典派の曲たち…ということで今回はベートーヴェンとシューベルトの代表的な名曲をそろえてみました。 (チラシにあるモーツァルトのソナタKV322は時間の都合上やむを得ず今回は割愛することになりました、ご了承ください。) さらにピアノ奏法に大きな発展を見せたロマン派、印象派のリストとドビュッシー。その中でも特にピアノ技巧、並びにピアノのための作曲技法の限界に挑戦している練習曲集を取り上げて、もう一度自分の中のピアノと音楽というものを再認識、再定義してみようというのが今回のリサイタルのプログラムの趣旨です。 バロックから20世紀までの作曲家がそれぞれの時代の鍵盤楽器のための練習曲という媒体を通して何をどう表現するかという興味から造った「Etude, Seriously」も同じ趣旨で2006年末から録音を始め、この5月に仕上がりました。 今まで固定観念にとらわれることを嫌って、歴史や一般的な連想の多い有名な曲を避けてきた私ですが、修士を2001年に卒業してから6年ぶりに学校にもどり、もう一度系統だった勉強を再開しました。 今回のプログラムと新発売のCDはそんな私の「祝・初心、探究心、チャレンジ精神」宣言だと思ってくださると嬉しいです。

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ピアニストの雄叫び

私の妹は演劇専修と言うのを大学で専攻した演劇のエキスパートである。 卒業後、某劇団の舞台進行を腕まくりしながら(かな?)筋肉もりもりで担当していたこともある私の自慢の妹である。 そんな縁で芝居の招待券が時々手に入る。 昨日は妹がプレゼントしてくれたミュージカル「マリー・アントワネット」の招待券を手に母と二人でデートをしてきた。 昔の私の愛読書でもあった遠藤周作の筋の入り組んだ大変複雑な歴史小説(単行本にして上下二巻)を3時間のミュージカルにしようと言うのはかなりの野望、と半信半疑のヒヤカシ・野次馬精神で望んだのだが、私は不覚にも2度も泣いてしまった。 涙を拭くと母にばれて恥ずかしいので、ほって置いたら肌がひりひりしてしまった。  何しろミュージカルと言うのは(オペラもそうだが)歌に入ると、とりあえずストーリー進行を放棄して「私は今、大変悲しい!どうか皆さん、私の苦しみを分かち合って、私と一緒に泣いてくださーい!」と延々と歌うのだ。 歌い手は一生懸命だし、オーケストラもビュンビュン鳴るし、もうこれだけのエネルギーと時間をかけて「泣いてもらいましょう!」と頑張られると、素直な私はすぐ涙してしまう。 そして、やはり皆うまい。 有名な涼風真世さんもうまかったが、新人(なのかな!?)の新妻聖子さんがすごく声が綺麗で芝居がうまかった。 しかし涼風真世さんはマリー・アントワネット役で毎日劇進行上(二回公演の日は日に二度)どんどん落ちぶれて、最後にギロチンで殺されるのだ。このミュージカルは179公演目といっていた。 これは大変! 毎日ちゃんと寝付けるのだろうか。 寝つけても夢見が悪そう...人事ながら心配していたら、ショーの後のトークイベントで「ギロチンがスローモーションで下がってくる間ずっと何を考えているのか」と言うインタビュー者の質問にこんな風に答えていた。 「マリーは、願わくばきっと綺麗な空を最後に見て死んだのでは…と」。 そうなのです! 演じる側にはある程度演じる対象と自分の間に距離が必要なのだ。 何のコントロールも無く感情移入しっぱなしで役者が舞台の上で手放しでワンワン泣いてしまったら話しは進行しないし、観客はしらけてしまう。 涼風真世さんは自分を守る為にも、演技を一番効果的にこなす為にも、マリーになりきってしまってはいけないのだ。 マリーはマリー、自分は自分なのです。 私だってベートーヴェンはベートーヴェン、私は平田真希子だ。 感情だけに自分をゆだねてしまったらミスタッチが多くなる。 でも、このバランスが本当に微妙なのです! この感情移入と距離間の適当なバランスを演奏会で達成するために、練習の段階では色々なことをする。 勿論音を一つ一つ学んで行ったり、ゆっくりさらったり、構築を頭に叩き込んだりする、技術的なプロセスと言うのも踏みます。  が、それに対して、弾き込んでいく段階では感情探索と言うか、自分が曲をどう感じるか、どういう感情をこの曲を通じてコミュニケートしたいと思っているか弾きながらイメージを広げていく、と言うこともする。 ここで私はしばしば泣いている。 大抵は弾き続けながら、涙を静かに流すのだが、一、二回本当に悲しかった時は弾くことを止めて、部屋の隅まで歩いていって「オーン、オーン」と声を上げて、体育座りで泣いた。 勿論、弾きながら「ひゃひゃひゃ」と笑うことも有るし、感情つのって「うおーーー」とほえることもある。  一度、学校の練習室でそうやってほえていたら警備員の人が「練習がうまくいかないのかい?」とチェックしに来た(実はこうやってほえているときは練習はのりのりなのである)。同じ夜、やはり私のうなり声を聞きとがめた友達が「トントントン(ノックの音)大丈夫?」と聞きに来た。この子は私がひそかにちょっと可愛いと思っている男の子だったので、大変恥ずかしかった。 この子もピアニストなのだが、この子はほえないのだろうか?この子は控えめなので、きっとほえないのだろう。もしかして練習中ほえるのは私だけなのだろうか?(ちょっと心配) ちなみに今回(2007年夏)のプログラムの準備中、泣いたのはリストの演奏会用練習曲の2番、雄叫びを上げ続けたのは「熱情」、笑ったのはリストの一番とドビュッシーとモーツァルト、などです。 まあ、これも一般的な話で、日や練習法によっても私の反応もそれぞれですが。  そして勿論、演奏中には私は雄叫びなんか上げていません…多分。

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ミスタッチの前

私は、「北斗の拳」と言う漫画は実際買って読んだ事は無いし、多分テレビのアニメ放送でたまたま一寸見たことがあるだけだと思うのですが、何故かしばしば練習の過程で私の脳みそが引き合いに出すのが、この「北斗の拳」です。 この漫画を知らない人の為にご説明申し上げれば、私の理解する限りでは、これはなんらかの格闘技を使って非現実的に筋肉もりもりの男の人たちが戦う(何のために戦っているかは私には不明)、と言う漫画です。 その中で私の練習に有効だったのは、 1)このお兄さん達の自分の技術向上のバロメーターは戦う相手の技が見えるかどうか、という事にあったこと。ともう一つ、 2)「お前は既に死んでいる…」と言う台詞です。 1)について申し上げれば、他の格闘技の漫画(例えば「明日のジョー」)でもそうなのですが、最初に対戦相手の技が「速過ぎる!技が見えない!くっつぉ!」と言う場面があって、その次に対戦に備えての練習の過程においてか、あるいは実戦のプレッシャーのなかで、自分の技術が向上してきて、やがて「わ、技が見える…」と言う自己確認と感動があって、そして一気に戦いに勝つというものです。 これはピアノ演奏にも当てはまる現実で、私の感覚から行くと、早い物が見えるようになる(あるいは聞こえるようになる)と言うよりは集中のレヴェル・アップによって時間が少しゆっくりになった感じがする、といった方が近い様な気がします。このピアノ演奏におけるスピードの比喩としての「北斗の拳」は私のここ数年来の実感で、日本のコンサートにおけるトークでもお話したことがあります。 一方2)「お前は既に死んでいる…」と言うのは本当にここ数週間の発見です。 北斗の拳では、「急所のつぼ」と言うのがあって、そこをつくと、相手の内臓が炸裂して死んでしまいます。しかし何故か、つぼをつかれてから死に到るまで、数秒の時間差があり、その間、対戦者は「??」と言う感じで立ちすくんでいます。その「??」の対戦者に北斗の拳のお兄さんは寛大にも「お前はつぼをつかれちゃったからもう一寸で死ぬんだよ」と教えてあげる訳です。 これがどうピアノに関係あるかといえば、私はある日突然、ミスタッチと言うのはただ単にその音をミスするのではなく、その原因は1音、2音あるいはもっと前にあることが多い、という事に気づいたのです。つまりミスタッチを実際する前に「お前は既にミスっている…」なのです。 ピアノの鍵盤にもつぼがあります。鍵盤の何所をどの角度で、どういうスピードと重みで押すかによってピアニストは音色をコントロールする訳ですから当然、最小の努力で最大の強音(あるいは最高の美音)を出すつぼと言うのがあるわけです。 このつぼを上手く押す為には、手の重心がしっかりしていなくてはならず、手の重心をしっかりする為には、腕の重心、さらに腕の重心をしっかりする為には体全体の重心がしっかりしていなくてはいけません。 重心が安定している時は、重力を上手く利用して、筋肉が楽に効率よく働き、軽々と動けます。しかし、重心が不安定だと、動く事がどんどん困難になってくるのです。そういう時に「お前は既にミスっている…」になってしまうのです。分かりましたか、真希子さん?(ハーイ!)チャンチャン。

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指揮、その他の勉強

私は学生時代から、演奏活動に恵まれて来ました。 こじんまりしたホテルで毎週開かれる45分のコンサート・シリーズで定期的に独奏会をさせてもらったり、豪華客船に「ゲスト・アーティスト」の名目で乗り込んで週に1・2回のトークを交えた気楽な演奏会で演奏したり、と言うところから始め、だんだんコンサートの規模に比例してプレッシャーも増してきた頃、自分の音楽に対する理解、姿勢がどれほど浅はかか、身にしみて思い知るようになりました。  指を器用に動かして、上辺の感情を装うだけなら、訓練さえすればサルにだって出来るのではないか。 しかし曲の中で一瞬一瞬のハーモニー、一つ一つの音の意味、不可避さ、そして時代背景、作曲家の生い立ちからその瞬間の心情・思想まで反映したそれぞれの曲、歴史の流れの中で生まれるべくして生まれてきたそれぞれの作風、スタイルを知的、精神的に身に着けなければ、自分の使う言葉の定義を知らずに喋り続ける子供と同じではないか。 勉強したい、と言う焦燥感を抱きつつ、色々な事情から演奏活動を続けることを選ばざるをえなかった5年を経て、私は今やっと学校でもう一度勉強をしなおす時間と場を得て、最高に嬉しい、拠り所を見つけた気分です。  勿論本当の意味で全てを理解しようと思ったら、例えばリズムの勉強には生態、物理、などの勉強まで必要になってくるし、音響学、心理学さらに医学の知識にだって演奏に直接かかわってくる事は沢山あります。 本当は勉強なんて結局自分でやるものだし、そして結論を出す段階―例えば実際の演奏―においては最終的に、自分の経験と感覚を頼るしかない、と言うことを承知しています。 でもその上でなお、体系だった勉強を出来る環境に居る事は私にとって本当に貴重なのです。 そんな訳で私は今、必修ではないのだけれどコルバーン(Colburn)で音楽史と倫理のクラスを聴講しているほか、10月半ばから指揮の勉強も始めました。  子供の頃斉藤記念オーケストラを指揮する小沢征治さんのドキュメンタリーを見て、指揮をしたいと思った事はあるけれど、今指揮を勉強しているのは実際将来指揮をしようと言うよりは、ピアノを演奏する上でより広い視点、経験が欲しかったからです。 さらに、音楽を肉体的に表現する、という事にも興味がありました。私の指は訓練の為多少不自然な動きでもこなしてしまうのです。 しかし、不自然な動きで弾いた結果は、不自然に聴こえる事が多く、これを、例えば私にとっては新鮮な「腕を振り回す」と言う事で、改めて何が自然に音楽的で何がそうじゃないか確かめてみたかった。 さらに、指揮と言うのは音楽を先読みして皆に指示を出す役割ですから、演奏しながら自分の音を聞いて確認する事に慣れきっている自分をもう一度次に来る事を予期して常に準備をする、と言う姿勢を確認してみたかった。 そんな訳で、指揮を始めました。来学期の終わり、リハーサルだけで、ですけど、学校のオーケストラで、ベートーヴェンの7番を振らして貰う約束になっています。 一楽章だけですけど。

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