早口言葉

私はアメリカに来る事無く日本語一本の人生を送るとしたら、何かもっと言葉を使った職業を選んでいたと思います。例えば子供の頃はとても演劇に興味があって、小学校の頃から部活は演劇でした。 ウォーム・アップのルーティーンの一つに早口言葉があって、その中のいくつかは今でも覚えています。最近、帰国した際テレビで早口言葉が美容にいいと言う特集を見て以来、シャワーを浴びながら早口言葉を練習したりしています。やり始めると入れ込んでしまうのが私の癖で、体を洗うのも忘れてただ水を浴びながら何度も何度も繰り返し色々試行錯誤しているうちに面白い事に気がつきました。 例えば「生麦生米生卵」などと言う意味の無い文章でも、はっきりと抑揚をつけてまるで感情を込めているように発音すると、かなり早くても言い切れるのです。これは難しいパッセージを弾きこなすのに完全に応用できる事で、発見した時は(しめた!)と思いました。技術的難点に固執してしまうと、かえって心理的プレッシャーもあって上手く行かなかったりする物ですが、内容や表現にフォーカスを移すとなぜか弾けるのです。 先入観にとらわれず、発想と着眼点を常に自由自在に探求していく練習をしよう!

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お化けから学んだ事

ハロウィーンと言う祭日は、日本語ではどのように訳されるのか知りませんが、日本のお盆と奇妙に似ていて、あの世の霊が訪ねてくる日とされています。10月最後の日と決まっていて、その日になると子供たちは思い思いの仮装をして近所を練り歩き、一軒一軒訪ねて行っては「Trick or Treat!(いたずらされたくなきゃ、お菓子を頂戴!)」と決まり文句で挨拶しながら、頭陀袋にお菓子を集めて回ります。 子供の時仮装をしてお菓子を集めて回って以来、私にとってずっと余り縁の無い祭日でしたが、今年は違いました。 学校から有志15人が集まって「Knott’s Scary Farm(ノッツの恐怖農場)」と言う遊園地に行ったのです。園内を13日の金曜日のフレディー(電気鋸付き)やグーニーズの奇形大男や、狼男や怖いピエロや、色々な仮装をしたアルバイトが一杯うろついていて、スキを狙って脅かしてくる、と言う企画の遊園地で、乗り物だって、ディズニーランドなどよりずっと怖くて、機械仕掛けの人形にまじってアルバイトが隠れていていきなり大声を上げたり、すれすれまでよってきたり、時にはつかんだりして脅かしてくるのです。 …と言う大体のコンセプトは行く前に聞かされて知っていたのですが、遊園地に入ってまだ気持ちの準備が出来る前に、私はイキナリお化けのターゲットになってしまいました。門を入った所でまずスケートボードに乗ったお化けがサーっと私によって来ました。そこで悲鳴を上げたのが、私の大間違いで悲鳴を聞き付けたそこら辺にいたお化けが全員私によってきたのです。一緒に来た友達は気がつかないで先に行ってしまい、唯一私に気がついた友達もなすすべも無く「こっちにおいでよ」と手をひらひらさせるだけです。なにしろ囲んで前に進ませてくれないから、私はもうどうしていいか分からなくて頭はパニック状態で、これはただのアルバイト、と頭では分かっていてもフレディーはウィンウィン電気鋸を鳴らすし、後は何がこわかったのか覚えてないけど兎に角怖かった。かなりの時間立ち往生して段々お化けも許してくれたのか、飽きたのか、一人二人と減って行き(本当は3人しか居なかったのだけれど、感情的にはお化けの軍団に囲まれている感じだった)最後の一人をやっとやり過ごした時には私はもうとても楽しむ気分じゃなくて、「遊園地中こんなんだったら、私はもう帰る!」とか子供のような事を一杯言ってみんなを困らせました。それからだんだん楽しくなって、ジェットコースターに乗ったり、おやつを買い食いたりしているうちにもうお化けに脅かされても「怖くない」とうそぶけるようになって最後はるんるんで帰宅したのですが、それから色々考えるきっかけになりました。 私は大体子供の頃から大変な怖がりで、小児科医に注射を言い渡されるたびに病院中を泣きながら逃げ回ったとか、ディズニーランドのミッキーマウスを怖がったとか、漫画のような本当の話がいくつもあるのですが、今回はさすがに自分でも(なんでだろう)と不思議に思うまで成長していたようです。そしてそれは演奏家としての自分について考える一つのきっかけにもなりました。 まず私はお化けに囲まれた時、もう既にお化けを正視することをやめていた―これは要するに自分の視覚から入ってくる情報より自分の固定観念、先入観を優先させていた、という事です。夜だった事を計算に入れても(この遊園地は暗くなってから開園するのです)きちんと見れば仮装なんてちゃっちい物だし、大体視点をさまよわせる事自体が自分の感情コントロールをすでにギブアップしている。ちなみにわたしの記憶は普段視覚より聴覚の方が鮮明なのですが、このときの記憶は兎に角フレディーの鳴らす電気鋸のウィンウィンだけが突出していて後はワーッという自分の耳が何にもフォーカスしていない(さまよっている視線と同じ)証拠の雑音です。 これは「走る」と言う演奏中あがった時の致命傷につながる事だと思います。「走る」と言うのはテンポが前へ前へ転んでいく事を言います。時にはもう正確な音を弾くことが肉体的に不可能な所まで走ってしまい、コントロールを失ったレースカーのようになったりする。「怖い」と思った時ギュッと目をつぶって兎に角その「怖い事」が早く過ぎ去る事を祈る、と言う姿勢、何とか問題対処をしようと言う積極性を全く放棄した状態―これは与えられた時空に自分の世界を提示するべき演奏家にとってはあるまじき甘えなのだと思います。 大体何がそんなに怖いのか。恐怖とは一体なんなのか。肉体的(あるいは感情的)苦痛、究極的には「死」を疎んじる気持ち?しかし、恐怖(別名「パニック」?)で回避できる問題と言うのは、あるのか。 恐怖と言う感情をつかさどる部分が脳の中にあるそうです。その部分が破損するとどうなるのか、と言うドキュメンタリーをテレビで見たことがあります。例えば蛇と一緒の檻に入れられたネズミが自分から進んで蛇にアプローチしてしまうとか、あるいは人間の場合(事故で脳のその部分が破損された方が)ホラー映画で人が残酷に殺されるのを見て笑ってしまうとか。また、「あがる」と言う現象について書かれた本も読みました。人前でのスピーチや演奏であがる、と言う状態は生態的には命が危険にさらされた時と同じ状態だそうです。例えば手が冷たくなる、と言う症状は怪我をした時、出血多量を抑える為に血のめぐりを悪くすると言う肉体的反応だとか、あるいは心拍数や血圧が上がると言うのは、パッと逃げる時の瞬発力を高める為だとか。しかしまず、演奏する、という事は命を危険にさらす行為ではないし、さらに命を危険にさらす状況でも知性によって恐怖心をコントロールしている人は沢山居る;例えば、格闘技の選手、あるいは侍などの戦士。「兵法家伝書」と言う武士道に関する本を読んでいたらば心構えのひとつとして「死を恐れない・生に固執しない」と言うのがありました。 ー.恐怖と言うのは自分の頭が作り出すものであり、自分でコントロール できる物である。 ー.常に現実をしっかり正視していれば、恐怖でコントロールを失う事は 無い。 お化けからこれだけ多くのことを学べるとは、思わなかったです。

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テントを張ってキャンプした事

今学期の遊びのハイ・ライトはなんと言っても2回キャンプをしたことです。 ある日イキナリ、「今日テント買ったんだ。明日から1泊2日でキャンプに行くんだけど、一緒に行こう!」といつも遊んでいる子から誘われて、「でも、練習しなきゃ」と私がまごつくと「出発は午後の2時にするからそれまで練習すればいい!明日は満月なんだよ!!」とかなり強引に行く事が決定されました。 いつも遊んでいる4人と、テント、寝具、食料がトランクからあふれて後部座席まで進出している大混雑の車で3時間ほどLAからドライブして、ジョシュアツリー国立公園(Joshua Tree National Park)と言うところでキャンプしたのが一回目。 4人とも誰一人それまでテントを立てた経験がなく、説明書をどう読んでいいのかも分からないような状態でどんどん日が暮れて暗くなる中、皆で二時間くらいかけてすったもんだの末、杭を打ち込みテントを張りました。 キャンプファイアーを燃やして大量のツナ缶と食パンとソーセージと生にんじんとチョコレートを皆で食い散らかしながら、星を見て歌を歌って、3人用のテントの中に4人で雑魚寝をして、次の日山に登って朝食、山道を歩いて昼食、そして帰り道デニースに寄ってメニューで一番安いものを食べただけなのに、何を食べても凄く美味しくて、どんなつまらない冗談も凄く可笑しくて、本当に楽しかった。(ただし、デニースに限って言えば日本のほうがずっとずっと美味しい。これは否定しようの無い、客観的事実。) 次にキャンプに行ったのは、私の誕生日(11月18日)の在った週末です。レッドロック渓谷(Red Rock Canyon)と言う、これもLAから車で2時間半位の所まで、前と同じメンバープラス一名で行きました。 前回のキャンプがどんなに楽しかったか私達が大量に宣伝(自慢)したので、今回は同行希望者が20名くらい居たのに、宿題、練習、ペーパー〆切等を理由に一人抜け、二人抜けして、結局ほぼ前と同じメンバーになったのが可笑しかった。 確かに一回目で思い切って行くまでは、私もトイレや洗面の問題から皆で一緒に寝る事、練習を一寸休む事まで不安に思う事は色々あったけど、非日常や少々の手間を回避して毎日を安全に生きていたら面白い事沢山やりすごしちゃうんだなあ、と思いました。 マシュマロを串にさしてキャンプファイアーで溶かしたり、焦がしたりしながら食べる、と言うのが大ヒットでした。(ちなみに残ったマシュマロを帰ってから試しにチンしてみた所、モコモコと膨れ上がって綿菓子のような物に変身し、それもびっくりでした。) 前回の満月がいかに明るかったか、今回月の無い所でキャンプをして始めて分かりました。天の川がはっきり白く見え、星座が移動していくのがわかる真っ暗闇は、壮大な感じがしました。 さて、初回のジョシュア・ツリー国立公園はジョシュア・ツリーと言う、小型の松がひねくりかえって踊りを踊っているようなひょうきんな木が沢山生えている砂漠で、不思議な景色が延々と続く所でしたが、キャンプ場としては初心者向きで、道路もしっかりしているし表示も分かりやすく、キャンパーでにぎわっていて何所にテントを張り、何所で火を燃やして、トイレは何所にあるのか、といったような事が一目瞭然で、私たちとしてはおおいに助かりました。 一方レッド・ロック渓谷の方は本当に白茶けた赤のような絶壁が長年の風(かな?)でうねうねと不思議な模様を見渡す限り描いている、これもまた不思議な所でした。大自然のスケールはこちらの方が断然大きく、感動しましたが、公園としても余りにも大きくて道に迷っても人に聞けるまでずっと歩いていかなければいけなかったり、一寸不安な事もありました。 でも、急な丘を4つんばいになって皆で上って、頂上で一人ずつ大声で叫んだらば、本当のこだまが何度も何度も聞こえたのに感動しました。音響の広がりが目に見えるような体験でした。ちなみに私の声が5人の中で一番大きく、こだまも一番はっきりしていました。これは自賛ではなく、皆言っていました。 私の誕生日の前日に出発したこのキャンプから帰宅したのが翌日7時くらい、それからシャワーを浴びて、着替えて、9時半からは誕生パーティー。私とチェロの19歳の子の誕生日が同じだったので、学校の生徒半分くらいが出席する大きなパーティーになりました。 いい誕生日でした。ケーキに私の名前が書いてありました!

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ロスから再びニューヨークを訪ねて

師走になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。 ロスアンジェルス(以下LA)では11月の最後の週まで半袖でも汗ばむほど暑い日と風が冷たい日が交互で季節不明でしたが、ニューヨークは間違いなく冬です。余りに寒いので、急いでないのに思わず駆け足になってしまいます。中々いい運動です。 ハドソン川のむこうにマンハッタンを望む高級アパートの一室から、お便りしています。  家具や内装も細かい所まで趣味良く手がかけられていて、そういうことに無頓着を決め込んでいる私には、まるで御伽噺の世界のようです。ここに住んでいる私の友達は、70年代にジュリアードを卒業し、その後しばらく教えた後に方向転換して薬品会社に勤め始め、今ではやり手のキャリア・ウーマンです。でも、週末や休暇を利用して彼女と同じような経歴の人たちと室内楽を積極的に楽しみ、私のような若手(!?)の応援にも積極的で、演奏会には友達を沢山連れて来てくれるし、ホームコンサートを開いてくれたりします。アメリカではこういう愛好家たちを対象にした「室内楽合宿」と言うのが数多く存在しているようで、彼女も仕事と出張の多忙の合間を縫って、感心するほど積極的に一年に何回も参加しています。室内楽のレパートリーは私より多いのかもしれない。初見だって、大したものです。 さて、私がここに今お邪魔しているのは、彼女が5泊6日の出張中に猫のお世話をする代わり、彼女のアパートに住まわせて貰うという、ベビーシッティングならぬ、キャットシッティングの為です。私は今月20日にここでホームコンサートをさせていただくので、ここのピアノで練習して慣れることができるのが嬉しいし、美しいアパートに住めるし、マンハッタンへの行き来も便利だし、いいことヅクシでホクホクです。朝、寝室の窓一杯、マンハッタンの向こうからゆっくりと日が昇るのが見えます。思わず拝みたくなってしまいます。日本の初日の出を思い出します。それに、自分の日常と無関係の空間で一人静かに過ごす時間が嬉しいです。今学期は本当に良く遊んで、良く学びました。楽しかった事、学んだ事をきちんと振り返って言葉にして、又前に向かうための時間が欲しかった。 これから順次私の体験や考えたことをエッセイにまとめて、お届けします。読んでください。

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ロスアンジェルスからの最初の手紙

私が日本を発って、ロス・アンジェルスでの生活を始めてほぼ一ヶ月がたちました。皆さん、いかがお過ごしですか? 新しい生活の報告をしよう、文章にまとめて自分の中でも整理をつけたい、とずっと思いながら、でも試行錯誤の段階でまだ自分でもはっきり把握していない色々な事柄や気持ちを、安易に言葉にして片付けてしまうのも勿体無い気がして毎日の生活を続け、ようやく今、コンピューターに向かって書いています。 私の今の一週間の学校の時間割は大体こんな感じです。 月曜日 11時~12時半    音楽史・聴講(ショーンベルグから現在まで)      2時~4時  ピアノ曲20世紀のレパートリーの授業必修 火曜日 9時~10時半    音楽史・聴講(ルネッサンス後期から古典派まで)     3時~4時   倫理・聴講(先入観の危険性)     4時~7時   ピアノのおさらい会兼公開レッスン・必修 水曜日 11時~12時半   音楽史・聴講(月曜と同じ) 木曜日 9時~10時半   音楽史・聴講(火曜日と同じ)     11時~1時   選ばれた生徒の発表演奏と、その後昼食会     3時~4時半   倫理・聴講(火曜日と同じ)     6時~6時45分   レッスン 学校は朝7時45分に開きます。私は張り切って大体毎日8時には練習開始しています。 夜は10時半までに校舎に入れば、いつまでも好きなだけ居残って練習が出来ます。 私は朝方なので、最高11時半ですが、皆割りと夜型で朝寝坊する変りに平気で12時半、1時半まで練習しています。  水曜日と木曜日の午後2時~7時までと、土曜日の8時から2時までが学校が子供用のプログラムの為に貸し出されるので練習はしてはいけない事になっていますが、ピアノの生徒(12人います)の寝室にはアップライトが設置されているので、そこでも練習できます。  この、生徒に支給されるアップライトがドイツ製のSeilerと言うメーカーで、私はここに来るまで聞いた事が無かったのですが、手作りの部分が多く年間製造台数が限られていて、アップライトにして一台2,3000ドル(約270万円)するそうです。生徒達はそんなお金を使うなら中古のグランドが欲しいとブーブー言ってます(私も)。 でも、アップライトにしてはかなりアクションがしっかりしていて弾き応えがあると思います。 あとピアノの生徒同士で弾きあいっこを沢山します。 この日の何時にと決めるのではなく、練習の息抜きに廊下をぶらぶらしていると、 「一寸シューベルト聞いて」 「いいよ、じゃついでに私のハイドンも聞いて」と言う風にどちらかの練習室に言って弾きあいっこをしてコメントしあうのです。 ライバル心と言うものはここでは少なくとも今まで私が見る限り音楽に関しては感じられなくて(人間関係に関してはかなり濃厚なドラマが展開している)、みんな取りあえず音楽に対する情熱とそれから愛校精神と言うか、コルバーン対その他音楽学校みたいな意識も少しあるようで、お互い向上しあおう、と言う感じです。 とても嬉しくて、頼もしくて、私は大いに恩恵をこうむっている。 皆指摘がとても鋭いし、それに自分では思いつかなかった練習方法とか、音楽への新しい視点とかが見えてくるので、わくわくします。 それから他の人の演奏を批評する、と言うのも大変勉強になります。思った事を言葉にする事で自分の考えをはっきりさせてそして責任を持って問題定義をしたら、ちゃんと解決法まで出す、と言うのはとてもいいトレーニングだと思います。 コルバーンは創立されて4今年で4年目ですが、すでに数多くのコンクールの入賞者を出しています。 私のルームメートも今日、ジュネーブでのコンクールの為に出発しました。 先週末イギリスであったリーズ・国際ピアノコンクールでも2位が去年までコルバーンにいたアメリカ人でした。皆でインターネットの実況中継を聞いて興奮していました。 私は直接は知らない人だけれど、皆と一緒に固まって本選と結果発表の中継を聞いて、本当に嬉しい気持ちがしました。 不思議な物です。 コルバーンの生徒は全員学費無料、住む場所及び電気ガス水道全てが賄われ、その上食費と称して月400ドルのお小遣いがもらえます。 住んでいる所は学校の斜め向かい、LAフィルの拠点であるワルト・ディズニー コンサートホールの隣にあるコンドで、私の部屋は15階、ベランダからの眺めもとてもいいです。 全校生徒68人が全員同じビルに住んでいる訳ですから、行きかうのもとっても簡単で、気軽に皆でビデオを見るために集まったり、宿題をしに行ったりします。 そして毎週末誰かの誕生日パーティーがあって、誰の誕生日でもない週末もやはり誰かの部屋でパーティーがあります。 食べ物は無くて、ビールだけ大量にあって、かかっている音楽は絶対にクラシックではない―なぜかとても楽しいです。 今までの私のここでのハイ・ライトは二つあります。 一つは毎週木曜日にある、選ばれた生徒の発表会に出て、ラフマニノフとプロコフィエフを弾いた事。 まだ日本から帰って二週目で勝手が分からないし…と私がためらうのを先生に強く勧められてやったけれど、やってとてもよかった。 同業者の前で自分の演奏を発表するのは全く違ったプレッシャーだけれど、それに狭いコミュニティーの中で新参者に対する興味津々で、それも一寸初めは億劫だったけれど、皆それを見込んで、舞台に出たとたん(まだ弾いてもいないのに)凄い拍手喝さいで、私は笑ってしまってそれで何か吹っ切れて弾き切れたし、学校生活への一歩を踏み出した感じです。  もう一つはピアノの生徒の内二人が来春にあるLAマラソンへの参加に向けてほぼ毎日マラソンをしていて、それにくっついて先週土曜日ベニス・ビーチと言う海岸を8キロくらい歩いた事。 6時15分の出発で、その前の晩2時までパーティーで楽しくしていて、出発前は??と言う感じだったけど、いってみたら朝の砂浜と言うのは、本当に気持ちよくって、沢山歩いた事も、その時一緒に行ったほかのピアノの子達と色々なお話しをした事も本当に良かった。 LAと言うのは本当に気候が完璧で私がこっちに来てからまだ一度も雨降らないし、やしの木がそこらじゅうに生えていて、海がすぐ近くにあって花がどこにでも咲いていて本当に天国か、リゾート地のようです。 10月8日にコルバーンに公開レッスンをしに来るドイツのヴァイオリニスト、クリスティアン・エディンガーと言う人と共演(フランクのソナタと、ベートーヴェンのソナタ5番「春」)します。学校から選ばれてする演奏なので、頑張ります。 それから、10月17日にはここのチェロの生徒の子の必修リサイタルの伴奏をします。張り切っています。 又、書きます。皆さんもお元気で。

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