サラソタ音楽祭

6月の下旬、日本は梅雨の盛りでしょうか。 今日まで三週間、フロリダ州のサラソタ音楽祭に参加して参りました。サラソタは粉の様にきめ細かくて真白な砂浜と体温より温かい海水に恵まれた亜熱帯地区に在る町です。観光も盛んですが、むしろ引退した人が多く移住して来たり、「スノー・バード」と呼ばれる、避寒の為に冬だけサラソタの別荘に越してくるお金持ちの多く住む、観光地よりも落ち着いた雰囲気の町です。芸術支援にも熱心で、町の至る所に彫刻が見られ、音楽祭でも数多くのボランティアと個人や企業の寄付金で運営がなされていました。地域の人々の関心と熱意は、生徒に寄せられる晩御飯の招待の数でも明らかです。毎日の様に掲示板に「水曜日の夕飯、3人、お迎え5;30」と言った招待状が数多く貼り出され、ソコに名前を書くとご馳走になる事ができます。地域の誇りである音楽祭の支援を通じてのコミュニティーの一体感、そして芸術や若者の育成に関わっているのだという意気込みがひしひしと感じられます。私もボランティアの方に一度日本食レストランに連れて行ってもらってご馳走になった他、ピアニスト全員で動物園に招待されたりもしました。海水浴もちゃんとしましたし、プールでも何回も泳ぎました。そして毎晩、こう言う音楽祭では恒例の呑み会が生徒・教授混同の無礼講で行われます。 と言っても勿論、遊んでばかりいた訳では在りません。 振り返ってみて3週間でどうやったらこれだけの事をこなせたのか不思議ですが、以下が私がこの音楽祭で演奏した曲目です。 6/8  ブラームス、ピアノ四重奏3番、三楽章(Selby Libraryでのコンサート) 6/10 ブラームス、4つのピアノ曲、作品119 (クローデ・フランクの公開レッスン) 6/12 プーランク、木管三重奏、二,三楽章(Holley Hallでのコンサート) 6/13 ドビュッシー「月の光」音楽祭の大口個人ドーナー宅におけるコンサート 6/15 プーランクの木管三重奏 (地域の教会でのコンサート) 6/17 ブリテン、オーボエとピアノの為の変奏曲 (オーボエの公開レッスン) 6/17 ベートーヴェン、6つのバガテル、作品126(ジョン・ペリーの公開レッスン) 6/18 ベートーヴェン、「ハンマークラヴィア」(ボブ・レヴィンの公開レッスン) 6/19 モーツァルト、クラリネット三重奏、三楽章 (Holley Hallでのコンサート) 6/21 シューベルト、ピアノ五重奏「ます」5楽章 (オペラ・ハウスでのコンサート) この音楽祭で演奏した4曲の室内楽はすべてそれぞれ4時間から8時間のリハーサルと2~4時間の指導を経て、演奏に備えます。そして勿論、自分の演奏だけでなく、教授や受講者の演奏会も聴衆の一員として参加します。自分が演奏した音楽会のほかに、聴衆の一員として参加した演奏会が約12回、時間にしてざっと20時間位です。 この音楽祭で私はいくつもの忘れがたい経験をしました。ひとつは伝説的なピアニスト、クローデ・フランクの人柄に触れ、演奏を聴くことができたことです。シュナーベルの生徒だったフランク先生はすでに80代半ばです。指は勿論、体中の関節炎のためまっすぐ立つことも、歩くことも不自由で、こう言ったら失礼かも知れませんが可愛いヨチヨチ歩きです。ステージの昇り降りの際は思わず回り中の人間が手を差し伸べてしまうほど危ういのに「よっこらしょ」と転びそうになりながらピアノに向かって歩いていきます。 公開レッスンでは幸せそうに生徒の演奏を聴き、「素晴らしい!何と美しい! 本当にどうもありがとう!」と生徒が恥ずかしくなるほど手放しで褒めてから後、細かい、細かい指導があり、そしてお手本で弾いて見せてくれるとこれがまた、まるで別の曲の様に素晴らしいのです。 ここで生徒は「じゃあ、最初に褒めてくれたのは何だったんだ」と思うのですが、これは生徒同士の話し合いの結果「演奏を褒めたのではなく、曲を褒めたんだ」という結論に至りました。 ヴァイオリンの教授として同じ音楽祭に参加していた娘のパメラ・フランクさんによると、フランク先生はもう演奏することは苦痛なようです。関節炎の為、指が伸びず、ミスタッチが多くなり、納得の行く演奏ができないことを悩んでいるようです。でも、フランク先生がベートーヴェンの最後のソナタ、作品111を演奏したときは、私は言葉で表現するのが難しいひとつの体験をさせてもらったと思いました。彼の体の中に曲の最初の音から最後の音までがすでに完結した一曲としてはっきりと存在しており、彼は聴衆のためにそれを一音ずつ体から出してくれているだけなのです。そしてその体の中の音楽があまりに確固たる物であるために、ミスタッチで演奏が惑わされることは全くなく、音楽が絶対的な世界として実感できるのです。私は80代、90代まで生きて、ああいう演奏家になりたい、とはっきりと思いました。新しい志を見つけられた、と思いました。 もう一つの忘れたくない経験はピアニスト、ロバート・レヴィンに出会えたことです。ロバート・レヴィンは音楽祭の総監督、かつピアノの教授として参加していたのですが、彼は古楽器演奏の一人者でハーバードの教授でもあります。この人は本当に浮世離れをした、知識の泉というか、とにかく一旦音楽についてしゃべりだすととまらないのです。興奮して、どんどん、どんどん話が広がっていき、そして言っていることのすべてが文献や彼が実際にリサーチした事実に基づいているのです。私は何回か20分から50分くらいハンマークラヴィアやそのほかのことについて会話をする機会を持つことができましたが、50分話を聴いたあとは頭ががんがんして、すぐに自分の部屋に戻って教えてもらったことをノートに書き出して整理をしないと勿体無い、という強迫観念で大変な気持ちでした。 第一日目に出会って初めて講義を聴いたあとは、感動して、私はピアノ演奏をやめて、音楽学者になってロバート・レヴィンと勉強するべくハーバードに行こう!と興奮しましたが、何回か話をしているうちにとても及ばないことがわかったので、やはり素直にこのまま練習・修行を重ねよう、と気持ちを新たにしました。 実に、実に、充実した3週間だったと思います。新しい友達にたくさん出会い、知らなかった曲をたくさん発見し、いろいろ考え、いろいろ話し合い、人の考えを知り、自分の考えを深めるきっかけとなりました。

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ベートーベンのハンマークラヴィア

皆さん、いかがお過ごしでしょうか? こうして年に数回の御手紙をしたためていると、本当に時間の不思議を実感します。 9・11が起こった2001年に初めてのリサイタルをさせていただいてからもう7年半、今年で8年目になるのですね。 最初の頃は、暗譜が本当に怖かった。ショパンの24のプレリュードや、ラヴェルの鏡など、短い曲を探したのを覚えています。その私が今年はハンマークラヴィアを学んでいる!これはもう、サウンドウェーブに育んで頂かなければ在り得なかった一大事で、それだけでも私は嬉しいのですが、そのハンマークラヴィアを日本で弾くか否か、という事が今日のお便りの主題です。 ハンマークラヴィアは50分。  32あるソナタの中でも、名実ともに飛びぬけて大曲です。弾く本人はむしろ時間をかけて消化しているし、曲に対して実際働きかける事が出来るので、むしろ聞く方に更なる気力、体力と心構えを要求する曲かも知れない。 恥ずかしながら私は、初めてこの曲を生で聴いたときは、居たたまれずに途中で会場から避難してしまいました。若手の堅実な演奏で、今から思えば多分とても安全無難な演奏だったのだと思う。私の他にも観客の多くが前後して退場していたのを思い出します。 この曲は逸品と言っても、曲を尊重してただ音を並べてもだめな曲だと思う。 ある程度芝居心、と言うか気を張って「間を持たせる」という事をしないと本当にだれてしまいます。それに挑戦してみたい気も多いにします。武者震いしちゃう。 でも、来て下さる聴衆の皆さんに本当に喜んでいただけるか心配です。 去年のプログラムはとても喜んでいただけました。 デモ、理由の半分は私が始めて「普通」の曲を弾いたから、と言うのは否めません。シューベルトの即興曲や熱情、リストのため息などはピアノ・リサイタルの定番だし、有名だから教材にも良くなるので「昔、音大生だった頃に弾いた」、「娘(或は隣のお姉ちゃん等、)が子供の頃練習していた」等、個人的な連想がしやすい。 要するに、親しみやすいと言うのはどのような理由であれ、どれだけ感情移入がしやすいか、という事だと思います。例えばその前の年に弾いたチャイコフキーの「四季」等はそれほど有名では無いけれど、同じ雪国の日本人の叙情に訴えかけるようなメロディーと、題と詩がそれぞれの曲についてくるので、あるはっきりとしたイメージを持って聴け、感情移入がしやすいのだと思います。 それに比べて、ハンマークラヴィアと言うのは感情、と言うのを超越しているのです。 例えば、私が弾いた四季の8月、9月、10月、11月の中から一番叙情的で私の母の一番のお気に入りだった「秋の歌」は5分弱でした。 ハンマークラヴィアの叙情的な三楽章は20分、ピアニストによっては25分です。 この三楽章は、この世の物と思えない美しさです。 人によってはどん底の悲しさ、と言いますが、私はそういうものを達観してしまった、あきらめと言うか、哀れみというか、兎に角、凄いのです。弾いているときはもう頭の中はぶっ飛んでいます。終わって欲しくない。 バッハの一番複雑なフーガを弾いている時に似た緊張感ですが、同時に陶酔感もあります。 ところがそれがついに終り果てて、感情的にもう出し尽くしてしまった時に、すぐにハンマークラヴィアの中で一番難解、かつ難儀な4楽章が始まるのです。 この4楽章が曲者! 弾くのも難しいのですが、理解するのはもっと難しい。 私は弾けるようになったけれども、まだ完全に理解できていないと思います。デモなんだか分からないけれど、急き立てられるようなエネルギーはドンドン盛り上がり、弾き終わる頃には洋服が汗で本当にぐっしょりです。  私は今まで曲を弾きとおしてこんなに汗を書いたことはありません。ちなみに、初めてレッスンでこの曲を弾きとおした次の日、私は上体くまなく筋肉痛で、びっくりしてダンサーの友達に「ずっと長いこと練習していて、練習では何でもなかったのに本番の後筋肉痛になる事ってある?」と聞いてみました。すると、「本番ではアドレナリンが体内を巡っていて、普段苦しいと感じることに麻痺しているので、普段よりも頑張ってしまい、よって筋肉痛が起こる」と、実に納得の行く回答が帰ってきました。 ハンマークラヴィアは凄い曲です。圧倒的です。 どうしましょう、弾きましょうか? デモ、私がこんなに愛している曲を弾いて、共感してもらえなかったら悲しいです。それに、この曲は弾くのもですが、聞くのも本当に疲れます!これは事実です。ハンマークラヴィアを聞いたあと、電車に揺られて夜遅くお家にたどり着くのは、大変ではないでしょうか? 今年のプログラムにハンマークラヴィアを入れるかどうか悩んでいたら、主催者の方から「ハンマークラヴィアを弾けるのは気力体力技術力、全て整っているときでないと弾けないから、やりたい時に是非弾いた方が良い」と励まされて、今年のプログラムの中心にすえることにしました。 今年も皆様に聴いていただけるのを励みに練習を続けています。 どうぞよろしく!!

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ブラームスのピアノ四重奏第一番

昨日、「コルバーン・室内楽・ソサイエティー」というコンサートシリーズの演奏会でブラームスのピアノ四重奏第一番の演奏をしました。 当校の生徒が世界的に活躍している演奏家たちと室内楽共演をする機会を設ける為のコンサート・シリーズです。 昨日の四重奏では私とヴィオラがコルバーンの生徒で、チェロはコルバーンの教授で長年LAフィルの主席奏者だったロナルド・レナード、そしてヴァイオリンはイスラエルから来たハガイ・シャハームと言う人でした。 この四重奏は色々な意味で大曲で、まず長い(40分以上)。 そしてメロディーの多くが悠長である。 弦楽器では割りと簡単にこれ等のメロディーを美しいく歌えるけれど、ピアノでは一音一音をつなげてこの長いメロディーを持続させるのに、かなりの工夫と練習、知恵を要します。 そして最後に構成が非常に大きく、複雑。 自分がピアニストだからピアノびいきになるのでは無くて、これはある程度客観的事実だと思うけれど、弦楽アンサンブルと共演する時、どうしてもピアノ・対・弦と言う風になる。 例えば、ヴァイオリンとヴィオラとチェロが3人で美しいメロディーを奏で合わせた後、全く同じことをピアニストが一人で繰り返すとか、弦が3人で同じメロディーを奏でているとき、ピアノが一人でメロディー以外の全ての複雑な絡み合いを受け持つ、など。 そして音量で言ってもピアノは3人の弦をあわせてもさらに優勢なので、テンポ、強弱、そして和声進行のほとんどの決定権がピアノに掛かってくる。 このように構築が複雑でセクションごとにテンポが変るような曲の場合、ピアニストの責任は多大なのです。このコンサートは話が来たときから正直に言ってプレッシャーが大きかったのです。 まず、私はこの曲は今まで弾いた事が無く、しかもレナード教授が最近手術をしたりで、リハーサルが余り多くできない事が初めからわかっていた(結局2回と本番前の通し稽古だけだった)。 そしてこのシリーズは外部からのお客さんの多い、学校の顔的存在のシリーズで、しかも先ほど言ったような事情から、ピアノの責任が非常に大きいので、このシリーズで演奏した過去のピアノの生徒は大抵非常に苦労していた。 一回目のリハーサルはかなり厳しかった。 ピアノパートは技術的にもかなり難しく、私はピアノパートをきちんと弾けるようにはして持っていったのだが、構築をはっきり把握する所までは勉強が行き届いておらず、セクションごとにテンポが速過ぎる、遅すぎると注意され、何も言えなかった。 さらにチェロの教授とヴァイオリンの客演が初対面でお互い遠慮かライヴァル意識か、お互いへの注意・要請を全て私への注意・要請へと摩り替えてコミュニケーションを図るので、私はとても辛い立場に立たされてしまった。 しかし、私は非常な負けず嫌いなのです!! 一回目のリハーサルの後、私は一気奮発して一生懸命勉強した。 まず、楽譜を分析して構築を把握し、それから録音を聴きまくった。特に、意外にもショーンベルグがこの曲をオケ版に書き直したのがあって、これは非常に参考になった。 正直に言うと、大体のピアニストは室内楽をそれほど練習しない。 暗譜のプレッシャーが無いし、ソロに比べての共演の気楽さもある。私も例外ではなく、室内楽のコンサートの為に必死で練習した経験と言うのは余り無いのだが、今回は頑張った! そして演奏会当日は、一人で一生懸命(遅ればせながら)ブラームスの伝記を読んで、とても悲しい気持ちになって(ブラームスは余り幸せに縁が無かったようです)一人で静かに気持ちの準備をした。 こんなに演奏会の当日、演奏に向けて自己管理に気を配ったのは実に10年ぶりくらいです。 まあ、そういう恵まれた環境にあって、たまたまそうするだけの時間と気持ちの余裕があったという事ですが。プロとして、こういう余裕を持つことはほとんど不可能で、演奏会当日、現地に向けて飛行機に乗ることもたびたびだし、主催者にご挨拶したり、最終打ち合わせ、照明・音響チェックなどであわただしくあっという間に本番になるのが普通。 又、もっとローカルな本番の場合は演奏会当日ぎりぎりまで、別のコンサートの為のリハーサルをしたり、生活の為のアルバイト的仕事を入れたりと、どうしてもそうなってしまうのです。やはり、音楽学生と言うのは、恵まれているというか、甘やかされているというか。デモ、兎に角昨日はそういう自分の状況を最大限に利用して、一日このブラームスの演奏に向けて心の準備をした。 デモ、やりがいがありました。 色々あったものの2回のリハーサルと最終通し稽古を通して私たちはやっと気心が知れたのか、本番中はお互いの意図が手に取るようにわかって初めてぴったりと息が合い、弾き終わって一瞬で観客が総立ちしてくれたのです。演奏中も、200人くらいの聴衆の誰も物音を立てず、楽章と楽章の間でもピーンと空気が張り詰めていて、固唾を飲んで聞いてくれているのが、肌で感じられて心強かった。 邪念無く演奏しきれた。 本当にいい経験だった。

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コルバーン・オーケストラ#1

2007-08学年度、そしてコンサートシーズンが始まった。 コルバーン音楽学校にとっては創立五年目。 去年中続いていた工事がこの夏完成し、敷地内に新しく寮、リサイタル・ホール、キャフェテリア、更なる練習室と教室、レッスン室などが増設された。 このおかげで去年は62人だった全校生徒数が今年から100人、予定されていた定員に達した。 去年始まった木管楽器専攻に、今年から金管とハープ科が新しく加わり、これで学校にオケの楽器が全部そろった事になる。 学校にとっての新たな出発点だ。 カリキュラムにも様々な改善が施された。 例えば、去年まではオーケストラのリハーサルはコンサートの2週間半ほど前から、月・水・金と行われていた。 生徒達は午前中に楽典、音楽史、人類文学、ソルフェージュなどのクラスを大体済ませ、午後オケのリハーサル、そしてその他の時間に練習、宿題そして個人レッスン、室内楽のリハーサルとコーチングをすることになる。 これは私の知る限り、アメリカの音楽学校の多数が行っている時間割だ。 ところが、このやり方だと忙しすぎて練習や睡眠時間が削られる、という苦情が生徒から寄せられ、学校側が改善案として試みているのが今年のやり方だ。 オケのコンサート前一週間、午前中の授業は休みになる。 そしてこの午前中、9時半から12時までが毎日オーケストラのリハーサルに費やされる。 午後の授業は通常通り行われるが、これ等は聴音や副科ピアノなど、実践授業が多いため、宿題などの負担が比較的少ない。 午前中の授業は授業時間を去年より毎回30分長くする事で穴埋めされている。 そうして新しいスケジュールでリハーサルの経過を経たプログラムが、昨夜演奏会で発表された。 私は指揮も勉強しているので、毎朝2時間半このリハーサルに出席した。 曲目は以下だ。 バーバー 「スクール・フォー・スキャンダル」序奏曲 ショスタコビッチ 交響曲九番 休憩 ブラームス バイオリン・コンチェルト それぞれの楽器が上手く紹介できる、よい曲組みだったと思う。 木管や金管のソロも存分にあり、みんな張り切って毎日どんどん上手くなっていった。 そんな中、本番を二日後に控えた木曜日、日本から観光で来た某音楽大学の教授が数名学校の見学にいらした。 学校をご案内し、オケのリハーサルも見ていただいたのだが、その後の辛口な評価にびっくりしてしまった。  私は欲目もあるし、こんなに難しいプログラムを一週間のリハーサルでこのレベルまで持っていくことの出来る、私の友達が誇らしくてならなかったのだが、弦がそろわない、金管が走る、一体学校は何を教えているんだと本当に歯に絹を着せぬ物言いなのである。   美味しいステーキをご馳走になりながらのことだったのだが私は思わず赤面し、自分の愛校精神にびっくりしながら一週間弱でここまで仕上げていること、ソリストを目指している・あるいはすでにソリストとしてのキャリアを持っている弦楽器奏者が多いため、アンサンブル奏法と言うのは二の次になっているかもしれないことなどをあげて弁護を試みたのだが、そのあと色々日米の教育観念の違いについて考えるきっかけになった。 例えば、私は13でアメリカに来た訳で、それまでの音楽教育は日本の私の恩師に負う。 しっかりと基礎を築き上げてくださった事でどれだけ今の私の演奏が支えられているのかは計り知れないし、今でも彼女の耳のよさと批評の的確さには常に脱帽する。 そして、これは私の恩師の判断だったというよりは日本の教授の一般的な傾向ではないかと思うのだが、私は未熟を理由にアメリカに行くまではロマン派をほとんど勉強させてもらえなかった。 拝み倒して「革命」のエチュードを勉強し(映画で見て、憧れたから)、その後唯一ショパンのスケルツォを弾かせてもらったりもしたが、父の転勤で急にジュリアードのプレカレッジの受験をすることになったとき課題として、バッハのプレリュードとフーガや古典のソナタと共に、ロマン派と現代曲が必要で、慌てふためいたのを覚えている。 そして準備したラヴェルの「水の戯れ」は当時の私にとっては超・現代曲だった。 しかしその後、ジュリアードでは一年目だけで、ショパンのノクターン、ブラームスのラプソディーやインターメッツォ、ドビュッシーの「ピアノの為に」等を勉強し、2年目にはラフマニノフの協奏曲の二番を弾いた。 私が急に上手くなったわけではない。 学校教育でもそうではないかと思うのだが、日本では子供の能力で完璧にこなせる課題を与え、完璧に仕上がるまで繰り返すことを求める。 一方アメリカでは子供の能力より少し上の課題を与え、常に子供に背伸びする事を要求して、育てようとする。 芸大のオケは一年に4回定期コンサートをするそうである。 コルバーンは今学期だけで3回が予定され、さらに地域の小学校をいくつも回る訪問演奏会用のプログラムが別にある。 日本の音楽学生は夏の音楽祭などで外国の同年代の演奏家を見て、本番の強さにびっくりする。 私は日本人の上がり症にびっくりする。 もちろん、国民性などもあるのだろうが、でも完璧さに対するプレッシャーがあるかないかの違いもあるのではないか?  さらに完璧を重視する時、人は一般的に細部を固めて進んでいき、全体が仕上がるのは結果に過ぎない。 しかし、大きな課題が締め切り付で与えられた時、全体像をまず把握してから、細部に優先順位をつけて大事な物から固めていく。 効率を考えたら、そうならざるを得ない。 後者をとった場合、確かにおろそかになるディーテイルが出てくるかもしれない。 しかし、音楽学校の定期演奏会に置いて、一番の重要課題は音楽家の育成であって一つ一つのコンサートの完璧さではないのではないか。 さらに若い音楽家にとって、演奏経験とレパートリーを増やすのは一つのコンサートを完璧にこなす事に取って代わるほど重要である。 そして私に言わせてもらえば、昨夜のコンサートは完璧に近かったのではないかと思う。 私の欲目が私の判断を狂わせているのだろうか? いや、そうではない。 みんな超上手くて、そして本番にめちゃくちゃ強い、ツワモノなのだ。 何にせよ、観客総立ちの拍手喝さいだった。

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ベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」

9月6日、日本からLAに戻ってきて実に三日目にして始めて学校内から出て 久しぶりに町を探索していたらば、昔良く共演したNYのジュピターシンフォニーの 主席オーボエ奏者だったジェリーにばったりと出くわした。 お互い2、3歩通り過ぎてから「え!?」と言って振り向いたほど意外な遭遇で「何でLAにいるの?」と同時に叫んでいた。なんと知らぬ間に彼はLAオペラの主席オーボエの座を獲得していたのだ。 そしてその遭遇によって、私は今夜のLAオペラシーズン・オープニングギャラのティケットをゲットしてしまった。 さらに嬉しかったのは、演目がベートーヴェン生涯唯一のオペラ「フィデリオ」だったことだ。私はこの頃深くベートーヴェンにはまっていて、来週末のマンハッタン・ビーチでの独奏会はベートーヴェンのソナタ4曲(作品2-1、2-2、54と「熱情」)を演奏しようと張り切って練習している所だったので、本当に運命を感じてしまった。 オープニング・ギャラなので、皆着飾って来ている。ファッションショーみたいで興味深い。そしてロビーではサービスでシャンペンが配られている。 とても嬉しいが、私はベートーヴェン一筋なのでグイっとシャンペンを引っ掛けて猛然と勉強の為にプログラムを読んだ。(お洒落はちゃんと相応にしていったので、ご心配なく) 「フィデリオ」のあらすじは、こうだ。 スペインの貴族であるフロレスタン(Klaus Florian Vogtドイツ人テナー)は、役人ピツァーロに歯向かい投獄されている。 殺されたのでは、と巷ではうわさされているが、彼の妻レオノーレ(Anja Kanpeドイツ人ソプラノ)は彼の生存を信じ、夫がいるはずの牢屋の管理人(Matti Salminenフィンランド人ベース)の下で若い男”フィデリオ”に変装して働いている。 管理人の娘、マルツェリーネに惚れられ、管理人にも義理の息子とまで見込まれながら、レオノーレは間一髪の所で瀕死の危機にさらされていた夫を発見、助け出す。 勧善懲悪のハッピーエンド。 ベートーヴェンは10年以上(1804-1814)にわたってこのオペラの改正を続けた。このオペラがこれほどまでに彼にとって重要だった背景には啓蒙主義とフランス革命、ナポレオンのヨーロッパ占領・統治などの時代背景がある。困難でも正義の最終的勝利を信じるこのストーリーは歴史的背景と、さらにベートーヴェンの聴覚喪失と言う個人的悲劇から生まれた彼自身の英雄精神の反映と言える。 私が一番感動したのは、一幕目の後半で囚人達がレオノーレの働きかけによってそれぞれ投獄以来初めて中庭にでて日の光を浴びる事を許される場面だ。男性コーラスが囚人として生きる苦しみと、日の光を体感できる喜びを交互に歌うのだが、もう鳥肌が全身に立つほど感動した。 逆に可笑しかったのは夫・フロレスタン役のテナーが物凄く健康的な声の人だったことだ。水も満足に飲ませてもらえないほど虐げられているはずの役なのに、実につややかな健康優良児のような声で、おまけにボリュームたっぷり。全然同情が出来ない。これは配役ミス。そして脳天気みたいにどこまでも高い音が苦労なく出てしまう。 レオノーレ役のソプラノはさすがに上手い。夫を思って歌うアリアで思わず涙してしまった。声が良いとか音楽性とかよりも、本当に役になりきっていることが胸を打ったと思う。 男性の振りをしている女性を歌う、という事で音域も広いし、大変な役だろうに、全然違和感無く感動した。 それからもう一つの大きな見所は監督・演出を手がけたPier’ Alliによる映写を使った舞台演出だった。第一幕は単調なセットで、ただ舞台の背後に牢屋の格子を思わせる灰と黒の太い縦縞が描かれているだけ。 休憩を終えて席に戻り相変わらず縦縞を眺めている…と思いきや序奏が始まるとその縦縞が実は映写で、それがゆっくりとズームインされはじめる。始め観客はその縦縞が休憩前の舞台後方の壁に描かれていたのと同じ物と思い込んでいるため、映画が動き始めると、まるで自分が牢屋の中に吸い込まれていくようなめまいのするような錯覚が起きる。 見事にだまされた。 ただ、観客がゆっくりと驚嘆の声を上げ始めそして拍手を始めたので、第二幕の序曲が一部聞こえなくなってしまった。 そのあとは第二幕全体にわたって舞台背景が映写を利用して奥行きが深くなったり、映画と実際の出演者との組み合わせで舞台上の人の数が物凄く増えて見えたり、色々細かい工夫が多くて面白かった。 本当に今日の午後、散歩の道の選択が一本違っても、タイミングが一寸ずれても起こらない偶然のお蔭でこんなに感動してしまった。

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