11月はありがたい事に毎週末、音楽的にとても大事に思う演奏会を弾くことが出来ました。 それに続いて、12月の最初の週末、金曜日の夜7時から出演する演奏会は 面白い趣向です。 入場料の代わりに、10ドル(約1200円)分の、保存食を持って来てもらうのです。 缶詰、赤ちゃん用の粉ミルク、乾燥パスタ、乾燥食品、豆、米などの穀物、など。 飢えの問題は難民キャンプやアフリカなど、遠い国の事と思いがちですが、 実はアメリカでも日本でも多いにある、見えにくいだけの現象のようです。 ヒューストンでは特に貧困は地域が限定され、 中産・上流下級とは距離があり、寄付の余裕がある人々の多くは気が付かない。 しかし、こういう地域の貧困は本当に深刻で、車を持たない人も多い。 しかし、こういう地域にはスーパーも2キロ半径に無く、 ヒューストンの公共交通機関はあまりにも頼りなく、 買うお金が無いと言う問題だけでなく、 容易に買いに行く手段がまず、無かったりする。 今度のコンサートで集める食料品は全てTarget Hungerと言うNPOに寄付されます。 このNPOはヒューストン界隈で実に3万8000人に食料品を届けるのだ、とか。 今朝初めてのリハーサルで、この演奏会を企画したトランペット奏者が語ってくれました。 私は多いに賛同! こういう演奏会に音楽を提供できることを誇りに思います。
昨日の「時の終わりのための四重奏」の演奏中、 私はこんなことは本当に初めてだけれども、何回か泣きそうになってしまった。 チェリストは泣いていた。 お辞儀の時は本気で泣いてしまい、楽屋で4人で抱き合って泣いた。 「時の終わりのための四重奏」が 第二次世界大戦中にフランス兵士としてドイツの捕虜収容所に居たメシアンが 収容所の中で書いて、初演した曲だ、と言う歴史的事実と 先週のパリ、今週のマリでのテロ惨事、 そして演奏前に 「負の力に抗って創造を続ける世界の全ての人々のためにこの演奏を捧げます」 と言った事、そういう事も今回の感動の理由の一部だったかも知れないけれど でもやっぱりこの曲は部屋を一体にする、 パワフルな、祈りのような曲なんだなと実感した。 お客さんが泣いていたかどうかは分からないけれど、 ゆっくりと始まった拍手はいつまでもいつまでも続き 一人ひとり立ち上がって最後は総立ちになってくれた。 音楽家になってよかった。
今週節目の誕生日が来た。 朝起きたら みなぎるようなやる気と、 憑き物が落ちた様な明るさが実感としてあった。 自分の反応をちょっと心配していた誕生日だったけれど、 沢山の人にお祝いしてもらっていて、楽しみな演奏の機会にも恵まれて、 素晴らしい誕生日となった。 誕生日翌日の昨日はスケジュールがびっちり詰まっていた。 朝の8時から夜の6時まで教えるのは毎週木曜日の事だけれど、 (昼食も教えながら取る、という感じ) その後7時から2時間半、今度の日曜日の演奏会のリハーサルがあったのだ。 でも、不思議と楽しい。 私の生徒の中でも最年少の5歳が昨日、 レッスン室に入ってピアノの前に座って、 最初の一音を弾いてからまじまじと私の顔を見て次を弾かない。 しばらく目を合わせてから、聞いてみた。 「Is there something on my face?(私の顔に何かついてる?」 そしたら、意外な答えが返ってきたのだ。 「Yes…HAPPY!(ついてる…ハッピーが!)」 この事は一生忘れないで、何度も反復して大事にしよう、と思った。 生徒は可愛い。 これから日曜日までは毎日リハーサルだし、その後も結構忙しい。 そしてなんでだろう。 「論文日」とか「論文の夜」とか大きな単位の時間を論文のために割くと 他の事が色々気になってメールしちゃったり、家事をしちゃったり 全然進まない日もあるのだけれど、 忙しいと、20分を利用して意外にぐんぐん捗ったりする。 こう言うのも「惰性の法則」と言うのだろうか? 忙しい日にゲームのように「今日はいつ論文を押し込めるかな}と工夫するのも、 何だか楽しくて、頑張ってしまう。 寸暇を惜しんで論文を書いて、 弾くときは真剣に心を込めて そして笑えるチャンスは逃さずに一々多いに笑って楽しもうと思う。 あ、そう言えば。 横須賀ゆかりのピアニストグループ「スカぴあ」のメンバーが贈る クラシック音楽番組『スカッとスカぴあ』と言うラジオ番組。 11月が私が「ピアノ史に於ける女性観の移り変わり」と言うテーマでお届けしているが 11月21日(土)朝10時半から30分の放送がもうすぐ! 今週のテーマは「クララ・シューマン」。 インターネットを通じて世界中どこからでも生放送をお聴きいただけます。 FMブルー湘南のサイトから、どうぞ! http://www.yokosukafm.com/
ピアニストとして私のしたい事は、言葉以上の思いを音に託して発信すること。 毎週水曜日はヒューストンから南に少し言ったHobby国際空港で クラリネット奏者で私の心の友である麻衣子さんと演奏している。 皆が忙しく行き交う中演奏をするのは、 演奏会場で演奏するのとはだいぶ違う。 色々な人を観察しながら、色々な事を思う。 ヒューストンの大産業の一つは石油に並んで、医療。 Houston Medical Centerと言うのは癌研究で世界先端と言うこともあり、 沢山の医者や患者がヒューストンに最新の医療技術を求めて来る。 昨日は弾きながらその事にふと、思いが飛んだ。 今こうして闊歩している人たちのどれだけが患者さんとしてヒューストン空港に来たんだろう? あるいは患者さんのお見舞いに来ている、家族の方々なんだろう。 最近、2歳の子が、お母さんに一生懸命 「いたいの、いたいの、とんでけー」とやっているのを見た。 私がピアノを弾きながら、色々な方の安心を願うのは、 実際には「いたいの、いたいの、とんでけー」と同じかも知れない。 でも私は「いたいの、いたいの、とんでけー」の行為と伝統に込められた、 『愛』みたいなものも、愛おしいと思う。 そして、それは確かに私たちを色々な意味で癒してくれる。 いたいの、いたいの、とんでけ~。
私は音楽を演奏することで世界平和を祈願します。 11月13日のパリでの多発テロは、私たちのメシアンの最初のリハーサルの前日だった。 129人が殺され、352人が負傷。 4月に起こったケニヤでの147人の死者を出すISISの暴行も、 パリと照らし合わせて再び注目を浴びている。 メシアンの「時の終わりのための四重奏」がインスピレーションとしている 新約聖書の黙示録も、急進派と読めなくもない。 異教徒を世界から残酷なやり方で抹殺する、と言う内容の描写が延々と続く。 人を人類愛にもたらすためには、究極的には手段は何でも良いと思う。 理想的にはどの宗教だって人類愛を目指しているのだと思う。 でも多様な宗教観がお互いに相いれなかった時点で、 相手を抹殺と言う思考に走るのは歴史的に何度も、何度もあった訳で、 そういう危険性もあるんだと思う。 宗教以外に人を人類愛に導いてくれるものとして、私が考え付くのは: 家族の絆、母性、文字通りの隣人愛、『恕』とか同情する気持ち… 私は、少なくとも私の人間形成に於いて、 音楽と言うのはこの最後の「恕」とか同情心をいつも助けてくれている、と思っている。 練習して作曲家の歴史的背景、人生状況、作曲家に影響を与えた人々に思いを馳せる。 初演を聞いたであろう聴衆の反応に思いを馳せる。 演奏の度に、私の発する音波が空気を通じて、 聴いてくださる方々の鼓膜だけでなく体全体に通じるんだと言うことを肝に命じて 自分の一番純粋な気持ちを鍵盤に伝えるように心がけている。 毎日の練習を始める度に、自分がなぜ音をコミュニケーション手段に選んだのか、 音楽に自分を託すのか、考えながら最初の一音を出すようにしている。 私にとって、音楽は個人的な宗教の様なものである。 そして私がそう言う教育を受けられ、ここまで来られたのは、 色々な人の「愛」(敢えて愛と言うぞ)があったからだと信じる。 私の音楽は私個人の願いだけでなく、 私の音楽に思いを託して養育してくれた皆の『愛』がこもっている。 今週末、誕生日を祝っていただいた。 ヒューストンのお友達が集まって、盛大にごちそうを食べて、 手作り黒ゴマプリンにロウソクを立ててもらって吹いたりもした。 その愛も受け止めたぞ! 今日の練習、これからの演奏に、しかと受け止めた愛をこめて、発信するぞ! 非常に、非常に間接的だけれども、 音楽を発信し続けることで、皆が音楽に気持ちを託せる平和な世の中になることを、 毎日祈ります。 誕生日に私が頂いた愛のごく一部。 あれから毎日見て、ニコニコしています。 、