音楽家の脳が非・音楽家の脳と違うと言う事実、 いかに違うのか、なぜ違うのか、 脳が違うから音楽家になるのか、それとも音楽の訓練を受けて脳が変わるのか、 そう言う事が今、神経科学のホットトピックだ、と言うことはもう何年か知識がありました。 また、「音楽と脳」と言うその分野では当時(1977)画期的だった本を 高校生の時からなぜか持っていて愛読書にしていたり、 「音楽の心理学」と言う授業を学部生の時にとったり、 最近では「音楽嗜好症(Musicophilia)」と言う神経学の権威の書いた本を何度も読み直したり その分野には昔から興味がありました。 今執筆中の暗譜に関する博士論文も、 元々は心理的や脳神経科学的な面をもっとリサーチしたかったのですが、 その方面の学術論文は沢山あり、代わりに暗譜の歴史に関する論文がほとんど無かったことを知り、 それで「暗譜の起源と発展」について書いている次第です。 例えばパーキンソン患者のリハビリは音楽を聞かせながらやると効果が激増する。 事故などで脳の一部に破損してしまった患者さんに音楽を利用させると素晴らしい効果がある。 例えば) 1.長期記憶を全くなくしてしまった元・ピアニストの患者さんは3分以上の記憶が出来ないのに、20分の曲を暗譜で弾きとおすことができる。 2.言語能力を失ってしまった患者さんに、言いたい事をメロディーに乗せてもらうと、ちゃんと意思疎通が図れる など。 本当に音楽の持つ力と言うのは底知れないのです。 今日は、ヒューストンにあるMedical Center for the Performing Artsと言う 音楽家の脳の研究やそうですが、 音楽家や舞踏家特有の、使いすぎによる体の故障の治療などを専門にする病院で 音楽を聞いた時の音楽専門家の脳の反応の仕方を Functional MRIで測定して、非・音楽家の脳の音楽に対する反応の仕方と比べる、 と言う研究の被験者となりました。 fMRIと言うのは初めて体験しましたが、機械自体がとてもうるさい! それで耳栓をして、その上にヘッドフォーンをして、 そのヘッドフォーンを通じて流れてくる音楽を聴くのですが、 機械の音にも脳は反応しているはずで、これをどう差し引くのかな~とか、 例えば私のその日の心理状態とか、体調とか、そう言うのはどう差し引くのかな~とか、 色々疑問はありました。 何しろ、全く動かない状態で1時間以上、 30秒ごとに音楽と沈黙を繰り返して聞かされるのですから、色々考える時間があります。 それに、暖かくて心地よくって、私は眠って夢まで見てしまいました。 その夢の部分はどうやって差し引くのでしょうか… しかし、私の素人的な疑問はさておき、 脳のイメージを見せてもらって、その美しさにびっくりしました。 (自分の脳だったからと言ってうぬぼれている訳では在りません…多分) コンピューターで3Dで観られるイメージはマウスのクリックのみで色々な事が出来るのですが、 例えばシノプシスの電流がどちらの方向に流れているのか (上から下、下から上、前から後ろ、後ろから前、右から左、左から右) 色分けできるのです。 (斜めとかは、無いのでしょうか?…どうしても天邪鬼的疑問が多い私です) こうして観た脳と言うのは、まるで現代アート。 ハっとするイメージです。 もう一つ面白かったのは、クラシックのピアノ音楽を沢山色々聞かされた後、 何故かカントリーミュージックをかけたとき、 私の脳がそれまでとは全く違った反応をしたようなのです。…
日曜の朝、起きてベッドでぐずぐず… 寒くなったせいもあるが布団の中で携帯で動画を立て続けに見たり なんとなくまったり過ごしてしまった。 一昔前の私は、目が覚めるとベッドから飛び起きて洗面もそこそこ練習室に向かっていた。 そうしないと早いもの順の練習室、自分の好きなピアノが取られてしまう! 本当に出遅れると、練習室が埋まってしまい、 空き練習室を求めて練習室の周りを巡回したり、廊下に座り込んで待つ羽目になる! 質より量で練習していた。 本当に修行の様な毎日だった。 最近の私からは想像も出来ない… 大変ありがたい事に場数を踏んで経験を積み重ねる幸運に恵まれた私は 良い意味でも悪い意味でも、演奏に向けての準備、そして演奏をする、と言うことに慣れた。 昔は寝る間も削って準備しないと怖くて演奏に臨めなかったが、 今は良い意味で度胸、悪い意味でふてぶてしさが身に付いた。 精神安定剤と言う意味で練習する必要がなくなって、 社交や勉強、そして人生経験のために時間を使えるようになったのは 音楽のためにも良い事だが、 同時に完璧さや技術の向上を求める自分に対する厳しさをもう一度見直さなくては、 と今日、ベッドの中でのぐずぐずの後に、しばし焦燥感を覚えている。 演奏の数が増え、場慣れしたとか言っておきながら、 演奏会をこなす度に、達成感から来るご褒美で自分に休息を許してしまう。 しかし演奏会が増えているので、今では一週間に一回、時にはそれ以上 自分に「休息日」を許してしまっている。 だめだ、こんなんじゃ! 博士論文のリサーチで色々な分野の沢山の論文を読んでいる内に OK Plateauと言う概念について知った。 (日本語では「OK停滞」と訳すようです。http://www.lifehacker.jp/2012/09/120926okplateau.htm) 自分の現状にある程度満足してしまい、現状維持だけで向上心をなくしてしまう状態。 私はそんなのはつまらない! 死ぬまで向上したい! 私の目標は 「死ぬまで毎日、日々のピアノの修行を通じて、 ピアニスト、音楽家、そして人間として少しずつでも上達していく」 今日からそこに「より美しくある事を追及する」を付け加える! 「美しい」と言う基準は曖昧であるけれど、同時に包括的でもある。 人道的な行為を私は、非人道的な行為よりも、美しいと思う。 筋の通った理論、自分の理論を行動に移せる決断力を全て、私は美しい、と思う。 無駄の無い効率の良さ、歯切りの良い物言い、潔い行動力も、美しい。 なぜ最近元気が無いのか、セラピストに相談したら 「記念日症候群」と言う概念について教えてくれた。 自分で意識していなくても、記念日には喪失感に襲われる、と言う現象だ。 そう言えば全く考えもしなかったが、 私が元・婚約者、現ストーカーであるサイコパスと付き合い始めたのは 丁度去年の今頃、ドンピシャである。 でも、言い訳なんて言うのは探せばいつでもいくらでも見つけられるのである。 残るのは、その時々の心理状態では無く、やったかやらなかったか、だけである。 私はちょっとした鬱なんてものは、行動を持って対処する。 寝て回復を待つ、何てことはしない。 受動的な姿勢は、私には美しく思えない。 忍耐力や辛抱強さは美しく在り得るけれど、私は能動的に忍耐する。 私は練習して、論文書いて、演奏活動を続けながら辛抱する。 さあ、気を取り直して! 今日も頑張る!
本番当日、どれだけの何をいつ食べるか、と言うのは割と切実な問題である。 演奏と言うのは、結構スタミナが居る。 2時間、集中を切らさずにベストを尽くしたい。 その為には肉が良いと言う人、肉はだめと言う人、 炭水化物を推奨する人、炭水化物の中でもパスタ、ピザ、米、パンととても特定する人。 砂糖がダメ、カフェインがダメと言うのは割りと一環している。 水は気を付けてがぼ飲みする。 しかし、食べられるのは余裕がある方らしい。 私はそういう問題は至ってないが、 神経質な人は本番当日食べられない、と言う人もいる。 朝から何も口にしないで本番を乗り切るのはつらいだろう。 大きな本番の前は数週間、食が細る、と言う人もいる。 私にはまったく縁のない問題である。 そしていつ食べるのか、と言うのも問題。 本番直前に食べると、消化に血が回ってしまい、集中が出来ない。 と言うことで本番前の夕食は抜く人が多い。 じゃあ、何時間前なら良いのか、と言うのはすぐにお腹がグーグー言う私には 非常に切実な質問。 本番直前の3時間前なら、と言うのが一般的だが、 しかし本番は大抵2時間。 本番が終わったら最後の食事から5時間。 ペコぺこではないか… と、言うことで私は個人的には本番前の朝食と昼食はかなり食べる。 そして本番直後のお祝いの宴は非常に美味しく沢山いただく。 音楽家に食いしん坊が多いのは、こういう事情があるのである。 昨日は本番成功の後、お祝いで本格派イタリアンをごちそうになりました。 美味しかった~!
アメリカに居ると本当にお風呂に浸かる習慣から遠のく。 何年もシャワーだけで過ごすなんて結構普通にあるし、 第一風呂桶が無い、シャワーだけのアパートも貧富の差関係無く沢山ある。 セントラルヒーティングが完備していること、 洋風の風呂桶は浅く、すぐ覚めてしまって「浸かる」「湯を愛でる」と言う文化が無い事、 色々理由はあると思うけれど、 私はやっぱり日本人なのだろうか? 最近寒くなって来て、 何だか布団から出るのが後ろ髪をひかれるようになって、 自分を元気にするつもりで朝ぶろに入ってみたら、これが素晴らしかった。 それ以降毎朝、マイブーム。 気持ちよい! 元気になる! それにしても、音楽人生と言うのは本当に特権階級だなあ、と思う。 お金は無いかも知れないが、自由になる時間がかなり多い。 朝は朝ぶろにゆっくり浸かれるし、気分が乗らなければ練習は後回しでも良い。 ゆっくり朝ごはん作ったり、ブログ書いたり、物思いにふけったりできる。 そして何より、仕事が自分が大好きな音楽だ。 幸せ。
昨日は久しぶりにオーケストラのリハーサルを聞きに行った。 指揮をかじったことも在るので、オケのリハーサルは一時期はかなりの頻度で通っていたが、 それを辞めた理由の一つは指揮者と奏者の関係と言うのが見ててつらかったと言うのもある。 この映画予告編は一年ほど前にブログに載せた記憶があるが、もう一度載せてみよう。 勿論、これはジャズバンドの話しだし、フィクションだし、映画だし、 これがこのままクラシックのオケ業界に当てはまると言っている訳ではないけれど、 でも指揮者が奏者に対して持つ権威、そしてだから起こり得るパワハラと言うのは かなり切実な問題だと思っている。 昨日見た指揮者は有名で、非常に効果的。 特に大学生レヴェルのオケを教育指導するのに一目置かれている。 しかし彼は昨日はかなり焦っていた。 コンサートまであと2回しかリハーサルが無いのに、 オケのモラルが落ちている。 実力の半分出ているか。 感謝祭とクリスマスの間の宙ぶらりんの時期。 学期の最終ダッシュ―期末試験、ペーパー提出、休暇の計画… オケの団員は青春真っ只中の学生なのである。 オケが必ずしも人生の最大重要事項ではない。 恋愛問題に悩む子も多いだろう。 家庭が複雑な子も居るだろう。 将来に悩む子は、ほとんどだろう。 そういう80人を2時間半、こちらに向かせて精一杯集中させるのだ。 そして自分の人生がかかって居るかのようにベストを尽くさせる。 並大抵の事ではない。 脅しや威嚇や皮肉が出るのも、分からないでもない。 厳しい道を選んだ音楽家の卵たち。 これから彼らが直面するであろう困難への訓練、と思えば愛情でもあり得るのかも。 でも、どこまでが愛情でどこからがパワハラなのか。 厳しい競争社会の中、セクハラ、パワハラが歴史的に横行する狭き門の業界への準備期間中 本当はこうあるべき理想郷、お互いへの尊重や応援を全面に押し出す教育と言うのも 良いのではないか?