音楽人生

練習に論文ー素晴らしい日!

今朝、早めに目が覚めたので早めに登校したら 素晴らしい朝焼けのうろこ雲が空一面に広がっていた。 思わず写真を撮ってしまった。 写真を撮ったら更に嬉しくなってしまった。 「愛でる」と言うのはこういう気持ちの事を言うんだな、と思いながら どうやったらこのすがすがしさ、この広大さ、この気持ちよさを捕らえられるだろう、と 色々頑張ってみた。 そうやって気持ちよく始められたから、かな? 今日は練習も、論文執筆も本当にはかどった。 面白くてたまらなかった。 ああ、でもずっとそうだった訳では無い。 集中力を高めるために、私はYouTubeでホワイトノイズを探したりする。 大抵いつも「Nature Sound No Music」で検索する。 今日はこれを試してみた。 そしたら、ものすごい睡魔に襲われ、ついにのびた君状態で机で寝てしまった。 これはいかん! あわてて今度は「Energizing Nature Sound」で検索した。 そしたら引っかかったのが、こちら! これをヘッドフォンで聴きながら(ヘッドフォンでないと効果が無いと書いてある)リサーチしたら何だかすごい楽しくなってきたのである! 怖いくらいだ。 でも、これからはこれでイコッと。

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知らない言葉で暗唱

「なんで日本のオペラ歌劇団が日本人の聴衆にドイツ語で歌うのか?」 二期会制作、モーツァルトの「魔笛」を録画鑑賞して家族で観たときの父の素朴な感想である。 …確かに… ただ、それぞれの言語の持つ独特の持ち味や文化背景もあり、 それを踏まえてその言語のために作曲した音楽をそのまま…と言うのがオペラ文化なのだが。 でも、訳して上演されるオペラも、少数派ではあるが、ある事はある。 大抵はこの頃は字幕スーパー付きで、原語で上演される。 が、歌手がそれではイタリア語、ドイツ語、フランス語、 そして他にも主流ではないがロシア語やチェコ語や云々を本当にしゃべれるのか、と言えば 建前上は勉強はしているのだが、もちろん多数の言語の中には得意不得意も出てくるし、 大抵の歌手は発音の勉強は音楽の一環としてやり、意味は大体ワキマエルと言うのが現実らしい。 そして器楽演奏も似た様なものではないか? 要するに、自分のしゃべらない言語で書かれた詩を暗唱するような。 その西洋音楽と言う言語への理解が深まれば深まるほど 詩への理解も深まり、そして簡単になってくるのだが、 それにしてもじゃあなぜ、自分の生まれ育った言語=音楽で自己表現をしないのか。 その問いの悲しい答えの一つは、 21世紀の日本人が日本人として生まれ育った日本特有の音楽が少ないから、と言うこともあると思う。 そして私たちは皆(そしてその中でも特に日本人は)チャレンジが大好きである。 西洋音楽のような複雑な音楽の場合、チャレンジは満載! 日曜日には地域の歌劇団(Opera in the Heights-素晴らしいグループ!)の上演する イタリアオペラ「Pagliacci」を見る幸運に恵まれた。 イタリアオペラの中でも「Verismo(現実主義)」と言われるジャンルを代表する悲劇で 1892年に初演された傑作である。 勿論イタリア語。歌手は全員アメリカ人。 でも、将来への不安と結婚への不満からついしてしまう不倫、嫉妬など 時代や文化、言葉の壁を超えた普遍的な人間テーマで どんどん引き込まれて、本当に舞台の上の人間模様に感動した。 原語でやるもう一つの理由は、 原語の壁を超えた共感 「人間みな兄弟」「音楽は世界の共通語」 と言うことを確認する感動があるからかもしれない。 さかのぼるが土曜日には、ヒューストン日本人会が主催する敬老の日イベント 「敬愛会」に参加し、数曲添えさせていただいた。 その際、出し物の一つとして琉球太鼓のグループのパフォーマンスを見た。 驚いたことに、グループ5人の中で少しでも日本あるいは沖縄の血が入っているとみられたのは一人。 後は全員、明らかに日本人出ない人たちであったのである。 しかも息をつかせない見事なパフォーマンスで物凄い気迫で息もぴったり。 異文化の伝統芸にこれだけ打ち込む外国人。 自分に共通するものを見出して、本当に嬉しくなった。

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My Favorite Things

自分で言うのもなんですが、私はかなりタフだと、自分で思っている。 大抵の事に動じない。 もう少しか弱かった方が可愛げがあるのかな、とたまに思うほどである。 脳天気なほどポジティブで、逆境になればなるほど張り切って行動的になったりする。 そんな私だが、眠れない夜は苦手である。 らしくもなく、ネガティブ思考に走ったりして、そんな自分に驚いて、あたふたしてしまう。 眠れない理由がはっきりしていても。 例えば昨晩は、明らかに時差ぼけ。 疲れているのに眠れない。 眠れないこと自体を心配しているうちに、他の事も心配になってくる。 こうやって書き出すと滑稽だが、楽しいものではない。 そういう時には、楽しいこと、自分が好きな事を考えよう! …と、やっと正午を過ぎて元気を取り戻し始めている。 これを聴きながら、私のFavorite thingsのリストをお読みください。 <iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/0IagRZBvLtw" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> 1.我が愛しの妹。 …生まれたときから大好きだった。誕生日が3年違いの同じ日で、そのせいか双子のように以心伝心できる、と二人で信じて育った。放課後、それぞれのお友達のお家にお呼ばれして、出されたお菓子は必ず半分持って帰って、お家に帰って交換した。家族みんなを和ませてくれる天使のような妹です。 2.家族で食べる朝食 私が子供のころ病気勝ちだったこともあり、我が家の食生活は非常に健康(ありがとう、お母さん)!毎朝、ホームメードのヨーグルトに黒ゴマ黄粉とバナナとブルーベリーとプルーンを入れて、その日の果物と一緒に食べます。毎日同じ朝食だから、準備もルーティーン化されていて、役割分担して手早く準備し、みんなでニュースを見ながら食べます。なんでも無い事だけど、平和を感じます。そして、どんなに熟していてもバナナをきれいに輪切りにして、きれいにヨーグルトの上に並べていく父の職人技も大好きです。 3.熱中する練習。 本当に没頭してできる練習と言うのは、非常な充実感と意欲に満ち溢れ、すごいものである。練習しながら、音楽だけでなく、身体の動かし方、重力や物理、音響、音楽の歴史、音楽の理論、歴史一般、言語と音楽の関係など、自分の拙い知識を総動員して色々な事を超スピードで考えている。そして、音楽に触発されたイメージが続々湧いてきたり、ストーリを思いついたり、突然突拍子もない哲学的な観念を思いついたりする。そういうものがあふれ出てくると、興奮を閉じ込めていられなくなってつい「ウォー」とか「ワ―」とか雄たけびのようなものを上げてしまったり、おいおい泣いてしまったりする。最高である。(が、雄たけびは気を付けないと。真夜中の練習室で雄たけびをあげて、警備員がびっくりして駆けつけてきたことがある。) 4.はっきりとした目的意識 明確な目標がある時、それに向かってイノシシのようにまっしぐらに突進するのは大好きである。例えば急に演奏会のオファーが来た!あと数日までしかないけれど新曲を弾かなければいけない!ぐおーっと練習する。 …今回のストーカーの件で私が怖がったりしなく、みんなをびっくりさせるくらい行動的でいられたのは、彼が他の人の財産を充てにして生きる寄生虫のような確信犯で、過去に色々弱い者いじめの前科があり、どうしても正当化できない悪者だったから、「正義は勝つ!」とグオーっと突進できたのである。警察の人手が足りないとか、法律が完璧でないとか、お役所仕事、とか色々な理由で、逮捕状がでるまでに物凄い時間が経過し、逮捕状が出た今でも、彼がまだ自由の身と言う、本当に不本意な状態で、それも眠れない理由の一つ。でも、私はどう考えても正しい。悪い物を悪いと言うのは、社会人の義務だ!私はまた突進するぞ!グオー。 5.成功した演奏会の思い出。 今回の千葉の演奏会で、自分の流した涙の後が点々と付いたシャツを見せに来てくれた女性。 末期がんの方が家族と一緒に私の演奏会に来てくださった。その方が逝ってしまわれたあと何年も、私の演奏会に遺族の方が毎年いらしてくださっている。 協奏曲の演奏で、言葉の通じないオケの団員と、リハーサルがあまりできなかった急遽ピンチヒッターの指揮者との共演が、みんなの緊張感からびっくりするほど良い物に仕上がった。すごい一体感でそのまま寝てしまうのには忍びず、みんなで歩いて近くの海まで行って大騒ぎをした。 6.次のプロジェクトに対してワクワクする気持ち。 子供のころから、書きたい作文とか物語の一文を思いついたり、曲に対する構想が沸き上がってきたりすると、居ても立っても居られない、そわそわした気持ちになった。今もそう。今楽しみなのは、11月の演奏会。テキサス出身かテキサス在住の存命の作曲家を5人集めて、彼らのピアノ・ソロ曲特集。楽しい曲も、挑戦しがいのある曲も、みんな楽しみ! 7.書く、と言うこと。 ブログとかを書くのも好きなのですが、私の書くと言う行為のルーツはやっぱり鉛筆と紙。昔、就職面接で同じ質問をされた妹が「お姉ちゃんは、生き延びるための必需品はすべてそろっている無人島に一年流されるとしたら、3つ何を持っていく?」と聞かれて『紙と鉛筆と消しゴム』と即答した。音楽関係の物が一つもないのに、自分でも後からびっくりしたが、その時は「書きたい」と言うことしか思っていなかった。それから学術論文をリサーチして書くのも、好き。没頭すると、それこそ「ウォー」と叫びたくなるくらい、楽しくなります。さすがに図書館では叫びませんが。 8.私の素晴らしいお友達たち 私は何度も言うように没頭型なので、一度没頭してしまうと周りが見えなくなってしまう。本に熱中して、駅を何個も乗り過ごしてしまったり、時間を忘れて練習にふけってしまったりもするけれど、周りに居る人々を顧みることを忘れてしまうこともある。小学生のころ、級友に本を隠された。一度本を読み始めると熱中して、授業中でも5分休みでもずっと読みふける。「一緒に遊べなくてつまらない」と言う理由で本を隠されたのである。大人になってからは意識して感謝を表明したり、もう少し大人げある、責任ある行動を取るようにしているが、やはり生来の性格はそういう風なのである。だから自分がどうしてこんなにも素晴らしい友情に恵まれているのか、本当に時々不思議になる。そして本当に感謝している。何十年と言う友人を始め、沢山の友達と、本当に心から語り合える良い関係を持たせてもらっている。私が色々な意味で尊敬できる素晴らしい人々だ。音楽家の方も、そうでない方も、私の常識からは少し外れた人生を面白く見守って、理解して、応援してくれている。そして私が間違っているときはびしっと言ってくれる。いつも、私は同じだけの友情を返せているだろうか、と考えて不安になるが、みんな大好きで、本当に大事である。 9.ランドムな見知らぬ人のやさしさの思い出。 大学一年生になったばかりで、マンハッタンでの一人生活が不安だらけだったころ、暗くなりかかったブロードウェーを歩いていたら、物乞いのホームレスに「Cheer up, it’s Friday!」と声をかけられた。 ある日、なぜそんなに悲しかったのか、泣きたい気持ちでNYの地下鉄に乗り込んだら、私の真向かいに座った男性が仕切りに「笑ってごらん」と言うように笑いかけてきた。一生懸命笑って見せようとしたら、涙がこぼれてしまった。私も恥ずかしかったし、彼もあわてていたのだと思う。次の駅で降りる際、うつむいて泣いている私の肩を「トン、トン、トン!」と物凄く勢いよく、タップして降りて行った。下車までの数分、どうやってコミュニケートして元気づけてくれようかと一生懸命考えてくれていたのに違い無い、と思ったら、ほろりとした。 まだまだありますが、段々元気になってきたし、出かける時間も迫ってきました。 外は快晴!今日も楽しみが一杯待っているぞ! エイ、エイ、オ~!!

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演劇と演奏

今日はハワイ王朝とそれがアメリカの圧力に屈服するまでの歴史に触れました。 1893年一月の一週間ほどのあいだに起こったアメリカの乗っ取りの際の出来事を、 当時の原住民や日本、中国、ギリシャなどの国からの移民の視点から描いた歴史再現劇を、 ハワイ王朝の宮殿や、現在の州議事堂の周りを歩きながら体験する、 ウォーキング・ツアーに参加したのです。 まず、簡単に歴史的な背景を。 1810年にカメハメハ一世によって統一されたハワイ諸島はハワイ王国となりました。 欧米の宣教師などが1820年くらいから移住し始め、 彼らに教育を受けたハワイ王国はサトウキビの生産などで経済力をつけ 1840年にはカメハメハ3世が市民の権利を庇護する憲法を書き、 1843年にはフランスやイギリスから独立国家と認められるまでに。 1875年にはアメリカとハワイ王国の間に友好貿易条約が結ばれ、 砂糖の輸出によってハワイは非常に豊かな国となります。 ところがここで、ハワイ王国が結局、米国の勝手な利欲の犠牲になるべく 一環の出来事が起こり始めるのです。 ハワイの土地を買い占めて、サトウキビ農園を経営していた欧米人たち。 この人たちは日本人や中国人移民を契約を交わして雇っていたにも関わらず 契約違反の非人間的な労働条件でこき使っていました。 この人たちがまず、ハワイ原住民やこれら契約小作人の投票権を取り上げ、 行政のコントロールを取ろうと色々やり始めたのが1887年。 それにアメリカ大使、そして最終的にはアメリカ政府までが加担して ハワイが戦争などの作戦上、有利な地理的条件にある事もあって 1898年にはハワイは乗っ取られてしまいます。 1959年にハワイはアメリカの州となります。 1993年にはクリントン政権のもと、かつてのハワイ原住民の独立国家を抑圧したとして、 アメリカは正式な謝罪を発表しました。 ウォーキング・ツアーは特に1893年一月の一週間の出来事に集中して、 女王がいかに、流血を防ぐべく、この一連の悪意と抑圧に対応したか、 原住民がどのように女王を支持し、署名運動など非暴力に徹したか、 むしろ、ハワイ王朝の憲法によって白人の圧迫から守られていた 中国人や日本人の移民労働者たちの方が「女王のために戦う」と意気込んでいたか、 場所を移動することで、場面や時間、そして語り手を変えながら進行します。 役者にも、観衆にも、多くの原住民、あるいは原住民の混血の人がいます。 勿論、観光客も多いのですが、 役者の熱演のどこまでが私情なのか、演技なのか、分からない。 息が苦しくなるような演技、そして観衆との一体感です。 その中でも私が感銘を受けたのは女王の役をやった方の演技と、 日系移民の役をやった方の演技です。 女王の台詞は宮殿の前で、 自分の指示を仰ぐ自分の臣下のためのスピーチの形で行われました。 宮殿と言っても、私がヨーロッパで見た宮殿とは比べ物にならない、 アメリカの金持ちの豪邸にはもっと大きなものもあるかもしれない、 優雅ではあるけれど、威圧的では全くない、まあ大き目な建物です。 そのポーチに立って、国民の理解と忍耐を促し、兎に角流血を避けるようスピーチする女王は 国民に対する母性的愛情にに満ち溢れた、本当に涙が出るような真剣で悲しいもので、 私はもう心の底から 「今からハワイ原住民になってこの人に仕えたい!」 と、一瞬思ってしまいました。 そんな私の表情を見取ってか、 それともこれは演技の一環として毎回同じジェスチャーなのか、 スピーチを終えて、私たち観衆の間を通り抜けて退出する際、 私に手を差し伸べてぐっと握ってくれたときは私は本当に感動しました。 日系人移民の役をやった役者さんは、実は私は昨日会っていました。 私を今回ハワイにお招きくださった真里さんのお宅で昨日 ミニ・コンサートと公開レッスンをやったのですが、

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練習のし合いっこ‐ハワイにて

日本での演奏活動を終えて、ヒューストンでの演奏・教え・論文執筆生活を始める前に ハワイの友人のところに身を寄せて、小休止を取っている。 そのハワイの友人と言うのは、私がとっても尊敬するこういう人である。 http://www.mariyoshihara.com/bio-j.html 私たちの友情の馴れ初めは、 彼女がハワイ大学での教職から一年サバティカルを取った2003年から2004年、 当時私が住んでいたNYに来た事に始まる。 彼女は、のちに日本語訳も出版された 「アジア人はいかにしてクラッシック音楽家になったのか」 のリサーチをするためにNYに来ていて、 私は「その主題にはとても興味がある!」と言って インタビューしてもらったのだ。 図々しく立候補したおかげで、本の中で私の名前を一杯出してもらった。 彼女は日本語でも英語でも色々な興味深い本を沢山出版している。 翻訳も手掛けている。 ハワイ大学で教授をしている。 そして、彼女の分野で非常に権威のある学術誌の編集者までしている。 それなのにいつもFacebookに居て、 物凄く小まめに自分の冷蔵庫が壊れたとか、写真付きで発表している。 そして私が近況報告を乗せるとすぐさま一番最初に「いいね!」してくれる。 なぜ、そんな事が可能なのだ… 私はひそかに (この5日間の共同生活で、彼女の時間管理の秘伝を徹底分析するぞ!)と意気込んでいた。 彼女はNYに居る間しばらく、私のピアノの生徒でもあった、 すごく熱心なアマチュアピアニストでもある。 「お仕事の邪魔になるなら、練習はサイレント機能を付けて…」と言う私の遠慮に 「いや、練習を聴くのは私のためになる」 とはっきりと言ってくれ、本当に私が練習する間ずっと ピアノのそばのソファで、聴いているのか、仕事をしているのか、 良く分からない状態で居る。 私の練習秘伝をひそかに徹底分析しているのかも知れない。 ちょっと緊張して、ちょっと嬉しい。 思わず、いつもはしないような、模範的な練習をしてしまう。 (こうやってやると、はかどるよ) (こういう工夫をすると、短時間で難度の高いパッセージが弾けるようになるよ) と、自意識過剰な練習をしていると、何だか結局私の方が恩恵を被っている。 そして私が自分のブログを書いたり、 非常に遅滞しているメールの遅れを取り戻したりしていると 今度は彼女が、すごく模範的な練習をしている。 すごく面倒くさいパッセージ練習とかも、手を抜かずにやっている。 嫌いな野菜のような、「ためになるのは分かっているけど…」的練習曲も 文句は言いながらだけれど、ちゃんとやってる。 本当は私はブログやメールを書きながら人の練習を分析するなんて言う聖徳太子のようなことは出来ないのだが、彼女もやはり私を意識しているようである。 こういう風に練習できあえるなんて、素晴らしい! 励みになるし、楽しいし、練習の効率も二倍! 一人で練習していると、気が付かないうちに頭がお留守になり、 手だけが惰性で同じことを繰り返していると言う「練習もどき」になりがちだけど、 こうやっているとそれが出来なくて、気が付いたら弾きにくかった物が弾けるようになってる! そして変わりばんこに練習しながら、 練習していないときにはFacebookがいつの間にかお互いの名前付きで更新されている。 ちなみに彼女の時間管理の秘伝はまだ解明されていない。 昨日も一昨日も彼女のお友達と飲んでいたし、 今日のお昼は楽しい飲茶、 夜も社交の予定がある。 いつ、仕事をして居るんだ…わからん!

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