音楽人生

ヒューストンのホビー空港で演奏!

11月の毎水曜日はヒューストンから南に少し下ったHobby空港で4時から7時まで演奏しています。 私の心の友、そして楽しい共演者、クラリネットの麻衣子さんと一緒です。 ”Harmony in the Air”と言うホビー空港主催の企画です。 7月にも3度やらせて頂いたお仕事ですが、今回またお声がかかりました。 ヒューストンの文化的イメージを上げるためにも、 空港のせわしない雰囲気を和らげるためにも、 素敵な企画だと思いませんか? 始めはお客さんがきちんと聞かない環境で弾くのには少し戸惑いがありました。 でも、そういう環境だから体験できる音楽交流もあります。 子供は本当に面白い。 親がどんなに促しても興味を全く示さない子も居るのですが、 逆に私たちを目にしてえんこして座り込んで、 親がどんなにせかしても梃でも動かなくなってしまう子も居ます。 それから、自然と踊りだしてしまう子。 顔がほころんで、親の顔を見て(見て!見て!)と興奮を分かち合いたい子。 こういうのは正規の演奏会場では体験できない面白さです。 今日は何が良かったのでしょう。 一曲終わるごとに沢山の拍手をいただきました。 そして私たちの周りに座り込んで一生懸命何曲も続けて聞いてくださる方々が多かった。 7時になって私たちが最後のお辞儀をして、楽器を片づけ始めたら 「おおおお~~~~~~…。」と残念そうな声が一同から上がり、 麻衣子さんと私は顔を見合わせてうれしくって大笑いしてしまいました。 沢山の人と握手をしました。 どういう事情で今日空港にいらした皆さんなのか。 音楽を通じた一期一会。 私たちの音楽が、あなたの人生に花を添えられたのなら、幸せです。

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FMブルー湘南で「スカッとスカぴあ」を担当しています。

もう初めて5年目なのですが、知名度を上げる努力をしてみようと決めたこともあり… ラジオ局FMブルー湘南78.5MHzで クラシック音楽番組「スカッとスカぴあ」を4か月に一回担当しています。 毎週土曜日の朝10時半からの放映です。 今週10月31日(土)から5週間、私の担当で 「ピアノ演奏史に観る女性観の移り変わり」と言うテーマでお送りします。 リアルタイムでこちらからもお聴きいただけますが、 放映が終わった後はダウンロードでどうぞ。 10月31日分はこちらからMP3のダウンロードが可能です。 http://xfs.jp/71a4c226f8586c4aebc0c3915bea97d2a491a9941d335d335d 今回のテーマは 「女性に弾きやすい曲、弾きにくい曲」特集! 一般的に女性に弾きやすいとされるのは小回りの指使いの多い いわゆる「真珠の粒を転がすような」と言われる曲。 その例として私のアルバム「Early Works by Maurice Ravel」から『水の戯れ』を。 そして女性に弾きにくいとされる曲は腕力を使う大きな和音や和音の跳躍が多い曲。 例としてはブラームスの協奏曲の一番を挙げて、抜粋で一楽章からお聴きいただきます。 最後に特番で「胸が大きい女性(とお腹の出た男性)に弾きにくい曲」と言うことで 腕の交差が多い曲を挙げ、その例としてスカルラッティのソナタを 私の「ハンマークラヴィア」のアルバムよりお聴きいただいて、終わりです。 本当は在外の私はスタジオ収録では無く、スカイプで収録しています。 いつも時差を考慮しながらスケジュールを融通してくださる (プロデューサー、かつご自身も素晴らしいシンガーソングライターの灯織さん、 ありがとうございます!) でも、気分を盛り上げるためにブルー湘南のスタジオの写真をアップしましょう。 ご感想など、お聞かせ願えれば幸いです。

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作曲家と演奏家の関係と、その間に入る楽譜

缶詰になって論文を書いていました。 朝から晩までそれ一本でリサーチをしながら書き進めので遅いのですが、 もう19世紀にタイムトリップをしてしまったような 時間も曜日も分からなくなるような3~4日を過ごしていました。 いやあ、18世紀後半から19世紀へかけての期間と言うのは激動の時代だったんですね。 農業革命、工業革命、貴族社会崩壊、ピアノと言う楽器の急発展・加速大量生産。 そして昨日の朝、取り合えず書いたものを提出して、昨日はその後練習です。 11月7日にあるテキサス作曲家5人を取り上げたピアノ・リサイタル。 もうあと一週間後! 昨日はその一人のために彼の曲を通し稽古しました。 手放しで褒めていただき 「何も言うことは無い!」と一回通しただけで帰ってしまわれたのは 拍子抜けだったのですが、まあ、良かったです。 いつも思うのですが、作曲家の視点と言うのは演奏家の視点と随分違います。 音一杯ミスしちゃったなあ、と謝るつもりで近づくと 「完璧だった!」とホクホクとか。 「ジャズっぽく」とか「瞑想の状態で」とか書いてあって (どういう意味だろう)とすごく考えて、作曲家にお聞きすると 「あれ!?そんな事、そう言えば書いていたね~」と言われて拍子抜けしたり。。。 そのギャップが生じる理由は二つあると思います。 1.演奏家がいかに近視的に音楽を考えているか、と言うこと。 2.演奏家と音楽家の教育がいかに違うか、と言うこと。 演奏家は大抵とても小さなとき(私は3歳)から、 いかに楽譜を忠実に的確に再現するか、を最優先する訓練を受けています。 ところが、それ程の的確さを実際に聞き取れる人は、 他に同じような訓練を受けた人のみです。 それに対して作曲家は大抵もっと成長してから 自分の意志で音楽の勉強を始めた人が多い。 最初に楽器奏者として訓練を受けた人でも、 途中から作曲に以降した場合、 演奏家としていかに忠実に楽譜を再現するかと言う訓練から遠のいてかなり経つので もっと全体像を見て、細かいところまで聞き取っていないのです。 じゃあ、なぜそんな細かい、自分も忘れるような表記をするのか。 これは記録と記憶の反比例と言うことに関係していると思います。 私の論文でも言及しているのですが、 西洋文化が発展する過程に於いて、 音楽でも、思想でも、事実でも、記録をする方法がどんどん発展して それに反比例して人間は記憶をする、 そしてリアルタイムの人間と人間が直接情報伝達をする、と言うことを 怠るようになっています。 この現象はテクノロジの発展によってどんどん加速している。 だから、作曲家がわざわざ出向いてくれて私の演奏を聴いても、 自分の記譜の方を自分の耳よりも信頼して、 それを忠実に再現する私に何も言うことが無くなるんだ。 寂しい、と感じるのは私だけでしょうか?

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雨雨、フレフレ…♪

最近のブログでは「正義は勝つ!」のテーマで勇ましい事を色々書いているが、 実は私の日常生活はいたって地味は、はっきり言って隠遁生活である。 ストーカーが怖いから外に出ないのか、と言われればそういう事も多少はあるかもしれないが、 家にこもってやることが山盛りなのも、事実である。 博士論文と練習。 それから教え。 たまに社交。 その合間にまあ、警察や社会福祉の人とミーティングが在ったり、 検事と電話で話しをしたり、 演奏会の安全対策についてメールしたり、そういう事もしているのだが、 はっきり言って大抵の時間は一人で鶴の恩返しのように コンピューターとピアノのキーをカタカタカタカタ。 そんな中、高に乗る人と全く乗らない日がある。 乗らない日はブログに熱がこもり、 論文を「書き」ながら、チャットをしたり、 色々気が散っている。 でも昨日と今日は凄い熱の入りよう! なんでだ…! と、思ってはた!と思いあったたのが、雨である。 ハリケーン・パトリーシアと名付けられた歴史的大型ハリケーンが メキシコ湾を接近。 あちこちで洪水警報が出ていて、昨日の朝から雨が降りっぱなし。 この雨の音が素晴らしいのである。 単調ではない。 激しく叩いたり、流れてみたり、ピッチも色々変わる。 この雨の音が私の集中促進剤なんじゃ…? まあ、締め切りが近い、と言うのもあるのかも知れない。 とりあえず木曜日に書いただけ提出する、と言う約束を 文章校正の図書館のスタッフとしている。 目標の2章終了まで、と言うのはどんどん現実味を失ってきているが、 それでもやっぱり(もしかして頑張れば…)と言う気持ちがどんどん高じる。 私はなんでだろう、出かける直前になると、突然アイディアが進展したり、 面白いアングルで言える文章を思いついたり、 俄然、リサーチが面白くなったりする。 出かける前の30分と言うのは、時間が際限なくある時の10倍くらい捗っている。 それで、(ああああ、もう行かなくちゃ…)と 大変残念な気持ちで家を出て、たいてい遅刻する。 皆、そんなものだろうか? 雨雨フレフレ…(母さんが♪?、もっとフレ♪?)

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演奏前にピアノ解体!

これ、何してるんだと思います? 昨日の演奏会場は素晴らしいカントリークラブ。 見渡す限りの美しい芝生が広がるゴルフ場を見渡す食堂で 素晴らしいビュッフェのブランチをみんなで頂いた後、 私たちの演奏をお聴きいただくと言う、 ヒューストン日本人会が主催してくださったコンサートです。 でも、パーティー会場に使われる事が多い、 趣のある大部屋に置かれたピアノは、 会場入りしてさっそく弾いてる見ると「ビーン」とか「ビャーン」とか 色々変な音が鳴っています。 これは…何か中に入っているな! 一応どうやってやるかは知っているけれどやったことは無いピアノ解体をしてみました。 そしたら中には色々一杯! クリスマスなどに使う「パパ~ン!」となるクラッカーから出てきたと思われる お星さまや、リボンや、色々。 それからなぜか、ペーパークリップが6個くらい。 つまようじとか、一番びっくりしたのは 調律師が一本ずつ弦を調律するために他の日本が鳴らないように止めるときに使うゴム。 これ等を全部ピアノの中から出してあげたら、ちゃんとピアノの音になりました。 でも、解体は絶対できる自信があったけれど、 自信が無かったのはその後ちゃんと元に戻せるかと言うこと。 皆でジグソーパズルのように色々試して、ちゃんと元に戻ったときはホッとしました。 ピアニストは、その場にあるピアノを弾くのが宿命です。 それぞれのピアノを「共演者」だと思って、 相手の性格やお年や健康を気遣いながら一番良い音楽を創る。 自分の演奏の不出来をピアノのせいにするのは、プロ意識に反する、と私は思っています。 例えば19世紀のピアニストはピアノの状態の良し悪しだけでなく、 まだそのころ発展途上にあったピアノと言う楽器、 しかもそれぞれのメーカーが全く違う構造のピアノと言う楽器を試行錯誤していた時代、 本当に苦労が多かったと思います。 鍵盤の数も、幅も、重さも、ピアノの音質も音量も、ペダルの数も位置も 全く予測の付かない状態で会場入りし、そして演奏しなければいけない。 彼らがそれが出来たのならば、 ちょっとくらい中にお星さまが入ったピアノでもヤマハはヤマハです。 そして一番大事なのは、お客様や共演者との、音楽を通じての交信。 昨日のお客様は本当に身を乗り出すように聞き入ってくださり、 私たちも本当に気持ちよく演奏することが出来ました。 ありがとうございました。 共演者の佐々木麻衣子さんと演奏後にパチリ。 、

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