マドリガルと言うジャンル -起源と発展
マドリガルと言うジャンルが最初に登場するのは、14世紀の中世最後のイタリア。 音楽史で言うと「トレチェント」と言う時代です。ダンテの「Inferno」をきっかけにそれまで芸術音楽はいつもラテン語かフランス語だったイタリアで『イタリア語も美しい!』運動が始まり、マドリガルを始め、Caccia(輪唱+低奏)やバラッタ(AbbaA―盲目のオルガン弾き、ランディーニが140曲も残しました)と言ったジャンルが急に登場そして消えていった、と言う出来事です。 この頃のマドリガルは同等の2声か3声で伴奏は無し。3節の歌詞が2回(か、それ以上)繰り返されて、最後にRitornelloと言うセクションが拍子も音楽の調子も全く変えて登場する、と言うジャンルでした。歌詞の内容は恋愛、田園風景、社会を理想的に描写する、あるいは風刺する、と言う内容。Jacopo de Bologna と言う作曲家のNon Al suo Amante…が有名です。 その後、一度死んだマドリガルは、16世紀になって全くの別物となってまた登場します。 今度のマドリガルは7-11節の詩。しかもPetrarch,Tassoと言った過去の大物詩人を扱った曲が多いです。これは1500年ちょうど位にBemboと言う詩人が出版したPetrarchの監修の前書きに,Petrarchの語彙の選択が、その意味だけでは無く、発音されたときに醸し出す雰囲気を考慮されているか、と言う内容が作曲家を触発したから、と言うことがあります。音楽に繰り返しはありません(Through-composed)。最後の一節や二節で、ジョークが明らかになる、とか状況が明かされる、と言った構成が多いです。このジャンルの発展は下に時代ごとに追っていきますが、その前に一言注解。このジャンルで歌詞に「死」と言う言葉が出てくるとき、それは「オルガスム」を意味します。 1520年から50年。同等の4声部。 この頃のマドリガルは聞かせるための音楽では無く、演奏して楽しむ音楽でした。混声が多いこのジャンル。いそいそと男女がパート譜を小脇に挟み、小さな部屋で寄り添って歌いあった状況が目に浮かびます。パート譜といいましたが、それぞれの歌い手が見えるのは自分の楽譜だけ。従って合唱して初めて歌詞の全容が明らかになる事が多く、それを作曲家は充分に計算に入れて卑猥な内容がリハーサルで初めて明らかになる、と言って工夫を凝らしました。この時代のマドリガルの有名な作曲家はArcadelt,Willeartと言ったBurgandian の作曲家の4代目です。ArcadeltのIl bianco e cigno(白くて優しい白鳥)が代表作です。 1550年から70年 5声から6声 マドリガルと言うジャンルは作曲家の格好な音楽実験の場になって行きます。歌詞の内容を音楽にどう反映させるか、と言うことで技を競いあうかのように色々な新しい作風が試されていきます。この時代の代表作の多くを書いたWillaertは生徒にZarlinoと言うイタリア人を持っていました。このZarlinoがどの協和音、不協和音をどの様に使うことによってどのような感情的効果をもたらせることが出来るか、ということを詳しく書いたIstitutioni de armonich(和声のシステム)と言う本があります。この本に書いてあることをまさに実行してあるのが、Zarlinoの教師、Willaertのマドリガルたち。多くはPetrarchの詩に載せてあります。 1570年から1600年、5声以上。 それまでは歌って楽しむジャンルだったマドリガルがこの頃からプロが雇われて演奏するジャンルへと移行していきます。Ferrara地方の音楽のパトロンとして有名なEste家では初めてConcerto delle Donneと言う女性合唱隊が1580年に結成され、これは色々な地方のパトロンの宮廷で大流行となりました。(美声だけではなく、美人と言うのも大事だったらしい)この頃になってようやく、それまで外国人にやられっぱなしだったイタリア語のジャンルにイタリア人作曲家がみられ始めます。Luca MarenzioやGesualdo などがそれです。プロに歌わせると言うことは技術的に高度なものを書いてもOKと言うこと。 物凄い不協和音や半音階などのオンパレード!特にGesualdoと言うのは私生活も激しかった人で、珍しく貴族出身の作曲家なのですが、最初の妻の浮気現場を発見してしまい、妻とその愛人をその場で殺してしまう、と言うスキャンダルを経た作曲家。彼の書いたIo Parteや、Luca MarenzioのSolo e pensosoはちょっと聞くと「エ!?現代曲!?」と思いかねないほど「表現」と言うことを「美」と言うことより重視しています。Gesualdoでさらに重要なのは分裂症とも思えるような曲の中でのコントラスト。協和音が続くと思ったら急に不協和音が目白押しになったり、ゆっくりな箇所から急に速い箇所に移行したり。 1600年 Prima Prattica 対 Seconda Prattica Monteverdi はその生涯に8冊のマドリガル集を出版していますが、その4冊目に含まれていた「Cruda Amarili」と言う曲がArtusi と言う評論家の矛先に上がり、激しい論争が始まりました。Artusiの言い分は「余りにも型破りで、不協和音が多すぎる」と言うもの。大してMonteverdiの反論は「音楽のルールを大事にすると、どうしても音楽に歌詞を従わせることになる。でも音楽は歌詞の効果を高めるために使われるべきだ」と言うものでした。この新しい考え方をMonteverdi はSeconda Prattica,古い考え方をPrima Pratticaと命名。 同じ頃登場し、上記のMonteverdi も書いたのがConcerted Madrigalと言うジャンル。歌手の独唱、あるいは数人の歌手に(一人が歌手で他の歌の部分は高音の弦楽器などが弾いても良し)に楽器の通奏低音がつく、と言うものです。 マドリガルはイタリアを音楽史上重大なポジションに押し上げたジャンルで、イタリア語の歌詞であったにも関わらず、ほかの色々な国でも注目されました。一番はイギリスです。1560年には原語イタリア語で出回っていたマドリガルが、1580年には英訳されて出版(Musica Transalpine)。その後、イギリスでは歴史的に大事な、作曲家Thomas Morley著のPlain and Easy Intorduction to Practical Music(実用的音楽への簡単でシンプルな紹介)と言う本にもマドリガルの説明があります。
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