明鏡日記⑨:トーマス・マン・ハウスの下見

やはり楽しみな挑戦があると、人間張り切るものですね。

コロナ禍で最後の生演奏から14か月以上経ってしまっている私。世捨て人として半年過ごしていた私。そして昨日までワクチンの副作用で目も開けていられなかった私。そんな私が今日元気ハツラツなのは、ビッグイベントが在ったからです。実はブログ再開の「カチッ!」のきっかけの一つに急に舞い込んで来た願ってもいない機会が在ったのです。「ヴェニスに死す」や「魔の山」などで有名な小説家、トーマス・マンが晩年の大作「ファウスト博士」を執筆した家で、ロサンジェルスゆかりの曲のヴィデオ収録のお話しです。収録は5月末。今日は下見でトーマス・マン・ハウスにお邪魔して来ました。

1929年にノーベル文学賞を受賞した小説家のトーマス・マンはドイツ人でしたが、民主主義者の庇護者として、また奥さんのカティアがユダヤ人だったことなどもあり、一貫して公明にナチスの批判者でした。ナチスはそんなマンの市民権を剥奪し、著作品を焚書にします。1933年にマンは家族と共にスイスに移住し、生涯再びドイツで生活する事はありませんでした。亡命中、マン一家は1942年から1952年までをロサンジェルスで暮らしています。1944年にはアメリカ市民権まで取りますが、1952年マッカーシーの赤狩りが始まると再びスイスに戻り、1955年にトーマス・マンはそこで生涯を終えます。

トーマス・マン・ハウスは今はドイツ政府が管理しています。フェローシップ・プログラムなどで芸術家や発明家などをここに住まわせたり、討論会や講義などを主催したりという文化センターのような役割があるようです。が、このコロナ禍でずっと使われていなかったものを、最近演奏やインタビューなどの収録に公開し始めた、とのことです。

私が特に興味があるのがロサンジェルス滞在中のマンの交友関係です。当時のロサンジェルスには12音階の作曲家シェーンベルグやロシア人作曲家のストランヴィンスキー、指揮者のブルーノ・ウォルターや、哲学者・音楽評論家のテオドール・アドルノ、そしてマーラーと離婚した後のアルマ・マーラーなど沢山のナチス・ドイツを逃れた芸術家やインテリが居て、非常に親密なネットワークを作っていました。「ファウスト博士(1947))」はこういう交友関係をフルに活用しながら書かれました。

ファウスト博士が悪魔に魂を売って欲しいものを手に入れるという古くからある伝説を下敷きにしたマンの「ファウスト博士」では、主人公はナチス政権下のドイツその物を象徴する架空の作曲家です。(ニーチェとシェーンベルグがモデルだ、という説もあるようですが、私には確信はありません。)狂気が自分の創造性を高めると信じわざと梅毒を感染した主人公は、悪魔メフィストフェレスの来訪を受け、魂を売ります。そのお陰で遂に音楽の限界を極めますが、その直後、精神錯乱により赤ん坊の様になってしまいます。この「限界を極めた音楽」はシェーンベルグのセリエル音楽が基となっており、この小説の出版をきっかけにシェーンベルグとトーマス・マンは仲たがいをしてしまいます。

この「ファウスト博士」執筆のためにマンはかなり音楽理論を勉強したようです。また、アドルノやストラビンスキーや何も知らないシェーンベルグに音楽について色々教えてもらっていたそうです。こういう知識や意見交換は、お夕食会やホームパーティーなどの場で行われていたとのこと。孫のフリード・マンによるとトーマス・マンは自らワーグナー調の即興演奏を楽しんだり、自宅で室内楽パーティーを主催したりしたそうです。

このピアノはかなり年期が入っており、しかもベビーグランドです。調律はされていますが、やはり音は「かわいらしい」という表現が相応しく、深みや色彩の幅には欠けます。5月末の本番にはスタインウェーのフルコンが入る事になっています。が、この鍵盤をトーマス・マンやブルーノ・ウォルターやシェーンベルグやストラビンスキーやアルマ・マーラーが触ったと思うと、不思議な感覚です。

今日の下見の必要性は、スタインウェイのフルコンを選択する際、音響を考慮するためです。楽器そのものは勿論大事ですが、楽器と音響の相性というのも非常に大事です。例えばすごく残響が多い部屋に、ベースが重厚な楽器を入れてしまうと残響が補強されます。それから部屋によって倍音のどこを強調するのか、というのが違います。高い音が響く部屋、真ん中の音が共鳴する部屋、など色々あるんです。部屋のサイズや形も重要です。私は久しぶりにフルコンが弾きたくてたまらなかったのですが、余り小さな部屋だとフルコンは「うるさい感」が出てしまう場合があります。幸いこの部屋は天上も高く、部屋も大きく、更に残響も適当にあり、特に自己主張の激しいフルコンでなければ問題なし!レパートリーを考えても、和音の低音が美しく影を作るような、シックな音世界を出せるフルコンを考えています。スタインウェイ・サロンでの楽器選択は5月20日。待ちきれません!

トーマス・マン・ハウスに話しを戻します。1940年からNJ州にあるプリンストン大学で教鞭を取っていたマンは、休暇の度にロサンジェルスに来て移住の計画を立てていたようです。遠くに海を臨む1.5エーカーの土地を購入し、Julius Ralph Davidsonという建築家と一緒にこの家をデザインしました。例えば二階の自分の寝室を螺旋階段で一階の自分のオフィスに直結させたり、オフィスの窓の外には下界と区切りを作る塀の様なものをを立てさせたりと、こだわりの建築です。

1.5エーカーはさすがに広々としています。そして中々モダンな建築。中の家具は当時はそれでもすごく保守的だったそうですが。

今回の収録では、3組のピアニストと歌手がそれぞれ色々な作曲家を担当します。他の組がシェーンベルグやアルマ・マーラーを手掛けます。私たちが手掛けるのは存命中のLA在住女性作曲家たちの曲です。そして私一人で数曲ピアノ独奏も収録させて頂きます。

意欲が湧きます。さ、練習練習!

5 thoughts on “明鏡日記⑨:トーマス・マン・ハウスの下見”

  1. 小川 久男

    お疲れ様です。

    お見事ですね。
    よもやのめぐり合わせは偶然ではなく必然です。
    五月の爽やかな風に乗って天高く飛翔してください。

    小川久男

    1. Makiko Hirata

      ありがとうございます。
      この録音は本当に色々な意味深い巡り合わせで、本当に嬉しく楽しみに感じています。

      もう5月なのですね。
      真希子

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