“Music is beyond words(音楽は言葉を超える)“と良く言われます。ヴィクトル・ヒューゴーの名言はもう少し明確です。“Music expresses that which cannot be said and on which it is impossible to be silent(音楽が表現するのは、言わずには居れない、でもうまく言い切れない事。)”
それなのに、音楽の私がこうしてもうブログを発信し始めて10年以上。隔週のコラムの担当も3年目。そして今は出版に向けて本の第三稿目にかかろうとしています。(私はなぜこんなに書くのだろう)と思う時もあります。
今月末にあるトーマス・マン・ハウスでの収録のお話しが舞い込んできたときは、(これぞ、私がやるべきプロジェクトだ!)と奮い立ちました。ノーベル賞受賞作家トーマス・マンはナチスを逃れてロサンジェルス近郊に住んだ1942-1952に、主人公が架空の作曲家の小節「ドクトル・ファウストス」を書きました。この激動の時代時代を象徴的に反映したと言われるトーマス・マン最後の大作については色々な本が出ています。
今日図書館から大量に本が届きました。トーマス・マンと音楽、そしてトーマス・マンの音楽観に影響を与えた音楽家たちに関する本の数々です。今月末までにどこまで読めるか分かりませんが、面白いです。
もう一つ、音楽と文学の接点があります。トーマス・マン・ハウスでの収録は私の独奏曲2曲とは別に、ソプラノ歌手との2曲の収録もあります。今日は初合わせでした。歌手というのは実に多様です。物凄い美声を誇りながら、音楽自体にはあまり興味ない歌手も居ます。パヴァロッティは楽譜すら読めない事で有名でした。そういう人はピアニストを「伴奏者」と見る場合が多いです。私はこういう歌手との残念な思い出がいくつかあって、それで余り歌い手とのお仕事は積極的にしてきませんでした。
でも、今回のソプラノは詩を物凄く読み込んで初合わせに臨んできて、そして私と一緒に詩の解釈を協議し、それをどう演奏に反映させるべきか相談し...という私が大好きなタイプでした!更に彼女の詩の解釈が、私だったら絶対にしないアングルからの視点。面白い!
詩は、音楽をつけると、新しい次元が生まれます。更にその歌を演奏するための解釈というのは、そこに命を吹き込む事です。ワクワクする作業です。
音楽人生万歳!う~ん。これを書くのは、気が付けば実に久しぶりだ。もう一度書いちゃおう。音楽人生万歳!
お疲れ様です。
音楽家も人間ですね。
音楽の気質を磨くことで金剛石にもなり、また、一顧だにされぬ路傍の石にもなります。
されど、たった一人の観客でも音楽家冥利に尽きます。
小川久男
そうなのでしょうか。
ありがとうございます。
平田真希子