演奏道中記12.22:収録とNY行きの日

朝5時:必要より早く目覚めたのは、昨晩のリハーサルは時間が押して夕食を食べ損ねたので、お腹が空いているせいもある。家に居る時よりもお腹が空くのは寒さのせいか、それとも旅情か。外はマイナス1度。昨日より暖かい。ベッドの中でぬくぬくと読みかけの本を読み進めながら、頭の裏側でするべき荷造り、今朝の収録の行程と作戦、そしてNYに行くことなどを考える。

7時:シーツと枕カバーとタオルなど、滞在中拝借していた洗濯するべき寝具や、溜まったゴミなどを持って母屋に上がると、ステファニーが「今日は収録だからしっかり朝ごはんを食べなくちゃね。」と待っててくれている。コーヒーとオートミールとフルーツ。二人でボストンの知識階級の話しや、広がる貧困層の話しと高騰する不動産の話しなどをする。昼・夜はお互いいつも用事があり別々だったが、一緒にゆっくりと食べる朝食は日課になっていた。名残惜しい。オミクロンが怖いからハグは遠慮して、お互い離れたままで「ギュッ」という仕草だけして手を振って笑顔で別れる。

8時:チェリスト君が迎えに来る。いつもはもしゃもしゃの髪の毛が今日はオールバックになっている。録音だけの時代はもう終わったのか。私もボストンに来て初めて、目を描いて口紅を塗った。もっとちゃんと基礎化粧からするべきだったか…?でも今日は収録の後電車に乗ってニューヨークに行くからなあ。私は化粧が嫌い。毛穴から訳の分からない化学薬品が体に入っていくと思うと、必要時以外は絶対したくないし、必要な時間が終わったらさっさと化粧落としをしたい。会場で音出し…のつもりだったけれど、ピアノがステージに出ていなくて楽屋から引っ張り出して二人でセッティングしたり、なんだかんだ。

ピアノの位置決めをする時参考の為に撮った写真の為にわざわざポーズを取るお茶目チェリスト君。ピックマンホールは中々音響も良く、気持ちよく弾かせて頂きました。

9時:レコードレーベルの代表者と動画収録担当者、そしてチェリスト君の先生(ベートーヴェンの作品3の弦楽三重奏をチェロとピアノの為に編曲したテリー・キング)はもう会場入りしているのに、肝心の録音技師は遅刻。そこからマイクを運び入れ、セッティングを始め、音量チェックなどなどで収録が始まるのが10時近い。そういう物なのかなあ。昔は一々イライラしていたけれど、最近は(そういうイライラはエネルギーの無駄)と悟った…のか、はたまたこれがいわゆる「年の功」なのか。

10時:ベートーヴェンの作品3は弦楽三重奏だが、実はベートーヴェン自身がピアノとチェロの為のスケッチを残している。チェリスト君の先生のTerry King氏は数十年前に出版した博士論文で「実はこのピアノとチェロバージョンがベートーヴェンの本望だったのでは?」と提唱している。最近になってキング氏遂に、作品3の中でもスケッチが残っている一楽章のみをピアノとチェロの「ソナチネ」として完成させた。その初演収録が今回のアルバム録音の最重要目的。しかし、録音ブースに入ったキング氏は、中々細かく、厳しい。弾いている途中に「ちょっと待った」がかかるのは、私は初めての経験。「エネルギー温存しろ。使えないテイクを何度も収録するのは時間と労力の無駄だ。」…その論理は分かるけれど、チェリスト君も私もホールの音響やお互いの聞こえ方に慣れる必要もあるし、それに私はまだピアノに慣れ切っていない。でもブースからスピーカーを通して聞こえてくる年老いた先生の声は絶対的に響くし、私は厳密にいうと雇われ音楽家―今回の主役ではない。黙って従い、ベストを尽くす。

11時:やっとブラームス。作品38のピアノとチェロの為のソナタ。この曲は私は色々なチェリストと長年弾いてきたこだわりの曲。丁度私が今のチェリスト君と同じ年齢の頃、遠距離恋愛をしていたチェリストと演奏した思い出の曲でもある。当時20代のマキコはそんなこと思いもよらなかったのだが、こういう18世紀・19世紀のデュオの多くは「ピアノと他の楽器の為の…」と言う風に、ピアノが主体。特に作曲家が鍵盤楽器奏者だったブラームスやシューマンやフランクの場合は、音楽の構想自体が明らかにそうなっている。当時の演奏会の評などを読んでも「ピアノ演奏のクララ・シューマン氏を伴奏したのは、ヴァイオリンストのヨアヒム…」と言う風に、当たり前のようにピアノが主役。それを踏まえて総譜を読み、曲の構築すると、全く違ったソナタが聞こえてくる。若手、女性、しかも東洋人の『伴奏者』として随分悔しい想いもして来た私が今、40代も半ばにして、私に音楽先輩として信頼を寄せてくれる20代の白人男性を相手に、堂々とこの曲を主体性を持って弾けることに、感謝と感激。思いっきり弾く。最終楽章のフーガを弾く段階ではもう脳みそが疲労と興奮でぶっ飛んでいる。チェリスト君も同じく。「え?何小節目からって言った?」「あれれ…何ページ目弾いてるんだっけ?」「え?もう一度?同じところから?...ごめん、それってどこ…?」会話が支離滅裂になって来た頃、時間切れで収録終了。最後の5分は分刻み。「ここだけもう一度!」でももう私もチェリスト君も腕も脳も耳も使い果たされて、何度録っても同じこと。それでもこだわってしまうのは、やっぱりこれも「愛」なんだよなあ。

13時半:荷造りを終えて演奏会場を後にする。お腹がグーグー鳴っている。レコードレーベルの代表者とその彼女とチェリスト君と私でお昼食。皆丁重に愛想よく当たり障りのない会話を続けているが、食事がやっと来ると2分ほど静寂の時間が来る。そりゃあ皆、お腹空いたよね~。

16時:ボストンのサウス・ステーションからAmtrakという電車に4時間乗って、NYのマンハッタンまで。車窓から夕暮れが美しい。ゆっくり4時間読書に耽ろうかと思っていたけれど、別れを告げるボストンの友人、これからの予定を交渉中のNYの友人、そしてLAの友人と、メールやメッセージで中々忙しい。そうこうしている内にチェリスト君から「弱っているアメリカのお母さんにこれから会いに行くあなたに、告げる義務を感じてメールしています。喉が痛いのです...」とメッセージが!

「検査を受けようとしたのですが、クリスマス前で検査の予約が明日の早朝まで無い…」

急いでオミクロンの最新情報を調べる。アメリカの母もだが、今夜マンハッタンで宿を提供してくれる友人も夫が80代。どうするべきなのか。

すごく悩む。到着予定時刻20時。現在18時。「もしホテルに泊まりたいなら、僕が払います。」とチェリスト君。潔い!なんという好青年だ…でも君も貧乏音楽学生なんだよ…

マンハッタンでの宿泊場を提供してくれるのは、夫婦とも脳神経学者の音楽愛好家。大好きな彼らを危険にさらす事は絶対避けなくてはいけない。彼らは明朝6時出発でクリスマスをアリゾナ州の家族と一緒に過ごす予定。「不在の間、ピアノを好きなだけ弾いて」と太っ腹に言ってくれた。よし、こうなったら彼らが出発する早朝まで、NYの駅で一晩過ごすか!…でも、そんなことをしたらた一晩の不眠と寒さと不特定多数の通行人との間接接触で、私自身が、例え今健康体だったとしても、これから病気になるリスクを高める。これは清水の舞台から飛び降りて、スマホで一晩の宿場を探すべきなのか…チェリスト君は熱は無い。「喉がこそばゆい感じ」…それは何なんだ~?「喉が渇いているんじゃないの?」「いえ、水は飲んでいます…」...そうだよね~。

到着一時間前、マンハッタンの友人に連絡する。「…オミクロンも心配です。私は貴方のアパートの大きさや部屋数や通気具合を知りません。もし安全を保つことが難しければ、私はあなた方が明朝出発するまで他の場所で過ごします。」でも、即答で帰って来た返信に涙が出ました。「大丈夫。私達は明日早いので、挨拶と必要事項の伝達だけしたらさっさと寝てしまいます。再会を楽しみにしています。」

そのやり取りの後で、感謝も相まって再会がますます楽しみになる。やはり夫婦とも大学教授の二人のアパートはアンティークとアートが沢山の素敵なお宅。心配していた80代の夫さんはすでに就寝後で、かなり年若いと思われるホルン奏者の奥様が、本当に私の到来を嬉しそうに迎えて下さいました。「好きな本はどれでも持って行ってね。」「私達の家具はお互いの祖父母の物が多いの。二人共アンティークが好きだから。ああ、絵?ナチスを逃れて渡米して来た親戚が絵描きでね~。お金に苦労してたから、親戚中で事ある毎に彼の絵を買っていたら、溜まってしまったのよ~。」「これが台所よ。な~んでも食べてね。帰って来る前にダメになってしまうものが多いから。このクリスマスクッキーは美味しいから全部食べてね。」「ああ、それから大好きな美術館や博物館は、私達はメンバーシップを持っているの。このカードを持って行けばあなた、ただで入れるわよ!フリック・コレクションは好き?ああ、良かった!私達の一番好きな美術館なの!ぜひ行ってね!メトロポリタンの美術館の楽器コレクションは最近観た?あそこ良いわよね~。メトのカードはこれよ。間違えないでね。」

…わたしは、本当に、幸せ者です。

1 thought on “演奏道中記12.22:収録とNY行きの日”

  1. お疲れ様です。

    バリバリとパワフル”マキコ”は、エンジン全開、フルスロットルだ。
    ご縁は、自らが得るもの、との確信あり
    窮すれば通ず、天下御免ですね。

    小川久男

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