演奏道中記12.23:静かなマンハッタン

13歳から30歳までを過ごしたニューヨーク界隈は私にとっては第二の故郷です。家族同然の友人や恩師も多いし、演奏の為の来訪が多いので、NYに来るときは大方予定がびっしり詰まっています。

でも今回は例外的な来訪です。ホスピスの緩和治療に入っている末期癌のアメリカンマザーとクリスマスを過ごす為に来ているのです。衰弱している彼女や、高齢の彼女の友人などを感染の危険にさらす事は避けなくてはいけません。「クリスマスを越せるかどうか」というお医者様の推測を基に、21日から30日まで、特に予定も立てずに長めに滞在時間を取りました。それでも特に親しい友人には「会えたら会おう」と言い合ってはいたのです。が、それもチェリスト君の「喉が痛い」宣言とオミクロンの急激な進出で自粛。大人しく泊めて頂いているアパートに籠って待機状態です。

それでも隔離を強要されているわけでは無く、マンハッタンに居て何もしないのは忍びない。(少なくとも外気に触れて日の光を浴びよう。)アパートを出ると、すぐそこにコロナテストの列が。チェリスト君のコロナ検査も結果待ちだし、安心したい。早速並びます。子連れの親子が続々と列に加わります。皆クリスマス帰省の前に安心したいのです。QRコードで名前や連絡先を登録すれば後は一切無料。ありがたいけれど、検査数が多く検査技師が追い付かず、結果が出るのに1日~5日かかると言われます。でもやらないよりやった方が良い!

(そうだ!)思いついて世界一大きなキリスト教大聖堂、セイント・ジョン・ザ・ディバイン大聖堂に足を運びます。今お世話になっているお宅からそんなに遠く無いし、昔の私の住まいの近所だったので、良く足を運んだ思い出の大聖堂です。大聖堂に近づいていく途中でぎょっとして足が止まりました。

日中のひなたとは言え、零度を下回る季節です。それに素足…?しかも花が供えてあるってことは遺体…?しばらく彫刻だと気が付きませんでした。

「ホームレスのイエス(Homeless Jesus)」という題の2013年に設置されたカナダ人彫刻家ティモシー・シュモルツ氏の作品だそうです。

私がたたずんでこの彫刻を観ていたら、黒人女性が話しかけてきました。「これ誰?この人、どうしたの?」「ああ、彫刻ですよ。私も始めは本当の人だと思いました。」「そっか…人でもおかしくないよね。」しばらく二人で一緒に立っていました。この女性はどういう女性で、この彫刻に何を感じているのだろう。尋ねてみたい気持ちもするけれど、はばかる気持ちもある。

「ハッピーホリデイズ!(幸せな祭日を)」当たり障りのない、この季節にはごく当たり前の挨拶を、できるだけ気持ちを込めて言ったらば「There is nothing happy about the holidays...(祭日に幸せなんて一つもないわよ)」と返ってきました。(ここで腹を割って語り合ったら物凄い学びがあるかも知れない。でも面倒に巻き込まれる可能性もある。こんな機会は滅多にない。どうする、マキコ!?)そんな自問自答を意識しながら、取り合えず受け身の姿勢を保つことにしました。立ち去る事はせず、女性を見つめて「そうなんですか?」みたいな相槌のような曖昧な声と表情を発し、でも積極的に返事はしない。「パンデミックはいつまで続くの?誰にも逢えない。将来も見えない。何をどう祝えって言うの?」女性は、私に向かって問いかけるというよりは独り言のように口の中で喋っています。聞いてほしいのか。放っておいてほしいのか。それも私には分からない。「Take care of yourself(自分を大事にね)」と言って、立ち去りました。彼女に良い事がありますように。

こんな彫刻も、近所に見つけました。

フレデリック・ダグラス(1818?~1895)の名前は日本ではどれくらい知られているのでしょうか?私は実はパンデミック中の読書で初めて彼の事をしり、彼の著作と功績に心底ぶったまげました。

奴隷として生まれた彼は、黒人に読み書きを教える事が違法だった時代に主に独学で勉強します。アメリカ北部への脱出に成功し、更に奴隷廃止運動での演説や出版で、奴隷廃止運動の主要メンバーとなります。後には黒人参政権だけでなく、女性参政権運動でも重要な働きをしました。

この広場がフレデリック・ダグラスの名前に命名されたのは1950年ですが、名前のみでずっと放っておかれ、この彫刻が立ったのは何と2011年だそうです。

そして今朝は楽しみにしていたフリック・コレクションに!フェルメールやターナーなどや有名なレンブラントの自画像など、私の大好きな絵が沢山あるコレクションですが、以前は気が付かなかった中世の宗教画の群青の深さや、中国からの陶器やインドのカーペットなどが今回は新鮮に感じました。美術館内の写真撮影は禁じられていましたので、ここではグーグルイメージから拝借してお裾分けします。

でも...色々と考えました。自然や、人々の日常から切り離された「美」とは何だろう?どういう役割を果たせるのだろう?なぜ、美を愛でる事を生活や自然から完全に孤立した建築物の中に押し込め、さらにその美術品を額縁やガラスケースに入れて、その出所から完全に切り離すのだろう?

1 thought on “演奏道中記12.23:静かなマンハッタン”

  1. お疲れ様です。

    多感な時代のニューヨーク、忘れ得ぬ思い出ばかりでしょうね。
    第二の母の今際の際にあって、宮沢賢治の詩、「永訣の朝」を思い出しました。
    生老病死があってこその人間で、その心象風景を表現するのが芸術です。
    と思うと、森羅万象ことごとくが芸術作品と思います。

    小川久男

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