音楽愛好家を育てる。

今まで、教えるよりも自分の経験や技術向上につながる経験を優先してきた。 要するに、どんなに小さくても、演奏の機会(伴奏も含む)である。 演奏の仕事は急に一日10時間練習する羽目になるラストミネットの物だったり、 リハーサルが不規則だったり、旅行を伴ったりする。 と、言うことで責任を持って定期的に教えることが難しくなる。 と、言うことで教えると言うことを私は比較的避けて今まで来た。 …しかし、そう言ってここまで来られたのは実に特権的な事だった、と言うことも知っている。 例えば私の知っている中国人留学生の大半は 学部生時代からかなりの時間を学業の合間に教えていた。 しかも、そういう中国人留学生を安い時給で雇う音楽学校と言うのが中華街にあって、 そこで、マクドナルドで働くのより多少ましな賃金で教えるのである。 留学ヴィザの彼らは働くことが違法になるため、足元を見られっぱなしである。 それでも、その安い賃金で、遠い中華街まで朝早くから行って、 稼いだお金を生活費に充てたり、中には仕送りしている学部生も居る、と聞いた事もある。 …本当だろうか… 成長期に自分の向上心の赴くまま、練習・勉強・修行に励むことのできた私は実に幸せだった。 それを可能にして下った人々、そして状況・環境には感謝しきれない。 しかし、私もそろそろ博士課程の勉強も終了に近づいてきて、 将来の事も考えたりして、最近教える時間を増やしている。 やはり教える、と言うのはピアニストとしては当然な職種なのである。 今、計算したらば現在の私の教えている時間は毎週大体14時間。 その中の7時間半がある学校で週一に、一人30分のレッスンを教える、と言う仕事。 ここでの生徒数が13人(学期によっては14人)。 そしてプライヴェートが高校生以下が6人、大人の生徒さんンが3人。 合計私の生徒数は今22~3人。 さらに、私が過去にお教えしたことのある方々を全てのべで計算すると、何人になるだろう? 演奏旅行中の公開レッスンで一期一会だった生徒さんも居れば、 コルバーン時代アシスタントとして補習レッスンをさせてもらって 今では立派にヨーロッパなどで活躍している人も居るし、 高校生時代にアルバイトで教えさせてもらった子たちも居る。 ああ、そう言えば修士時代、私はNew York UniversityのAdjunct Facultyとして かなりのレッスンやクラスピアノや、学理の授業を教えたりもした。 おお、そんな事を言えば、ライス大学でだって2年間、楽理や聴音を教えた。 私の過去の生徒…もしかしたら1000人くらいになるかも知れない。 この1000人を私が音楽愛好家にすることができていたら…すごい! しかし、残念ながら、私は今まで厳しい先生だった。 「そこのラ、間違えてソって弾いてる、5回目だよ。何度も同じ間違えを犯すのは、間違えを練習しているのと同じだよ。この前のレッスンでも言ったよね?」 「この曲、何週目だっけ?そうだよ、6週目だよ。でもまだ全曲譜読みが出来ないの?どうして?…忙しかった?そうか、何がそんなに忙しかったのか、言えるかな?(月曜日は体操のお稽古があって、火曜日と水曜日はおばあちゃんが来た)。そうか、でもそれは3日だけだよね。あとの4日は何してたの?(宿題…)。そう、でもおトイレは行った?あらそう、おトイレに行く時間はあるの。お食事はした?あらそう、お食事する時間はあるの?それなのに、練習する時間は無いの?あのね、時間が無いって言うことは無いんだよ。時間って言うのは作るものなんだよ。」 私が現在教えている生徒さんたちの中にピアノを専門に勉強するようになる子は、いない。 その子が一曲を何週で仕上げようが、その子の人生にとっては大差ない。 私の仕事は、その子が音楽に興味を持つこと。 毎週のレッスンを楽しみに待つこと。 私に会うのを楽しみに、私に聞かせたい!練習をしたい!と思わせること。 やっと気が付いた。 私が養育しているのは、ピアニストの卵、では無い。 私が養育しているのは、将来の音楽愛好家だ、と言うことに。 そういう意味では、私は失敗続きだったのかも知れない。 それに気が付かせてくれたのは、意外にも教え始めたころは私が頭を抱えたSちゃん。 慎重と言えば聞こえが良いが、一つの質問をして答えが返ってくるまでに1分かかったりする。 ご両親は非常にエリートなのだが、Sちゃんの生活に親御さんの姿が見えない。 いつも英語をしゃべれない家政婦さんとSちゃんだけ、のお家。 声に抑揚が無い。表情が変わらない。反応が鈍い。 […]

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