February 2016

弾くは愛でる、走るも愛でる。

今朝、走りに外に出たら新芽が木々の節々からほとばしり出た!と言う感じでびっくりした。 ヒューストンではすでに桜や木蓮、連翹などの花も咲き始めている。 本当に可愛い。 NJでは雪がちらついていた。 雪と雨の合いの子の様なみぞれの中を氷で滑りやすい水たまりをよけながら走った。 首をちぢこめながらスクールバスを待つ高校生の姿に 渡米したばかりで同じようにスクールバスを待っていた自分の姿が重なった。 思い出の中の自分も、ふくれっ面でスクールバスを待つ子供たちも、皆可愛い。 走る、と言うことは、弾く、と言うことと同じように 自分、自分の人生、そして世界を愛でる、と言うことなのだと思う。 毎日の練習が本当に辛く感じられた過去の一時期、 私は決意をした。 私の練習は、演奏会やキャリアのためではなく、一種の祈りだ、と決めたのである。 チベットのお坊さんは自分たちの読経は世界を平和にしている、と信じている。 あんなに過酷な運命の中で、まだ読経と瞑想を続けている。 私の練習も、そう言う物だ、と決めたのだ。 練習や、チベットのお坊さんのお祈りが実際世界平和に貢献しているか否かよりも、 自分が一番良い自分で居られる行為を意思を持ってする、続ける、 その事が世界貢献になる、と決める、その強さ。 それが、自分の中の人間性善説、そして自分の中の平和につながる。 私は、走る。 私は、弾き続ける。

弾くは愛でる、走るも愛でる。 Read More »

死にゆく人を見守る、と言うこと。

私のアメリカン・ファーザーが92歳の大往生を遂げるべく準備をしている。 心臓が悪くなって最近入退院を繰り返し、 先々週にまたもや水が溜まって入院した際に私のアメリカン・マザーのジョーンと話し合い 「もう退屈だ。もう良い」と二人で決めて、 治療・投薬・食事を拒否し、今はホスピスで鎮静剤だけを投与してもらって死を待っている。 そのプロセスに立ち会うために帰省している。 エドはもう発声も困難だが、私が行くと笑いかけ、ジョーンが行くとキスを求める。 でも、目を開けるのも意思の力、という感じで、後は昏々と眠っている。 むしろケアが必要なのはジョーンである。 エドの死後に備えて、一人では無い事を私や息子や友人との会話で確認し、 経理関係、家関係、車、電気・ガス・水道、通信、諸々の準備を整え、 自分の独立した余生を計画しなければいけない。 感情的な、不安とか、孤独とか、そう言うのを差し引いても、これは大変な作業である。 生まれてきたら避けては通れない過程だ。 私はジョーンとエドの生きざまと死にざまを見せてもらうことで、 さまざまな事を教わっているのだ、と思う。 しっかり立ち会う。 エドには運転を教えてもらった。 免許を取る時も一緒についてきてくれた。 私の演奏会の時は楽屋で手を包んで温めてくれた。 エドは親日家で日本語を少し話し、読み書きも出来た。 16歳でホームステーを始めてしばらくしたある日、 学校から帰ってきたらテレビに張り紙がしてあった。 「テレビは、だめ。れんしゅうは、はい」と書いてあった。 大笑いしたのを覚えている。 下校後いつもおやつを食べながらテレビの前で数時間ぼーっと過ごしてしまう私を 心配していたのだろう。 英語がまだ不自由な私は高校の宿題がいつも一人では終えられなかった。 だって渡米して3年目の私に古い英語でシェークスピアやベオウルフを読め、と言っても無理! 私が学校に行っている間にエドが(もう引退していた)その日の英語の宿題を 私のために予習して、ダイジェスト版を作って、私の机の上にさりげなく置いてくれていた。 それを毎日やってくれた。 当時はまだ家にコンピューターが無くて、全て手書きだった。 どうやって電車でマンハッタンに一人で行けるか、教えてくれたのもエドだった。 予行練習を一緒にやってくれて、 クライスラービルディングで豪勢なお昼をごちそうしてくれた。 大学に上がってからもちょくちょく帰って来て栄養補給をさせてもらった。 そんな時、よく長い散歩に一緒に出掛けた。 そして「美」の定義とか、「生命とは何か」とか、そう言うトピックで色々話した。 物理学者で、Semi conductorを作ったり、NASAになんだかパーツを収めたりして、 その講義などで戦後間も無い日本を含む、世界中を出張した人だった。 でも、私が知っているエドはもう引退後で、穏やかで朗らかでいつもリラックスしていた。 色々お世話になった。 本当に育ててもらった。

死にゆく人を見守る、と言うこと。 Read More »

気を取り直すためのイメージ

私は頑張るのが好きである。 そして熱中・没頭型なので、頑張ると頑張りすぎてしまうことが良くある。 頑張りすぎると何が起こるか―頑張れない時間が出来てしまうのである。 ボ~っとしてしまう。 仕事をしている格好をしていても仕事が実際には片付いて行かない。 そしてYoutubeとかテレビとか見てしまって自己嫌悪に陥ってしまう。 この自己嫌悪を脱出する、気を取り直してまた頑張れる私の好きなイメージが2つある。 一つは聞いた話である。 競馬の馬と言うのはレースの直前、狭~いところに閉じ込められているのだそうだ。 馬は出ていきたくてうずうずし始める。 落ち着かずに蹄を地面に打ち付け始める。 そうしてエネルギーが爆発寸前にされた馬が レースの時にこの狭~い部屋の壁が一方に『パッ』と開くとき、 物凄い勢いで駆け出していくのだそうだ。 私は頑張れないとき、今は自分はレース前の馬なんだ、と思う。 こうやってエネルギーを爆発寸前まで蓄積させて、そしてぱ!と駆け出すぞ~、と思う。 そうすると「よし、我慢しよう!」と思う。 もう一つは手塚治虫的な、SF的なイメージである。 世界は今、創造された、と思う。 世界の住民も今、世界と共に創造されたのだ。 今までの過去の記憶は全部インプットされたものである。 自分には責任は無い、しかしこれで人生ゲームをしなければいけない、 カードの様なものである。 現存の条件は変えられない。 変えられるのは、自分が今ある状況の中でいかに最前を尽くすか、それだけである。 私の状況は今、かなり盛りだくさん、複雑で、だから面白い。 さ~、マキコ、どう出すか~????

気を取り直すためのイメージ Read More »

元気です!

鉄分・亜鉛・マグネシウム・カルシウム摂取が効果を上げたのか、 昨日1日思い切って休息日とし、グダグダしたのが良かったのか、 マット・デーモンが火星でロビンソン・クルーソーとなり、 化学の力を駆使して頑張って救助まで生き延びるその姿を 今話題の映画「オデッセー(現代「Martian」)で見て 「私も頑張ろう!私の諸々なんてマット・デーモンに比べたら冗談みたいだ!」 と触発されたのか、 それとも友人に一杯話しを聞いてもらって胸のつかえが取れたのか。 私は元気に復活です! 「忙しい」と感じるのは、 やることの多さに自分の気力がくじけ、生産性が落ちている時。 気力が充満している今朝の様な時間は「やったるぞ~」と張り切ります。 昨日は休息ついでに自分の気力と生産性を高めるため、ちょっとサーチをしました。 そして結果、今朝は走り始めて初めてジョギングは休み、2キロ弱の散歩のみとしました。 この記事を読んだ結果です。 http://spotlight-media.jp/article/248280363804515022?adxarea=k8WPS 何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。 私は没頭・熱中型なので、そういう加減が難しいのですが、 そうなんですね。 回復する時間を自分に与えることで、回復前の自分の能力を超えられる。 今日も快晴! 張り切って、行ってまいります。

元気です! Read More »

元気に、生産的になるために出来ること

時々、とっても疲れてしまう。 そう言うのも、結構面白い。 (ストレス!?) (栄養バランスの問題!?) (カロリーが足りてない!?) (やっぱり10K走った後遺症!?) (こ、これが噂に聞く、鬱!?) (それとも、もしかして…単なる怠け!?) …色々考えて、とりあえず色々試してみる。 食べてみる。(食べてる間は元気) カフェインを摂取してみる。(コーヒーは美味しいが元気にはならない) 睡眠量を増やしてみる。(良く眠れるが起きても同じ) やることを全て忘れてグダグダとYoutubeやテレビを見てみる。(楽しいが段々飽きる) 自分の状態を無視して作業や勉強を試みてみる(気力が続かず、気が付くとボ~) お菓子を食べてみる。(美味しいが元気にはならない) 散歩をしてみる。(気持ちよいがやはり元気にはならない) 軽く走ってみる。(楽しいが、終わってもエネルギー不足は同じく) 熱を計ってみる(お!微熱‼!) 鉄分と亜鉛とマグネシウムとカルシウムのサプリを購入・摂取してみる。(結果待ち) 2日間色々工夫して、それでも生産的姿勢が生み出せない自分を見出すと段々焦ってくる。 病気か、怠けか、ここはもう状態を無視して頑張るべきか、休むべきか。 最近色々ありますからね~。 金曜には論文の一つの締め切りがあって、それに向けて2週間位ぐんぐん頑張った。 その合間にもストーカー対処の諸々で急に随分手間取ったり、予定が狂ったりもした。 夏の日本の演奏会の運営関係の事務も段々始まって来ている。 さらにストーカー予防の諸々、1小市民としての責任の諸々、 全ての野暮用が色々重なって、段々回らなくなってきていた。 そんな中でもこれからある演奏会(日本も含む)の練習も、 どんなに忙しくても怠らなかった。 そして最後に、16から私の家族となって同居させてくれてもう20年以上になる 今年92になる私のアメリカン・ファーザーが危篤状態になり、 先週は明日NJに帰るか、明後日か、と言う宙ぶらりんの待機状態だった。 幸い少し状態が安定して私は今週の土曜日にそちらに向かうのだが、 やっぱりこういう事の心理的影響と言うのは無視出来ないものがあるのかも知れない。 10歳年下の私のアメリカン・マザーの愛情に満ちた介護を受けながら 親しい友人に訪ねてもらってニコニコしていると言う92歳の私のアメリカン・ファーザーは もう治療も投薬も食事も拒否し、水だけ飲んで自分の意志で、死を選んだらしい。 そう言うのも彼らしいと思うし、私はそれを尊重し、 出来るだけのサポートを感謝を愛情を込めてしようと意気込んでいるけれど、 彼にはいつも 「マキコは私の家族の中では私の次に博士課程を取得するんだよ。 早く卒業して、卒業式に参加させてよ」 と、ここ2年言われ続けていたのに、叶わなかったな~。 アメリカの伝統の、結婚式に花嫁を花婿に渡す父の役と言うのを 私の実の父の隣で一緒にやらせてあげようと思っていたのに、 それも叶わなかったな~、と、 そういう残念が、今の私には少し荷が重いのかも。 私は博士課程卒業は絶対にする。 するべく、今現在も論文を毎日頑張って進めている。 音楽人生も順調。ピアノも毎日上達していると胸を張って言えるし、 幸い、素晴らしい機会を沢山頂いて、 刺激を受ける共演者や聴衆と定期的に巡り合っている。 結婚も急ぐ訳では無いけれど、一緒に幸せに、お互いを向上しあえる相手とする。 私は、私の幸せと健康に責任を持って、ベストを尽くす。 私の事を本当に知っている人、私の事を信頼してくれている人は、それを知っていると信じる。

元気に、生産的になるために出来ること Read More »