February 2016

10k!走りました。

1月30日に始めて、のたらたらと走りまじめて、2週目。 レースに参加してきました! それまでは朝のジョギングはほぼ毎日欠かさず4キロ走っていました。 今日のレースは4分の1=10キロ、(6.2マイル)です。 私の目標は「歩かずに完走すること」でしたが、 周りが一杯走っているし、道端では応援してくれたりしているし、 何だか嬉しくなって、いつもよりずっと早いペースで1時間18分で完走してしまいました。 ちなみに一回も歩かなかったし、上り坂も全部ペースダウンをせずに走りました! 沢山の参加者!何千人と言う感じ。 どこから、どういう理由で来ているのか。 若くて健康そうな人も沢山居ますが、 割と年配の方、かなり体重がハンディな方も皆一生懸命です。 そして沢山の種類のレースもあって5K、10K,ハーフマラソン、フル・マラソンとなります。 今回の企画は道端でライヴのジャズ演奏がある、と言うことでしたが、 やっぱり音楽があったり、応援してくれている人が居ると、とてもうれしくなります。 私の実家が丁度駅伝のコースの真ん前で応援に行ったりもしましたが、 その時はどれだけ応援が嬉しい物か分からなかった。 でも、特に子供が一生懸命応援してくれていたり、 「パチン」と手を叩いてもらったりすると、俄然エネルギーがモリモリ湧いてきます。 3分の1位当たりから、自動的に体が動くようになって、 もう無心で走る、と言う感じ。 「ゾーン」に入ります。 風が心地よい。 応援の人が嬉しい。 周りの人の励まし合いが嬉しい。 皆が一生懸命なのが嬉しい。 マラソンを走っていると、無邪気に無心に、ポジティブになれる。 人生色々ありますよね。 でも、前に進むしかない! それならできるだけ気持ちよく、お互いを励まし合って、楽しめることを楽しみながら、 ぐんぐん、ぐんぐん、音楽に乗りながら、前に進もう! そ~れ、1、2の3‼!!

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最近のルーティーン

論文は時間があればあるだけ、かかる。 リサーチするべきトピックは山積みだし、 書き方だった工夫すればするほど面白く、簡潔に、伝えやすくなるし、 盛りだくさんにもできる。 練習も同じく。 すればするほど、面白い、極めたい。 しかも毎日することによっておこる上達と言うのもある。 その上人生の諸々は何かしら毎日、時間を要求する。 車検。 演奏会の告知。 来週の演奏のドレスの打ち合わせ。 お金儲け。 最後に私はいまだにストーカーの非常事態と対処していて、 警察や検事との連絡、記録の整理、など色々野暮用がある。 これ等を全てどのように責任を持ってこなすか!? 最近のルーティーン。 朝。 起きれるときに起きる。大抵5時台。論文執筆。 6時半。日の出に合わせて約30分ジョギング。 その後、シャワー、朝食、朝のしたく。 9時までに入れば、早いもの順の練習室がまだゲットできる。 2時間ほど練習。 そしてレッスンを生徒さんにお教えしたりする。 昼食は大抵家で取る。 カロリー計算もしているし、最近は外食が減った。 午後は野暮用、諸々に対処。 午後にレッスンをお教えする日も週に二日ある。 夕飯は早め。5時ごろに食べてしまう。 その後、論文執筆。 就寝は早い。9時か10時。 と、言うのを繰り返している。 木曜日は一日教える日。 週末は論文と、練習と、本番が大抵ある。 ルーティーンの良い所は、 頭が自動的に(次はこれ!)と切り替わるところ。 逆に悪い所は惰性で動いて、捗って居なくてもルーティーンをこなすことで満足したりする。 でも、今の私はリズムに乗って、前進しています!

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19世紀の音楽批評

19世紀の音楽批評を論文のために多く読んでいる。 面白い。 吹き出してしまうこともしばし。 「筆者はこんなにひどい曲は聞いたことが無い。」とか しかし、この「筆者」は無記名なのである。 19世紀は啓蒙主義や、貴族社会崩壊、宗教の圧力の軽減などから 歴史的にもかなり色濃く個人主義の時代だったようだ。 『自分が大事!』と言う姿勢が奨励され、 結果「自分が感じる事」「自分が思うこと」が少なくとも自分にとっては大変重要で その結果、例えば私生児の数がすごく増えたりとか、そういう副作用もあったらしい。 だから批評も歯にきぬを着せぬ、と言うか。 でも同時に賄賂や、友人・知人びいきとか、そういう事もあったし、 何しろ記事の非常に多くが無記名で、そうすると信憑性が薄くなったりする。 これ等の記事を読んでいくのは本当に面白くて いつまでも読んでいられるのだが、さてこれらをどのように自分の論文に役立てようかと言うと 中々難しい。 でも、書くと言う行為は後世の意見を左右する大変な事である。 そういう認識を持たずに、書きまくっていた、出版しまくっていた19世紀。 その書かれ残った歴史と、実際の当時の現実とのギャップをどのように埋めるか。 歴史と言うのは本当に水物である。

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生きるために食べるか、食べるために生きるか。

To live to eat or to eat to live. 食は文化だ。 食は生きるために欠かせない営みだ。 その食に手間と技をかけ、工夫をすることが最高の贅沢だ、芸術だ、とも考えられる。 食べるために生きる人が、究極のグルメだと思う。 美食を追及し、美食を囲んだ社交を大切にし、 健康よりも味覚を取る、と言う食哲学。 対して。 健康のために食べる、と言う考え方。 身体に良いものを、身体の良い様に、身体に良いから食べる。 食は健康体を作るための一環だ、とする食哲学もある。 極端な例では食材に火を通さず、動物性たんぱく質を全くとらない(乳製品も卵もダメ) Raw Veganなる食文化もある。 彼らは低温や、圧力などで、これも物凄い手間をかけて調理したりする。 これもある一種の食に関する価値観・文化・主義だ。 クラシック音楽家と言う生業をしていると、 前者に多く囲まれることになる。 クラシック音楽のスポンサーになるような人の多くはグルメだし、 クラシック音楽家自身も飲んべいのグルメや、 自ら腕を振るうこだわりの料理人が多かったりする。 でも、病気がちだった自分の過去や、 食倫理から菜食主義の友達を多く持った事、 さまざまな理由から私はいつもこの二つの両極端を行ったり来たりして食べてきた。 まだ言うのも恥ずかしい始めて10日なのだが、 毎日マラソンとカロリー計算を始めて、 食に対する新しい見解を確認しつつある。 私は成長期、病弱だったことなどからほとんど運動をせずに来た。 それがマラソンをするようになって、やってみたら6キロ歩かずに走れるのである! 驚愕した。 いつの間にこんなに強くなっていたんだろう? それともいつも意識だけの問題だったんだろうか? 。 そして、食に関しての感覚も変わった。 食いしん坊で、食べる量に関しては自信があって 反面、いつまでも食べていたくなってしまう、そんな食習慣だったのが、 運動を始めて、体が欲する時に体が欲している物を欲している量だけ食べる、 と言う感覚を始めて覚えた。 カロリー計算をすることによって、 身体に適度な摂取量と言うのも知った。 面白い。 性転換が可能な世の中である。 ほぼどんな肉体改造も可能なのではないか? そして自分の肉体を責任を持って管理することで 最終的に自分の運命も管理することになるのでは? 私は化粧する時間があるならば走る。 走って、食を正して、内からきれいになる。

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余裕と運動

体育は本当に苦手だった。 補助なしで逆上がり出来たことは一度も無し! 私の家族は皆本の虫で、インドア家族だった。 それに幼少期から病気がちで、ピアノの練習もあったし。 兎に角運動と言うものにあまり縁なく、この年になってしまった。 ヨーガに凝ったのはヨーガが一番運動らしからぬ運動だったからかも知れない。 瞑想的な一面に共感した。 そんな私が友人にFitbitをプレゼントされて、 自分でも滑稽なほどはまってしまった。 Fitbitと言うのは豪華万歩計と思ってください。 歩数だけでなく、燃焼カロリー、歩いた距離なども計算してくれる。 また、オンラインで食事を記録することで消費したカロリーを計算してくれたり、 Fitbitと提供して、運動量に対して消費するべきカロリーを提示してくれたり。 今では私は万歩計の虜! 練習や論文の気分転換にはビルの周りをぐるっとお散歩! レッスン教えるときは今まで手を叩いて拍子をとってあげていたところを 全て足踏みに変換! トイレだって遠い方のトイレまでわざわざ小走りで行ったりする。 お陰で毎日一万歩は軽くクリア。 今日は1万3千674歩。 大満足で、快調で、毎日元気に過ごしています。 それにしても私は素晴らしい友人に恵まれている。 ちょっと最近論文やなんやで疲れ気味だった私を 一気でここまで幸せにしてくれるプレゼントを考え付くなんて、 私の事を本当に考えていてくれているんだ、と思う。 幸せです。

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