April 2017

練習=犬の訓練

最近、生徒に良く言っていることある。 「練習と言うのは、犬を訓練するように自分の体を訓練する、と言うような側面がある。自分(頭)では『こうあるべきだ』と分かっているんだけれど、自分の犬(体)がそれを毎回完璧にこなせるようになるためには、ご褒美や、褒め言葉や、色々な工夫、そして何回も繰り返しをすることが必要。」 こんな事も言っている。 「スポーツのためにはみんな、筋トレとか、ジョギングとか、それ自体は単純でつまらない事を黙々と甘受してやるのに、ピアノになると、まるで天からのインスピレーションで急に弾けるようになると思っているみたいに全然練習しないで、でも上達をしないことに文句を言う。おかしい。ピアノだって芸術面だけでなく、技術面もあって、それは肉体的と言う意味ではスポーツと何ら変わらないのに。」 その代り「啓蒙」とか、インスピレーションとか、そんな高尚じゃない所にも、ピアノの面白さと言うのはある。複雑なパッセージの正しい音がやっと取得出来た時の嬉しさ。難所がいつの間にか難しく感じなくなっている時の嬉しさ。自分の肉体を完璧にコントロールできる、と言う嬉しさ。成果が明らかな努力と言うのは、していて楽しい。 生徒を教える自分の言葉に諭される気持ちで、最近、真面目に練習している。楽しい。 上のヴィデオは2年前にプロコフィエフの協奏曲3番をNYで演奏した時、オケのプロモーション用にYouTubeに挙がったものです。最後に私がにかっと笑っているところが気に入っています。    

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演奏と録音の決定的な違い

3月末から私の7枚目となるアルバム「100年:ベートーヴェン初期作品2-1(1795)とブラームス晩年作品120(1894)」を私の心の友であり良きデュオ・パートナーのクラリネット奏者佐々木麻衣子さんと収録している。ベートーヴェンのピアノソナタ一番と、ブラームスのピアノとクラリネットのためのソナタ1番と2番。 自分のこれまでの6枚を含め、録音はもう二十年近くにわたり色々手がけて来たが、録音と言うのは本当に厳しい。素晴らしい試練と言えばポジティブだが、自己批判をしながら弾くと言うのは苦しい物である。 演奏中、3人の自分が居なければいけない、と言う事はピアノのレッスンなどで良く言われる。そこまでの自分の演奏を良く聴いて評価する自分、演奏に集中する自分、そして現時点以降の曲の展開を考える自分、である。録音の時にはこの最初の自分がとても大事になる。できるだけ効率よく、完璧に近い演奏を収録するためには、今進行中のテイクを続けるべきか、ここで中断して違うテイクを弾き直すべきか、常に判断しながら弾き進んでいる。 生演奏の場合、過去のミスは忘れるしかない。ミスをしたら大事なのはいかにそのミスの影響を最小限に食い止めるか、だけ。その為には演奏する自分と、現時点以降の音楽に集中する自分の方がよほど大事になる。音楽と言うのはコミュニケーションだ、と私は思っている。自分の気持ち、自分が美しいと思う物、そう言う物をシェアしたくて自然発祥すると言うのが音楽の理想的な在り方だと思う。だから生演奏では、お客さんのエネルギーと言うのが私の演奏を大きく左右する。お客さんがいっしょに乗ってくれるとワクワクする。ピーンと空気が緊張して無音の状態よりもさらなる静寂と言うのをお客さんと分かち合う、と言うのも物凄い一体感だ。この前(3月23日)にアジア・ソサイエティーで演奏した時は、リストのハンガリー狂詩曲で聴衆に参加を呼びかけたら、みんなノリノリになってくれた。   しかし録音の場合、このシェアする対象がとても抽象的なのだ。しかも色々な機械を通して変わった音を、全く違った環境で、今の私の演奏を聞く様々な人達、と言うのは想像し難い。 じゃあ、なぜ私は録音をするのか。私は2001年のラヴェル初期作品を皮切りに大体2年に一枚のペースでアルバム収録をして来た。これは自分に課した修行だ、と思っている。私の音楽人生を支援し、可能にしてくださっている沢山の方々や団体に感謝の表明と成長の報告、と言う意味もある。自分の成長の記録と言う意味もある。しかし、収録の作業と言うのは自己反省の、物凄い勉強なのである。練習中でも中々到達できない自己批判のレヴェルが、セッション中ずっと続くのである。これは非常に疲れるが、同時に自分が上達している実感も伴う。 そんな収録が続く中、明日は何度もすでにお世話になっているCrain Garden 演奏シリーズで正午にベートーヴェンのソナタとショパンの英雄ポロネーズ、リストのメフィストワルツを演奏させていただく。ご褒美みたい。とっても楽しみである。

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「気合を入れる」は「力む」とは違う。

今年の日本の演目テーマ『天上の音楽vs。地上の英雄』の後半で弾く曲はベートーヴェンのソナタ一番、ショパンの英雄ポロネーズ、リストのメフィスト・ワルツ一番など。この『地上の英雄』の初公開が13日(木)に迫っています。  『天上の音楽 v.s. 地上の英雄』PDF ダウンロード  Crain Garden Performance Seriesと言うお昼時一時間の演奏シリーズで『地上の英雄』デビュー! 同時進行で最新アルバム収録も着々と進んでいます。 これで7枚目となる私のアルバム。今回はわが心の友にして素晴らしいクラリネット奏者である佐々木麻衣子さんと組んで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ一番(1795)とブラームス晩年のクラリネットソナタ作品120(1894)を「100年:ベートーヴェンの初期とブラームスの晩年」と言うテーマで収録中です。 それなのに...左手首と腕に違和感を覚え始めたのが一か月くらい前。3月11日と23日の演奏会でリストのハンガリー狂詩曲を弾いた時も、弾ききれるか心配でした。幸いお客様にはお楽しみいただけたようですが、その後も原因不明の腕の重さ、体のだるさ…(心理的なもの?)(姿勢?)(練習法?)と色々考えてみましたが、でもまあ英雄ポロネーズもリストも左手のオクターブ連打が大音量で延々と続いたりしますから、しょうがないと言えばしょうがないのかも知れません。どうやったら脱力できるだろう、どのようにペース配分しよう、どこで体力温存しようと、練習中にも演奏中にも日常生活中にも、自分の体に気を使っていました。 が、今日打開!発見!解明! 難所のパッセージに来ると「頑張らなきゃ」と思います。「集中しなきゃ」「上手く弾かなきゃ」…そしてその時に力んでいるのです。気合を入れると言う事は神経を研ぎ澄ますと言う事で、筋肉をこわばらせることでは無い。実際にはかなり冷めた状態で、冷静に達観してこなした方がうまく行く。 この発見のお陰で今日の練習は短時間ですごく効率よく、チャレンジの打開法が次々と発見できました。これは、人生にも当てはまることだな~と思って忘れないようにブログに書き留めておきました。

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