最近、生徒に良く言っていることある。
「練習と言うのは、犬を訓練するように自分の体を訓練する、と言うような側面がある。自分(頭)では『こうあるべきだ』と分かっているんだけれど、自分の犬(体)がそれを毎回完璧にこなせるようになるためには、ご褒美や、褒め言葉や、色々な工夫、そして何回も繰り返しをすることが必要。」
こんな事も言っている。
「スポーツのためにはみんな、筋トレとか、ジョギングとか、それ自体は単純でつまらない事を黙々と甘受してやるのに、ピアノになると、まるで天からのインスピレーションで急に弾けるようになると思っているみたいに全然練習しないで、でも上達をしないことに文句を言う。おかしい。ピアノだって芸術面だけでなく、技術面もあって、それは肉体的と言う意味ではスポーツと何ら変わらないのに。」
その代り「啓蒙」とか、インスピレーションとか、そんな高尚じゃない所にも、ピアノの面白さと言うのはある。複雑なパッセージの正しい音がやっと取得出来た時の嬉しさ。難所がいつの間にか難しく感じなくなっている時の嬉しさ。自分の肉体を完璧にコントロールできる、と言う嬉しさ。成果が明らかな努力と言うのは、していて楽しい。
生徒を教える自分の言葉に諭される気持ちで、最近、真面目に練習している。楽しい。
上のヴィデオは2年前にプロコフィエフの協奏曲3番をNYで演奏した時、オケのプロモーション用にYouTubeに挙がったものです。最後に私がにかっと笑っているところが気に入っています。