この記事は10月1日に掲載された連載中コラム「ピアノの道」No. 42と同文です。
私は毎朝ピアノに全てを預けることで練習を始めます。ピアノの鍵盤に自分の手・腕・肩・頭、そして出来る限りの上半身の重みを委ねて「ジャ~ン」と和音を解き放ち、その和音が消え入るまでの約一分間、音と自分を一体化するのです。目は閉じます。イメージで言うと蛙の飛び込んだ古池の水面がまた鏡の様に静まるまで見入る感じ。音波が遠のいていくのに集中すると、呼吸も気持ちも落ち着いてきます。「耳のウォームアップ」です。
本当に耳を傾けるということは、何が聞こえて来ても受け入れるという態度と覚悟、そして同時に希望と期待と信頼です。「聴く」は音に対して主体性を持つことです。一方で「聞こえる」は自分に関係なく鳴る音を認知するということ。でも「耳を傾ける」というのは音とその音源を全身全霊で受け止めることだ、と私は思っています。これは本当に難しいです。
人と対話をしている時、相手が言おうとしていることに大方の検討を付けてしまうと、自分の返事の内容ばかりに集中したりしてしまいます。でも相手の発言には言葉以外に、声の抑揚、息継ぎ、勢いや言いよどみ、色々な表現がありますよね。相手に「耳を傾ける」のは言葉の理解を超えて、同情し寄り添うことだと思います。意見が違う人こそ、その表現に人間性をお互い見出したい。テクノロジーを介したコミュニケーションが激増し、生身の会話が少なる中、そんなことを音楽家として主張していきたいと思います。
来る10月3日(土)の2時半から4時までNYにあるNPO『Restorative Justice Initiative』主催で演奏とトークの会に出演します。Restorative Justice-日本語では「修復的司法」というお堅い名前ですが、実はとても優しい。今は犯罪や事故などの場合、損害を起こした責任者が罰を受けて償いますよね。そうではなく被害者が受けた損害をRestore(修復)するべく、損害責任者を中心にコミュニティー全体で修復法を探る対話をする、という法制です。これを広めるためのオンライン・チャリティーコンサート。「聴く姿勢の大切さ」というお題目で主催者とトークをし、演奏を致します。ご一緒頂ければ幸いです。
今日行った演奏はこちらでご覧いただけます。
お疲れ様です。
生理的に嫌いならば、聞く耳を持たぬとなります。
【接近と回避の法則】人間は「快楽への接近」と「危険の回避」の二択が行動の動機になっている。と聞いたことがあります。
重宝な言い訳ですね。
小川久男
「快楽への接近」と「危険の回避」は全動物ではないでしょうか?
『人間は』と特定するのであれば、向上心・意欲・想像力・創造性・探求心・ユーモアなどもっと色々上げたい気がします。
真希子