洒脱日記192:バランスの重要性。

先週の散歩中に撮ったいかにもロサンジェルスっぽい風景。

食事のバランスと同じように、生活にもバランスが必要だなあ、と感じている。

一般的に言えば多分それは、知性・肉体性・感受性を全部均等に使う、ということなのだと思う。多分何がどれくらいの割合で必要なのかというのは、個人差が在るのだと思うけれど、私の場合は毎日、運動と瞑想と執筆と読書と練習と空想に集中する一人の時間(9)と、外界との何等かの交流をする時間(1)が必要と反省している。でも一つをやり始めるとそれだけをずっとやりたくなってしまう「没頭型」なので、これを一日で全てこなす時間配分がとても難しい。今日は練習も運動も読書も空想もほぼ壊滅状態の一日になってしまった。

バランスが崩れた一日の由縁は正午までに二つの締め切りが在ったから。一つはヴィデオの編集。コロナ前に何度か講義にご招待いただいた生涯学習センターから1時間のヴィデオを作るお仕事。英語ですが、下です。

そしてもう一つの締め切りは本の執筆に関して。物書き仲間と原稿の読み合いっこをして感想を言うというもの。相手の原稿はもう読み終わっていたのだが、感想を文章にまとめておきたかった。

と、言うことで今日は朝練ライブ配信を終えてそのまま散歩にも行かず、いつもの運動ルティーンも放棄して、そのままヴィデオ編集に突入。ヴィデオ編集が終わったらすぐ感想文をまとめることにかかり、そのまま約2時間読み合いっこをした物書き仲間と電話の会話。

その後、お家に不幸が在った知り合いからの性急な「生徒のレッスンを引き受けて!」連絡や、生涯学習センターから「出来るだけ早く請求書の作成をお願いします」連絡や、兎に角『性急』『今すぐ』連絡の嵐に巻き込まれ、気が付けば一日が終わっていた。

う~ん、何か勿体ない様な一日だった気がする。敢えてバランスの悪い食事に例えると、肉ばっかり食べてしまった食事の後の様な胃もたれ感。あるいは生野菜しか食べなかったような物足りない寂しさ。

野の君も最近一歩も外に出ずに朝から晩までズームで教えたり会議をしたりしている。ズームが深夜に及ぶこともしばしば。昨日は「ずっとお家にいるのも疲れたから、ちょっと食料品の買い出しに行ってこようかな...」と私に言った次の瞬間、寝室で午後の爆睡を2時間していた。一日一食は絶対二人で一緒に食べる、と決めているけれど、本当に忙しい野の君はそのお食事さえ5分とか7分とか。しかも腰が半分浮きながら食べている状態。(それでも私の朝練ライブ配信には絶対一緒に付き合って、セットアップを担当してくれてるーありがとう、野の君!)

在宅勤務は特典も多い。移動時間がない。渋滞もない。ガス代が助かる。でもお家が仕事場になった時、勤務時間が私生活を侵略して来たりもする。公私の区別が段々つかなくなってくる。やはり絶対守る事を決めよう。

私一人に限って言えば:

  • 練習時間
  • 外の空気を吸う時間
  • 運動と瞑想をする時間と自分との約束
  • 執筆に毎日少しでも時間をかける。
  • 少しでもよいから読書をする。
  • お家の責任をキチンと果たす。

そして野の君との共同生活に於いて:

  • 2人で一日一回は「美味しいね~」と言いあって食べる。
    • 食事の内容と時間と気持ちの問題
  • 2人で一日一回は絶対一緒に日の光を浴びる。
  • 睡眠は妥協しない。睡眠もプロ意識とわきまえる。

最近、血圧が90・60を大体毎日上回るようになって、またお食事がおろそかになって来てしまった。が、一つ発見。朝ごはんに味噌汁を食べると気分が良い。不思議。どうしてだろう?塩分かな?お味噌汁は簡単で美味しいし、お野菜が豊富に取れるし、お腹にたまるし、卵落とせばタンパク質も美味しく取れるし、最高!

2 thoughts on “洒脱日記192:バランスの重要性。”

  1. お疲れ様です。

    生きていますね。
    本源的に。
    太い実線ばかりが人生ではありません。
    実線は、細い線の撚り集まり。
    日がな一日、何とはなしに暮れていく。
    その連続が人生です。

    小川久男

    1. ありがとうございます。
      それを許容するか、別の物を目指すか、ということですね。
      真希子

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