Save the MusicというNPOの25周年記念イベントにご縁あって出席させていただきました。公立学校の音楽カリキュラムを援助し、音楽が子供の成長に於いてどのような好影響をもたらすかという理解を広めていく活動をしているNPOです。
立食パーティーの後のショーでは、ラップ、カントリーミュージック、マリアッチ(メキシコの民族音楽)、ソール、ヒップホップなどいろいろなジャンルのスターが出演しました。私はクラシック以外の音楽にはとんと疎いのですが、そんな私ですらなんとなく見覚えがあるような人たちの出演に、聴衆はスタンディングオベーションで敬意を表したり、熱狂して踊ったり、嬌声を上げたり、スマホで狂おしく写真やビデオを撮ったりしていました。
和声進行やメロディーやリズムなど、音楽を作り上げる要素を分析してみると単純です。しかし単純だからこそ、音楽の価値が難度ではなく気合いとか心・魂になるのかと、彼らのステージを観て思いました。
それから、ジャンルを問わずみんなトークと演奏が半々だった。私はクラシックピアニストとしてトークがすごく多い方です。特に若いころは「ピアニストは黙って弾け」「蛇足だ」「壇上から偉そうに」みたいなお叱りを受けたこともありました。(それに対する返答として2003年に書いた「私が演奏会で喋るわけ」は今でも誇りに思うエッセーです。)クラシック音楽における「儀式としての演奏会」という考え方は19世紀から主流で、奏者は「司祭」や「(作曲家に対する)お筆先」みたいに思われる歴史的背景があります。でも昨日のギャラではそれぞれの持ち時間が限られていたにも関わらず、みんな当たり前のこととしてトークをしていた。
さらに8割くらいの人が「I was saved by the music」と言っていた。これはNPOの名前「Save the Music」に引っ掛けて、ということもあったと思います。でもそれだけじゃない。「自分は牢屋で音楽を始めた。でも今はこのステージに立っている。すべて音楽のおかげだ。」と言った男性。「私たちはみんな音楽に救われて今ここにいるのではなくて?」といったシンガーもいました。彼女の言う「私たちみんな」というのは会場にいるみんなが音楽に救われた経験を経てこのNPOを支援するに至っていると言っているのか、それとも全人類が音楽に救われているから生きながらえていると言っているのか、はたまた両方なのか…しばし考えこみました。「イラク戦争の時、地下防空壕(?)にピアノがあった。もともと教会音楽で育った自分は音楽が大好きだったけれど、戦場で初めてピアノを練習した。そして初めて戦友を亡くした時、追悼式で演奏したら同部隊の全員が号泣した。それを見た上官が、私を前線から外し、追悼式で演奏する音楽家に任命してくれた。私は文字通り音楽に命を救われた」というトークをした語り弾きの男性もいました。(この夫婦デュオです。すごい!)
クラシック音楽では「音楽に救われた」というより「音楽で世界を救う」という言い方をする方が多いような気がします。でも、クラシック以外の音楽では「音楽に救われた」というのかなあ。これはやっぱりクラシックのおごりかなあ、と思いました。
スターたちに交じってSave the Musicの援助を受けた学校の生徒たちの演奏もありました。「音楽が無かったら学校を続けていなかったかもしれない」といった子がいました。Save the Musicではアメリカでは一般的なバンドやオーケストラや合唱といった音楽授業のほかに、録音技術や音楽プロデュース・音楽ビジネスの授業などをもオファーします。そしてクラシックに固執せずにいろいろなジャンル、特に自分の祖先・出身の文化に沿った音楽をすることを奨励しているようです。これも私が今まで見知ってきた学校音楽の授業とは違うなあと、新鮮で好意的に思いました。
いろいろ考えさせられるイベントでした。世界は広し。でも、音楽の同志は多し。元気と勇気をもらいました。
お疲れ様です。
音楽の神髄が表されていました。
ジャンルは何であれ、音楽は五線譜に印されています。
それを演奏することで、演奏者と作曲者の想いが表現されます。
曲は、その日、その時の心模様で視聴し、楽しめればいいのかなと思います。
とても分かり易い文章、感謝です。
小川久男