背水の陣の練習中の発見!

パリから戻ってきました。
マレーシアのKuala Lumpur 経由で長旅でしたが、そのほとんどを爆睡して過ごしました。
今日は明日の美浜でのリサイタルに向けての練習日です!
パジャマも着替えずに練習しています。
それで、そう言うときに起こる発見が又一つ。
私は間違えていた。
日本人、そして東洋人として西洋音楽を専門としていく上で、
「東洋人」と言うのが何なのか、自分のアイデンティティーについて考えたいと思い
組んでみた今年のプログラム、西洋音楽の描く東洋、「ピアノで奏でる東洋」。
でも、人が自分をどう見ているか気にしてみたところで、
「自分」がどういう人間なのか絶対分かりえないのと同じで、
西洋人が歴史上、東洋のイメージをどう発展させてきたか勉強しても、
自分が西洋音楽を専門する上での自分のアイデンティティーはちっとも明確にはなりません。
その代わり分かったのは、
自分のその質疑の元々が結構東洋人としての自分のコンプレックスを反映するものであったこと、
さらに、「東洋」のイメージは結構西洋音楽上、モテモテだった、と言うことです。
もう一つ分かったことがあります。
それは、東洋を描いたフランス印象派の音楽に物語りや感情移入を求めてはいけない、と言うこと。
これ等のレパートリーは『におい』や『味』と似たようなもので、
五感に訴え、曲の中での変化も在りえますが、発展性は無い、禅問答のようなものです。
でも、美しい。
浮世絵に、
その浮世絵が描かれた同じ時代に生きた日本人は色々な物語を見出し、
感情移入したかもしれませんが、
そう言う浮世絵を購入し、それを通じて漠然と東洋を夢見た西洋人には
浮世絵やそう言う東洋のイメージと言うのはむしろ自然現象のような
憧憬の対象でも、感情移入の対象では無かったのではないでしょうか?
もともとドビュッシーを始めとする象徴派、印象派の作品は
発展性、物語性、叙情性を目的としていないところが在ります。
まあ、そんなところです。
つらつら。
時差があるから、時間の感覚が狂っています。
もっとずっと練習できると思っていたらもう5時20分!
音だしは9時まで。後ちょっとがんばります!

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