洒脱日記173:火事が広がっています。

火事による大気汚染で、火曜日の午後からずっと全く外に出ていなかった。

土曜日の今日、野の君と食料の買い出しに出かけた。4日ぶりの外出。全てに薄く灰が積もっている。車のドアを開けると雪の様に灰がヒラヒラと舞う。そして霧のようだけれど違うものが視界を狭くしている。天気の良い日は遠くに見える山脈が全く見えない。まっすぐな道路の先がかすんでいる。

夜、野の君が「火事を見に行こう」と野の君らしくない事を言う。「よし、行こう。」

まあ10分は走るつもりで高速に乗って、一分も経たないうちに「あああああ~!あそこ、燃えてる~!」山の上が燃えている。

不謹慎にも木曽の田舎で子供の頃夏休みに観た「大文字焼き」を思い出す。山肌にたいまつで大の字を描くのだ。小さく見えた。あの時と同じくらいの距離で、でもずっとずっと広範囲にわたって大きな炎が揺れ動いているのが見える。私はいつも帰省中の都会っ子で祖父母の家の近くから見守るだけだったが、地元の子でたいまつを持って毎年山に登っていた子たちは多分今、距離感と山の感じでこの火事の規模が私よりずっと正確にわかるのだろう。私はただ驚愕するだけ。そして喉が痛い。

高速を降りて、近くまで運転してみる。私たちにも避難勧告が出るのだろうか?

家の近くの火事はBobcatと言う名前で呼ばれている。これはいくつも同時発生している西海岸の火事の一つにすぎず、しかも全然一番大きい火事ではない。今現在で燃焼した地域はニュージャージー州に匹敵するそうだ。

そして一番悪いことは、このまま気候変動が続くとすると、これが毎年の恒例となる、と言うことである。今年に限って言っても「山火事シーズン」はまだ始まったばかり。

9.11を思い出す。ずっと何週間も臭かった。そして第二次世界大戦中の空襲を思う。その時の空気の悪さについては言及する人はいないけれど、ああ喉が痛かっただろう、と今日思う。息苦しかっただろう。見えにくかっただろう。怖かっただろう。

焼け残った日比谷公会堂は、遺体安置所として使われていたらしい。その日比谷公会堂で終戦後一か月も経たないうちから音楽会が再開された。私は自分が出来ることを、誠心誠意を込めて、発信し続けます。

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