洒脱日記212:究極のバランス

ずっと我武者羅に音楽人生を生きてきました。でもコロナになって少し辺りを見回す余裕が出来てきたのかな、と思います。

自分の衣食住に全く無関心だったのは、ピアノ馬鹿の武者修行の結果と言って良いと思います。そういう物にお金と時間と意識を使う余裕が無かった。若い時はそれでよいのだと思います。そういう風に音楽に全身全霊で没頭できる人生の一章が在ったことは特権的贅沢だったと感謝しています。でも、中年になって例えば美味しい物・体に優しい物を食べることがそのまま直接演奏に繋がる、ということに気づく。良い住環境が安眠と安心に繋がり、それがそのまま集中力や自信へと自分を導いてくれる。

今日は、暖房のチェックに技術者を雇って来てもらいました。とても優しい技術者の方で、1時間のアポだったのに、結局2時間も居て、色々丁寧に対処してくれました。絵を描いてヒーターがどういう風に家を温かくするのか、この機械を一番省エネで一番効率長持ちさせるためには、どのようなケアが必要か、物凄く丁寧に説明してくれました。わざわざフィルターの変え方やお掃除の仕方までやって見せてくれました。

車のオイルチェンジもしました。バッテリーやワイパーやタイヤなど、全て調べてもらいました。

主体性を持って生きることで、それが良い自信と安定性にどんどん繋がっていけば良いなあと思います。

勿論、主体性には限りがある。未来は分からない。自分の死ぬタイミングも死に方も多分選択肢はない。私や他の多くのアメリカ人の希望を無視して、エイミー・コニー・バレットは最高裁判事に承認されてしまった。選挙やコロナや山火事や気候変動がこれからどう私たちの人生を左右するのかについても、主体性を持つことは難しい。でも、出来ることはある。自分の言動に心を籠める。没頭して何かを信じて打ち込む。そして縁や好機や今あるものを愛情を持って大事にする。

私はやっぱり音楽馬鹿です。何をするにしても最終的なバロメーターは全てそれが結果的に良い音楽家魂、そして良い演奏に繋がるか、ということです。でも、そのおかげで全てが明確になってきます。

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