演奏道中記6.17:ギリシャの忘備録

日常から切り離された旅行中だからこそ、新鮮な見解の発展や人間関係の進展があったりします。同時に、旅行中の発見や啓蒙は、日常に戻った時に置き去りにされてしまう危険性もあると思います。今回のギリシャには、そうさせたくないいくつかの貴重な気付きと出会いがありました。ここにそれを忘備録として残したいと思います。

演奏を通じて人の輪が強く大きくなる喜び

今回は私は野の君の学会についていったのです。学会の会場となったのはアテネからフェリーで2時間程言った離島にあるスペツェス島に1849年に創立されたAKSS(Anargyrios & Korialenios School of Spetses)という昔の寄宿学校。成績により寄宿舎が決まったそうです。我々が宿泊したのは成績優秀者の為の寄宿者。ブーゼンドルファーのグランドピアノがある広間がありました。だから学界参加者の為の演奏会の依頼があり、私も練習の心配なく野の君に随行する事が出来たのです。

床も壁も天上も石造り。縦長い客席と舞台の間の仕切りが残響エコーを増長する独特な音環境。

でも、学界二日目に参加者の為に予定されていた演奏会は正直ちょっと気が重かったのです。「おもちゃのピアノの音がする」と、音楽には無頓着の野の君でさえ笑うほどのピアノ。鍵盤は紙の様に軽くコントロールが効きにくく、弱音を出そうとすると打鍵しても音が出ない。そしてこの部屋特有な残響はピアノから放つ音が客席にどう届いているのか予測できにくくしている。

でも、これを稀なチャレンジとして楽しみ、好機として利用する。それがマキコのピアノ道だ!

まず、お客さんに話しかけます。「ピアニストとしてのチャレンジの一つに、鍵盤に座っている私が聴いている音と客席に届いている音の違いが推し量れないという事があります。更に、空の会場でサウンドチェックや練習をしても、客席が埋まった状態では聴衆の肉体が音を吸収し、音環境が大きく変わります。その為に皆さんのご協力をお願いします。まず一度立ってみてください。(ガラガラドタドタ...皆が立つ音が静かになるまで10秒くらい)これから一つの和音を「ジャ~ン」と鳴らします。その余韻にず~っと聴き入ってください。そして音が完全に聞こえなくなったと確信した瞬間に着席してください。これで私は会場全体への音の響き方が掴めます。」

...これは私が音響が不安な会場でたまにやるオープニングです。音響の広がり方の一つの指針になるだけではなく、一つの和音に聴き入っていただくことがいわば『耳のウォームアップ』になります。会場には音楽を載せる静寂の土台ができあがり、奏者を含める全員が一体となって「聴く」姿勢が出来上がります。

全員が着席し、静まり返った会場に語りかけます。「音楽家というのは、音楽とは何かという事を生涯追求する人の事をいうのではないかと思うようになった。」という話しから、脳神経科学者との共同研究を経て新しく得るに至った音楽観の話などを交えながら弾き進みます。そして「音楽というのは他人の痛みや喜びを自分の物として感じる共感力を強め、時空を共にする共同体としての我々の団結を強める。」という話しを経て、ショパンの「革命のエチュード」のイントロに「侵攻を受けたウクライナで自分の命を賭けても祖国を守りたいというウクライナ人たちを観て、ポーランドの独立運動に携わっていたショパンを思い出した。」と話しをしました。「一般社会では実感や表現を奨励されない感情というのを、安心して吟味できるのが音楽時空なのではないか。怒り・悔しさ・焦燥感・懐疑心・絶望感...そう言ったものを一緒に音楽を通じて体験することで昇華しようとするのが人間性ではないか。」頷いてくれる顔がいくつも聴衆の中に見られました。その後は質問が次から次へと出て、予定されていた時間を大幅に超越するほど。(通じ合えた)という嬉しさにいつまでも浸っていたいような嬉しい演奏会となりました。アンコールをねだられて「ああ、でも皆さん午後の協議会の時間が迫っているのですが…」と私が主催者に気兼ねをして困っていたらば、ギリシャ出身の偉い学者さんが「『ギリシャ時間』と言って、ギリシャの人は時間にあまり細かくないんです!心配しないでアンコールを弾いてください!」その言葉に会場が笑いに満たされ、私はもう一曲弾くことになりました。

演奏会

スペツェス島の教育者たちと音楽の効用について語る。

(通じ合えた)という実感は、その後何日間も、学会の閉会まで続きました。まず、この学会の運営を担当をしていたギリシャ人の女性が非常に感動してくれ、来年ギリシャで同じような会を教育機関や演奏会場でできないかどうか、色々な人に掛け合ってくれたのです。お蔭でスペツェス島の教育者などとミーティングをする機会も得られました。経済的事情から音楽などの授業が削減されてしまったギリシャの公共教育制度。でも、現場の教師たちはその必要性を実感しています。「是非、あなたに客員講義をしてほしい。それでニーズを立証できればヨーロッパ中に広める音楽特別授業の土台とする事も不可能ではない。」ヨーロッパ連合はその結合を強める一つの手段として「Erasmus」という交換留学制度を設け、教師たちの留学も奨励し、更にはEU内での教育観の合意を目指している様です。

先生たちは他にも、色々なお話しをしてくれました。スペツェス島は人口が5,000人に満たない小さな島です。「観光シーズンは賑やかですが、実は簡単な診療所以外は設備の整った病院もなく、救急医療が必要な場合はヘリコプターで患者を輸送するしかありません。冬の寒さは厳しく、社交の場も少ない。そしてギリシャの国内のどこに行くにもアテネ経由で何時間もかかります。教育者として来たがる人も少ない。そんな島なんです。」その島でピアノを教えられる人は一人。「とても良い音楽家で、教師だと思います。でもこの島で育つ子供たちには本物の演奏や芸術に触れる機会が非常に限られてしまうんです。」「そういう子供たちに一回でも本物の生演奏を聴かせてあげる事ができたら、人生が変わると思うんです。」

この話しが現実化するか—冷静に言ってしまえば難しいと思います。なぜアメリカはしかも西海岸に住むピアニストをわざわざギリシャの離島まで旅費を払って招待するのか。それだったらアテネやギリシャ近隣国にいくらでも該当する演奏家は居るだろう。それに楽器の良し悪しに演奏を左右され、楽器が無ければ演奏できないピアニストよりも、楽器を運んで演奏できる奏者—例えばギタリスト—の方がよほど好ましい。更に、本当に西洋クラシックで良いのか。ギリシャの伝統音楽があるではないか。そして「音楽の治癒効果と社会的有効性」の講義なら、ズームでもできる。

それでもやっぱり、私は心底嬉しかったのです。私の音楽会に新しい見解を見出して下さった人が、スペツェス島の学校教育に新風を吹き込むきっかけが出来た。何かが動いた。夜遅くまで熱血教師たちのキラキラする目を見つめながら、彼らの教育論や現場の現実に耳を傾けました。

音楽を環境運動に活用する!と盛り上がる。

機械学習が主題の学会だったのですが、参加者の専門は計算機科学・材料工学・物理・機械工学などと幅広いものでした。またギリシャの離島という開催地の魅力から家族同伴の参加者が多く、連れ合いや成人した子供には宇宙飛行士・聴覚訓練士(Audiologist)・人文学研究者・ジャーナリストなど、実に様々な専門家がいました。その非常に多様な専門家たちが、私のプレゼンの中で特に共鳴してくれたのが、環境運動に音楽を活用するという提案でした。

今、主な大学は大抵、環境やサステイナビリティ―を謳った部門を立ち上げています。こういう機関の多くが多分野の専門家で一緒に方針や対策を練ろうという姿勢を取る場合が多く、スタンフォード大学でこの5月に設立された新スクールに携わっている方と、気候変動が一般的に問題視されるようになる前の90年代からレーザー光線などで集めたデータを解析する研究で危機感を持っていて、南カリフォルニア大学のサステイナビリティ―の取り組みに長年携わっている方と、協力の可能性についての思索の第一歩をこの学会で始める事が出来ました。思ってもみなかったことでした。嬉しかったので、前に一度上げたビデオをもう一回上げます。

私はこれからピアノや会場の状態は問わずに、機会をもらえればいつでも弾きます。

今回の学会での思いがけない反響を頂いて決めた事。私はこれからは、会場やピアノの状態にこだわらずに、そこにピアノと時間と聴衆があれば、音楽時空を提供します。そしてそういう機会を一つ一つ、未来に紡いでいきます。

歴史の延長線上にある現在にある自分、という実感。

そういう素晴らしい友情交歓の興奮にめくりめく学会の一週間が終わって野の君とアテネ近郊のピレウス港で二泊しました。帰宅したらまた色々予定が詰まっているから...と二人であまり予定を入れずにゆっくりするつもりで、足の向くまま気の向くままフラフラと過ごしました。その時に通りがかったホテル近くのロシア正教会の聖堂から司祭の朗々とした歌い声が聞こえてきたのです。教会に入っていく人たちは頭を垂れて十字を胸元で切りながら粛々と入っていきます。(中を見たい)(でもいかにも観光客が我々が興味本位で入るのは不謹慎なのか)...そんな思いがするような厳かさです。二人で意を決して中に入り、一番後ろの席に小さくなって座ります。入ってくる人は、入り口に飾られている成人の画像に口づけをしたり、ひざまずいたり、ろうそくを買ってお焼香の様に立てたりしています。皆が無言でそういう事をやる中、司祭の単調な歌声はいつまでも続きます。読経よりは抑揚があるけれど、でも雰囲気は似ています。つい数週間前にマウイで参列させて頂いた法要を思い出します。祭壇に張り巡らされた金箔も、マウイのラハイナ浄土院の祭壇を思い出します。(ああ、人間みな兄弟なのだなあ)と思わずこみ上げてきます。

その日の午後、夕飯までの時間つぶしに立ち寄った無名の考古学博物館。警備員の方が観覧者よりも多いがらんどうの中に立ちずさむ世紀前の産物の数々は、我々を過去に静かにタイムスリップさせてくれました。墓石・子供の棺桶と共に埋葬された日常用具のミニチュアの数々・親との今生の別れを惜しみ来世での再会をイメージして彫られた石像・神々の彫像・神殿・鎧兜・食器...

お面ー日本にも全然ありそう!
私が小学生の時紙粘土で創った犬と同じ!
「ドラえもんが居た!」と野の君が大喜びしていた。

石に彫られた肉屋のお品書きは若い女性の警備員さんが読んでくれました。ギリシャ文字は世紀前からほとんど変わっていないそうです。そして手を繋いで観覧する我々をずっと観察していた様子で、ちょっとはにかんだ感じで「...新婚旅行ですか?」( ̄∇ ̄;)ハッハッハ...まあ、そのようなものです。学校に戻って考古学で博士号を取るのが夢だそうです。彼女に幸あれ!

1 thought on “演奏道中記6.17:ギリシャの忘備録”

  1. お疲れ様です。

    ギリシャの夢物語ではなく、真実の紀行文でした。
    逝く人の悲劇を乗り越えた先にギリシャがあったとは。
    それにしても、真の姿を見て、恐懼するばかりです。

    小川久男

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