マウイ島での2日目、日曜日は午前中はラハイナ浄土院での月例の法要に参加させて頂き、午後は地域の音楽学校で演奏会を開きました。両方とも、感動する経験となりました。
ハワイ州の日本人・日系人人口は、ハワイ原住民の子孫よりも数が多く、総人口の23%位。全米日系人の25パーセントがハワイ州在住のようです。(2010年の国勢調査結果出典)19世紀の元祖移民の多くはサトウキビ畑などでの耕地労巧者などで、苦労した人が大半だったのだと思います。今回ラハイナ浄土院での活動に参加させて頂けて、そんな人たちを代々支援して来たハワイ州を始めアメリカ各地に点在するお寺の歴史とその地域貢献に想いを馳せるきっかけとなりました。
長年日本語で行われていたラハイナ浄土院の法要も、日系人の日本語離れや国際結婚の増加、日本人以外の参列者の増加などの理由で英語に代わったそうです。本堂にお邪魔した時に渡して頂いた「Otsutome」と書かれた本は、教会の聖歌集にそっくり。中には漢字のお経と、そのローマ字読み、更に英語での訳がついています。今まで日本で数回参加した経験がある法要で、初めて意味を理解しながら読経に参加できました。「Otsutome」の本と一緒に渡された木魚。両手ですっぽり包めるくらいの小ささで可愛らしい形です。
本堂の祭壇は間違えなく仏教の物ですが、参列者用に用意された椅子は教会の物にそっくり。そして法事はMCが「立ってください」「座ってください」と指示するところもミサみたい。更に、法事の一番最初にみんなで声を合わせて歌った歌は旋律も歌詞も和声進行もまさに聖歌!仏教がアメリカに進出した時現地の参列者が違和感が無いように、英語仏教礼拝の基本を築いた英国人僧、Ernest Kaundinya Shinakaku Huntに作曲したのではないかとの事。納得です。
法事のクライマックスに「Namu Amida Butsu」と何度も何度も繰り返しながら皆で一緒に木魚をポクポクと打つ所がありました。隣を盗み見ると、野の君が前を向いて一生懸命無心でポクポクやっています。でもその目はちょっとキラキラして楽しそう。思わずちょっと笑ってしまいました。皆で一緒のポクポクは5分くらい続いたのでしょうか!これは凄い一体感!トランス状態になります。
その後、お寺の境内の様々な場所で読経とお焼香を上げました。納骨堂・仏像・インドでお釈迦様が悟りを開いたと言われる木から分木されたという由来のある菩提樹などに混じってハワイ原住民をその伝統に従って石を積み重ねて祀った場所でも読経とお焼香を上げました。
そして参列なさった皆さんとお昼ご飯を一緒に頂きました。一週間遅れの母の日のお祝いということで、特別にマウイ島で「ノブのピンクワゴン」という大人気フードトラックを20年も経営されたノブさんのスペシャルランチ!とんかつ、ズッキーニのから揚げ、ジンジャードレッシングのかかった新鮮サラダ、昔懐かしいポテトサラダ、お味噌汁、そして白米。まさに日本の味!アメリカの普通の日本食屋さんよりなぜかずっと懐かしく、本当に美味しい。とんかつもそんじょそこらのとんかつとは違うのです。なんでこんなに美味しく感じるのか?これは旅情か?...真実追及に熱心な私ですから、確かめるために3度もとんかつをお代わりしてしまいました。でも本当に美味しかった!
食べ過ぎてちょっと苦しくなった後は、海岸を少しプラプラ。その後、4時から始まる演奏会の為に、2時に会場入り。ヤマハのベビーグランドが広間中央に置かれた、地域の大きな音楽学校。2時間程、今日の演目や会の流れを頭で構築しながら指を慣らしていきます。私も、いつでもどこでも弾ける十八番が随分溜まりました。全く楽譜も練習もなく弾ける曲が2時間弱くらいかな?
3時45分開場。オンラインでのレッスンを何度かさせて頂いたピアノ愛好家のNさんとは、不思議な初対面。その笑顔から想い入れがいっぱい詰まった演奏をすぐ思い出すけれど、実際には「初めまして」。それが可笑しくて二人で笑い合いながら喜びました。最近マウイに越して来たC君も、新生児とママを連れて来てくれました。諸事情からあまり広報が出来なかったイベントでしたが、びっくりする人数がお越しくださり、嬉しくなって4時からの演奏には色々な思いがこもりました。
この演奏会で感動のハプニングがありました。
「音楽は世界の共通語」を裏付ける脳神経科学などを簡単にご紹介した後、伝統的な日本歌曲とあり得ないほど似通ったメロディーを持つブラームスとシューマンの曲をご紹介しました。「サクラ」に似ているブラームスの作品118-2と、「赤とんぼ」に似ているシューマンの「トロイメライ」です。デモンストレーションをするために「赤とんぼ」を弾き始めた時、最前列でずっと熱心にご拝聴くださっていた私の友人のお母さま、転ばれて歩行が困難になられその為に友人が故郷に戻る決意をしたお母さまが、朗々と心から気持ちよさそうに一生懸命歌い始められたのです。(当然歌うでしょう!)と言わんばかりの堂々とした全身全霊の歌いっぷりでした。それに誘われ日本人の聴衆の声が段々と重なってきました。心と共に目頭も熱くなる瞬間でした。声を合わせて歌われた方の多くはもう半世紀以上在米日本人や日系アメリカ人として、様々な困難を乗り越えていらした方々です。コロナ禍では、水際対策で故郷がにわかに遠くなり、みんな、様々な想いや郷愁を味わってきました。そんな我々が「赤とんぼ」で思いを一緒にしている...そんな一瞬だったのです。歌い終わって思わず隣同士が手を取り合ったり、みんなが笑顔を交歓したり、会場全体が家族になったような残響がありました。
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