演奏道中記5.20:マウイとホノルル食べ歩き。

まず、速報です。
月刊ショパン6月号の特集「暗譜ってカンタン?」の為に依頼されていた記事が5月17日付で発売となりました。題して「暗譜の起源:なぜピアニストは暗譜で演奏するようになったのか。」当初は2頁の記事の依頼でしたが、初稿提出の段階でお勧め頂き、最終的には6つのイラスト入り4頁の記事となりました。

お読みいただければ光栄です。

さて、ハワイに戻って...旅の楽しみの一つが食ですよね。

今回マウイで泊めてもらった友達とはヨガや瞑想や食の健康情報を交換しています。その彼女がほぼ毎日出してくれた朝食が下!

まず現地のパパイヤ。種はわざと少し残してあります。友人によるとパパイヤの種には抗酸化や抗癌作用があり、腸や腎臓を活性化させ、消化を助け、兎に角身体に良いそうなのです。プチプチカリカリして、少し胡椒の様な辛みが意外ですが、美味しい!
マンゴは「サトウキビとパイナップルだけでは将来性が危惧される...」とマンゴを始めた農家の方が試験的にお寺の境内に植えられた歴史あるマンゴの木の初物!香高くて甘かった~!
そして緑のセロリジュース!セロリのみですが意外と甘い!これをマウイ滞在中毎朝飲ませてもらいました。3人分にセロリ一キロ位使ってると思います。コールドプレスをする特殊な機械で圧力でジュースを取り出します。刃物でやると栄養価が壊れるのだそうです。

ホノルル着陸後は、空港からまっすぐハワイの伝統料理を出すレストランに直行!

正午前に到着時、すでに15~20分の待ち時間。お店は全然飾りっけが無く、でも店内は家族連れでにぎわっています。

真ん中の写真の上から時計回りにチキンロングライス。春雨を鶏肉とスープで煮込んであるだけの様に思えますが、これでまず喉が鳴り、(多すぎるか)と迷っていたラウラウも、即追加注文。生玉ねぎにピンクソルトを付けると美味しい。すっきりします。玉ねぎの横にあるのはハウピアーココナッツミルクを甘く固めたもの。ババロアみたい。デザートです。手前は白飯。そして左がピピカルア、豚のリブを焼いたものです。右の写真に見えるのはハワイのキャベツロール、ラウラウ。ただしキャベツの代わりにタロ芋の葉っぱ。そしてここで包んであるのはひき肉ではなく、豚の肉をほぐしたもの。他にもイカや魚なんかを巻いたりするようです。全然媚びず、肉がしっかりどっしりしていますが、柔らかく美味しくて完食!手前はカルアポーク。こちらも豚肉をキャベツと一緒に柔らかく煮込んだもの。本当に優しい味。全体的に色彩には欠けますが、何となくハワイ原住民の生活そのものが感じられるような調理法と味。どの料理にも時間がかけられていて、肉と野菜とそれぞれ柔らかく馴染んでハーモニーを醸し出しています。

アサイボールはすでにアメリカ全土で人気ですが、ハワイ発祥!二泊三日したホノルルで二回食べました!

アサイーと言われるブラジル原産のヤシ科の木になる実は「奇跡の果物」と呼ばれるほど抗酸化作用やアンチ・エイジング作用が強く、スーパーフードの一つに数えられています。果実その物には甘味もなく酸味も少ないのですが、シャーベットの様に凍らせてハチミツなどの甘味料や他のフルーツやグラノラなどと一緒に食べるのがハワイ発祥の朝ごはんアサイボール。このお店ではトッピングにアーモンドバターも乗っていました!
普段は糖分を避けているので私は日常的には、アサイの原料のみを甘くないそのまま凍らせたものを購入し、毎朝のヨーグルトに混ぜて食べています。アサイボールはでも甘すぎず朝ごはんにもデザートでもいつでも美味しい!旅行中の甘えで二日連続で食べてしまいました!

ホノルルでは近所のスーパーのお惣菜も試してみました!

奥に見えるのがハワイ料理のポケをご飯の上に盛った「ポケ丼」。10ドルちょっと。ポケは生魚を海藻や玉ねぎなどと混ぜて漬け込む料理です。スーパーのお総菜コーナーのポケの種類は豊富。我々が選んだのは、マグロを醤油とゴマ油で和えて長ネギのみじん切りや海藻と混ぜ込んだものと、マグロと玉ねぎをピリ辛マヨで和えたものです。両方ともとても美味しい!
骨付き豚肉はグアバソースのバーベキュー。トロトロに柔らかいお肉。列に並んで人たちが皆これを買っていたので。この量で6ドル99セント。
右に見えるのが韓国の野菜料理の盛り合わせ。これも6ドル99セント。
二人で十分に二食分でした。

Okazuya "Chowfundamentals" at St. Louis Delicatessen – Tasty Island
もう一つ食の思い出。ホノルルで泊まったエアビーの近所に、朝7時ごろから行列が出来ているお店があったので興味本位で行ってみたら、古い店構えでテイクアウトオンリー。並んでいる人はいかにもローカル。
メニューを見て仰天。スシ(太巻き)・ムスビ・ナマス・コンブ・テリヤキ・テンプラ...たまに「チャオファン」や「ホットドッグ」などの変わり種もあるけれど、いかにも日本のお総菜屋さん。
皆何食分ものお弁当を抱えて帰っていきます。職場に持って言って同僚に配るのかな?家族用かな?
我々も海苔お握りとお稲荷さんそれぞれ一個と、フライドチキンと野菜のかき揚げ、そしてなますとコンブとお煮しめを頂きました。空港に持って行ってセキュリティーの前に食べたので写真を撮り忘れてしまったのですが、これが何とも懐かしい昭和の味。なますの三杯酢も、昆布の煮つけも、お煮しめも、甘くて、味が濃くて、何と言うか本当に戦後の日本の味、という感じなのです。

そして思い出しました。マウイ最終日、港にひっそりとこんな古い神社を見つけたのです。

左上の写真の説明書きをかいつまんで訳します。「1,880年代に労働者として移住して来た日本人がマウイ島に来た最初のアジア人だった。サトウキビ畑で働くものが多い中、漁師として漁村に住みついた人もいた。祖国の伝統に沿って、漁師の守り神である恵比寿様を祀ったこの神社は日本からの移民が初期に建てた。漁師たちの安全と大漁を願って定期的にお供え物が捧げられた。日本の古い伝統である恵比寿様の為の祭りはその後、漁村で引き継がれいまでも毎年一月に行われている。神主が海で生業を建てるもの全ての安全と繁栄の為に祈祷と歌を捧げる。この祭りで祝福を受けた人は海で亡くなる事は無いと言われている。」

日本の慣れ親しんだ漁村からマウイ島に越してきて、全く勝手が違う海に乗り出して漁をするのはどれだけ怖かったか、と思います。どんなに一生懸命この神社で拝んだことか。でもそういう人たち一人一人が歯を食いしばって頑張ってくれて、例えば今の私や野の君がある。

そして昭和の味のお総菜屋さんも、気が付くと我々のエアビーだけではなく、ワイキキなどの観光地から離れたホノルルの生活臭がする場所の角々に見られ、その多くで多様な人種の人々が行列を出しておムスビやテンプラを買い求めているのでした。こういうお店を創業なさった移民の方々がいかに日米関係に貢献したことか。それはデータ化が難しい極めてミクロでローカルな現象だけれども、そういう事を知らずに政治や学説について読み齧っただけで何かを分かった気になってはいけない、と思いました。

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