今日は、Richard Dyerと言う、元ボストン・グローブの音楽評論で、
最近はクライバーン・コンクールの審査員も務めた人のピアノ研修生の為のクラスが在った。
主に古い録音を聴き比べたり、クライバーンの逸話を聞いたりと、
割とカジュアルなクラスだったが、面白かった。
始めにMr. Dyerは歌と楽器を弾くと言うことの関係について述べ、
例としてホロヴィッツが「どのピアノ教師からよりも多くの事を学んだ」と評する
バリトン、Battistini(19世紀後半から20世紀の始めまでのスーパースター)を聞いた。
お酒が入っているのかと言うような、私たちにはいい加減に聞こえる音程とリズムで、
聴きながら皆で笑いをかみ殺していたが、でも音楽的自由さ、と言うのはよくわかった。
そのあと、Richard Dyerの先輩の音楽評論家、Michael Steinbergが公開レッスンで
楽器奏者たちに詩の朗読をさせ、言葉のリズムと抑揚を演奏に結び付けるよう奨励した話や、
ソフロニツキーのシューベルト・リストの冬の旅の最後の歌の録音を聞かせてくれた。
「最近の若い人は、歌のピアノ独奏用の編曲、例えばワーグナー・リストの「トリスタン」などを弾く場合でも、
歌詞はおろか、ストーリーさえ把握してないんでは、と思われる場合が多い。
それに比べて、昔の人は、歌の編曲で無くても、メロディーの息使いまで伝わってくるような弾き方をする」
と言っていた。
リヒテルはソプラノと結婚していたし、彼女との録音に素晴らしいものが在るそうだ。
コルトーも、演奏キャリアの最初の半分は歌手との共演で成り立っていたらしい。
コルトーの公開レッスンで、生徒にそれぞれの曲を正確な形容詞で描写する能力を厳しく求め、
さらに同じ性格のオペラを熟知して、ピアノで弾けるようにすることを要求し、
それができなかった生徒を叱咤し、変わりにトリスタンの3幕目を朗朗と弾きまくった、
と、Richard Dyer自身が目撃したエピソードも披露してくれた。
他に、ドビュッシーに「バッハを弾かせたら最高」と評された、アメリカ人のピアニスト、
Walter Rummelのバッハも聞いた。
この人はのちにナチスに入れ込み、そのための反感で音楽史から事実上抹殺されてしまったようだが、
タングルウッドのあるマサチューセツ州のStockbridgeと言うところに住み、
ドビュッシーの前奏曲の世界初演や、アメリカ初演を手掛けたそうだ。
バッハはまるでブゾーニ編曲のように、低音にオクターブや和音がたくさんつけ足され、
とてもドラマチックなバッハだったが、感情的にとても訴えるものが在って、
オルガンみたいで面白かった。
それに比べて、ブゾーニの前奏曲とフーガ一番は、透明で、鮮明で、すべてがクリアで、
ブゾーニのバッハ編曲からは想像もつかない、楽譜に忠実な、洗練された演奏だった。
他にランドウスカがピアノで弾いてるモーツァルトのソナタや、
コルトー、Micholowskiのシューマン等を聞いた。
別世界に飛んで行ったような一時だった。