私が苦行の秘儀体験に踏み切った理由は、私を突き動かす使命感を全うするためにもっと大きく自由になりたいと思ったからです。
私は自分の気・言動・音楽をたっぷりとした愛情と哀れみの念から発したいと思っています。でもそれを正直に貫こうと思ったら世間からは常識外れに思える言動や、目障りに思える反骨精神的な「事起こせ主義」に徹する羽目になります。今までもそうだったし、これからもそうでしょう。それで目立ってしまう。そして時には反動的なバッシングや思いがけない注目の対象になってしまう時もあります。そういう過去や、これからの懸念から脱却して、思うままに信じる道を邁進したい。過去のしがらみやトラウマや腐れ縁をを潔く断ち切りたい。飛び立ちたい。飛躍したい。
演奏している時、その域に到達した、と思える時があります。平等院の雲中供養菩薩像の様に、微笑みながら音の雲に乗って時間や肉体や言葉などの全てのしがらみから自由に音楽を発散する事が出来ます。私の理想は毎回の演奏でその域に到達し、持続する事です。私は秘儀体験でそれを願いました。
願いが叶ったのか。はたまた厳しい食事制限や瞑想・睡眠・運動などの生活指導の結果か…分かる術はないけれど、昨日の演奏会で私は確かにいつもよりもずっと自由に音楽に集中して弾くことが出来ました。
前回まではいつもこの会場での演奏はピアノの不完全な調律や、固い音色や、広すぎる会場と高すぎる天上で分散してしまう残響などに囚われてしまうのですが、今回はそれを全て逆手に取って、会場の音の広がりを存分に楽しみ、音楽に集中して楽しんで弾くことが出来たのです。
そしてこれも秘儀体験の後だったスタンフォード大学で行ったワークショップから思いがけぬ反響が。手応えを感じています。
会の終了時に主催者が「感想を掲示板に貼り付けてください」と呼びかけたら、多くが私のワークショップに言及してくれていました。私は気が付いていなかったのですが、主催者がわざわざ写真を撮って私に送ってくれました。
「音楽の参加型セッションで笑みがこぼれました」「マキコの演奏と、素晴らしいワークショップの中で体感した『静寂』の効果」「無音が情報処理に必須だという事」「今日の学会で一番良かったのは『Sound Communication」「教える際に音楽/音と静寂がいかに大切か学んだ」などなど。
更に更に…こういうのも縁とか運命というのでしょうか?急に学部時代の友人から何年かぶりに電話をもらったり、私の一番最初のボーイフレンドが(パリ在住)「ご飯しようよ」(今カリフォルニアに居る事も知らなかった)と電話して来てくれたり...何だか急に色々な事が生き生きと私の人生で動き始めているような感じです。
でもここで調子に乗ってはいけない。まだまだ反省点は沢山あります。これからどうより高く、より大きく域と自分の音楽性を開拓していくか。ワクワクしています。
お疲れ様です。
長年の労苦が実り、名人の域に差し掛かりました。。
音の階調は、無限です。
範とする師匠は、自身にあり。
小川 久男