「売るために不本意な事を書く羽目になったらだめだよね。」
ハッとした。野の君は全く無頓着なようでいて、時々鋭い指摘をする。
出版ということが現実化して来た今、なぜ・誰のために・何を書くのかということを再考しなければいけない。一度、私の本を「商品」と扱うチームと組んで、出版や売り上げをゴールに戦略を練るようになったら、確かになぜ・誰のために・何をかくのか、ということが自分の中で不明確になる可能性が多いにある。
なぜ・誰のために・何を書くのか...
こういう風にきちんと座って考えたことが無いが、今10分ほどスクリーンをにらみつけて考えていて、何度も思い返したシーンが在る。
私は20代半ばだった。あるマネージャーにアプローチされていた。当時の先生が調べてくれると、ルービンシュタインやセゴヴィアを手掛けた経歴がある人だった。「This is an opportunity!(凄いチャンスよ!)」と先生が興奮していた。しかし、私より30年上のこのマネージャーは仕事の話しよりもプライヴェートの話しをしたがり、私が契約や演奏の話しを押しても「それは次のランチで」とかなんとか言って、はぐらかす。その内大げさな花束を送って来たりするようになった。先生に相談しようと思っても、何と言っていいか分からない。近況報告を急かされて口ごもる私に、先生が察してくれた。「Is he coming onto you?」この表現は今でも私は何と訳して良いか良く分からない。「口説かれちゃった?」よりもっと遠回し。その時はもっと分からなかったけれどまあその雰囲気から多分通じたのだろうと思い「Yes」と言ってみた。そしたら先生はちょっと考えて「Play hard to get」とアドヴァイスをした。この表現も今でも全然分からない。まあ「つれないフリをする」という感じかな?
先生を責めるつもりは全くない。私の大事な恩師の一人。カーネギーホールデビューの直前、ホストマザーが「出ていけ!」と切れたことがあった。(後から『抗がん剤を服用中でホルモンバランスが崩れ、感情的になっていた』と謝ってくれた。)私も売り言葉に買い言葉で「それじゃ、出ていってあげましょう」と取り合えずの荷物をまとめて後先考えずに飛び出してしまった。その時最初に電話したのがその先生。「すぐに私の家に来なさい」と言ってくれた。先生のアパートは大きくて、教えるスタジオとは別にもう一つ完全防音の練習室が在った。そこで先生は私に好きなだけ練習させてくれた。そして他の生徒さんを教えながら、時々忍び足で私の練習する部屋に入って来て、お紅茶とか、おやつを置いてくれるのだった。先生の作ってくれたミルクティーはむせるほど沢山ハチミツが入っていて、涙が出そうになった。
単なる師弟関係以上の愛情を持って私を育ててくれた先生が言った「Play hard to get」。瞬間的に凄くジレンマを感じたのだと思う。音楽業界は競争が激しい。チャンスはめったにない。「口説くような輩だったか。残念ね~。ま、次のチャンスを待とう」とは言い切れない。でも「くっついちゃえ!」とも言えない。私のレッスンもしなければいけない。次の生徒も来る。そういう制限の中で、90年代のあの時代の業界の常識と、ご自分の女流ピアニストとしてのご経験と、私への愛情と私のキャリアへの懸念の全てを総動員させた瞬間的な結論が「Play hard to get」だったのだと思う。
私があの時の先生だったら、違うアドヴァイスが出来たか。#MeTooの後なのに、私には何十年も考える時間があったのに、まだ分からない。でも、考える時間の贅沢が私には与えられている。本で書きたいのは、その集大成と言っても良いのかも知れない。
この前読み合いっこをした物書き仲間は愛のムチをビシバシ容赦なくフルってくれた。
指摘された問題点を箇条書きにすると。
- 語り口に一貫性が無い。
- ピアニストとしての体感を現在進行形で書いている語り口
- 過去を振り返って書いている語り口
- 子供として観察・考察する子供時代のマキコの語り口
- 学者として歴史や社会現象や脳神経科学や舞台恐怖症の心理学などの学説を述べる語り口(「これは面白くない!」と言われた)
- テーマが多すぎて、焦点とメッセージがぼけている。カヴァーしているトピックを上げると:
- 舞台恐怖症
- 私の個人的な経験
- 私が試して効果的だった克服のメソッドの数々
- 舞台恐怖症が生態学的に何かを理解する。(体が命の危険と勘違いをしている)
- 場数を踏む(エクスポージャーセラピー)
- 運動をする(瞑想も効果あり!)
- 練習し過ぎない
- 音楽を構造的に理解する
- 「たかが音楽」とわきまえる。
- パワーポーズ(偉そうなフリ)
- 私を舞台恐怖症に至らしめた歴史的背景
- ミクロな個人的な歴史
- セクハラ
- 人種差別
- 反知性主義=勉強よりも練習、
- 自分の感覚と記憶に疑惑を持った子供時代
- マクロな歴史
- 西洋文化に根付く女性蔑視
- 西洋文化に根付く人種差別
- 心身二元論
- 上の全てから来る作曲家の神格化と演奏家の矮小化
- ミクロな個人的な歴史
- 舞台恐怖症
- 苦労話しよりも、成功談をもっと多く書いてくれた方が読み手としては楽しい。
- 成功談も書いています!割合の問題を指摘されたのです。(言い訳)
- 時系列がごちゃごちゃで分かりにくい
- 今の本の構造
- 第一部:
- 第一章:2001年ーハンガリーで演奏中に舞台恐怖症で頓挫。トラウマになる
- 第二章:2001年ー数日後、アメリカの片田舎で演奏。恐怖で吐くが、成功する。
- 第三章:舞台恐怖症の原因①有名vs無名、ピアニストvs貧乏学生、両極端の扱いの中での混乱。
- 第四章:原因②業界の色々な場面で演奏ではなくルックスやセックスアピールを問題にされ幻滅。マネージャーに口説かれる。
- 第五章:ツアー。オケ団員に励まされて毎晩演奏を乗り切り、少しずつ自信がつく
- 第六章:マネージャーとの交渉。毎年ツアーのキャンセルを脅迫される。最終的に自尊心が一番大事と気づく
- 第七章:ツアーで共演した指揮者に音楽の構造について教えてもらい、自分がいかに何も分からないで弾いていたか気づく。
- 第二部:
- 第八章:なぜ私は何も分かっていなかったのか?音楽に於ける反知性主義を私の経験から考察
- ジュリアードでの授業とレッスンと雰囲気:演奏最優先
- 私自身の問題
- 渡米直後で英語が書けない・読めない・聞き取れない。
- それまでのレッスンとは全く違うアプローチや曲目や曲数。
- 我武者羅:考えたり学んだりする余裕がなく、兎に角こなしている状態。
- 西洋音楽の業界や伝統での反知性主義
- オーケストラ奏者の脱個性化・技術重視・指揮者に絶対服従=機械化
- 現代音楽の奏者の扱い=上とほぼ同じく
- 「伴奏者」としてのピアニスト
- 第九章:音楽史に於ける反知性主義と女性蔑視の根源
- 西洋史に於ける男性=知性vs。女性=肉体性の二重構造思想
- 産業革命・『美術』の設立;哲学の分野としての美学の設立などの影響
- カントやカントに続く哲学者が音楽に課した「主観と客観のギャップを超越する抽象美」のプレッシャー
- さらにこの超越がエリート白人男性のみ到達できる状態とされている皮肉。
- 東洋人女性のステレオタイプ:従順・小さい・若い・怖がり・シャイ・
- 私は東洋人女性としては背が高く168センチあるが「小さい」「可愛い」と新聞記事に書かれる例。
- 「小柄・若い・東洋人なのに、なんて西洋音楽を上手に弾きこなすの!」と評される悲しさ
- 第八章:なぜ私は何も分かっていなかったのか?音楽に於ける反知性主義を私の経験から考察
- 第十章:反知性主義を克服するべく博士課程に入学ー婚活を始め、結婚詐欺に引っかかる。
- 友達が彼の過去の犯罪歴などを洗い出してくれる。別れるがストーカー行為の被害にあう。
- ライス大学と日本人コミュニティーが総動員で守ってくれて演奏活動を続けられる。
- DVやストーカー行為を全く怖がっていない自分を発見。舞台恐怖症に比べればなんのその。
- さらに舞台恐怖症も全く無くなっている。実際の命の危険を体験したので架空の命の危険が無くなった!
- 第十一章:過去の被害者などに連絡を取り、ライス大学と日本人コミュニティーの支援を得て、逮捕に漕ぎつける。
- 自分自身がいかに白人男性優勢主義に洗脳されていたか気が付く。
- 人の言動がいかに環境や文化の産物か。
- 結婚詐欺師は法を犯したので黒白がつけやすかったがそれ以外の人間がいかに社会的立ち位置の産物か。
- 神格化されている作曲家、例えばベートーヴェンだって、バッハだって結局そうだ。
- 逮捕に漕ぎつけるまで協力してくれた素晴らしい人々は全て有色人種か女性だった。
- 「愛」「家族」「助け合い」「偉大さ」などに関して自分がいかに間違って認識していたか、思い知る。
- 自分自身がいかに白人男性優勢主義に洗脳されていたか気が付く。
- 第十章:反知性主義を克服するべく博士課程に入学ー婚活を始め、結婚詐欺に引っかかる。
- 第三部:
- 第十二章~第十五章:なぜ私が白人男性優勢主義に洗脳されるのか、個人的なミクロの歴史とマクロの世界史に於ける日本の立ち位置と、日本に於ける西洋音楽の発展と意味。
- この4章は、今回勝ってしまったフェローシップ応募のために全然ページ数が足りなかったので書き足した、付け焼刃です。ただ読み合いっこをした物書き仲間は私の子供時代に非常な興味を持ち、もっと膨らませて最初に持って来いと。更にずっと前から他の物書き仲間たちにも「この間家族はどうしていたの?」「なぜ家族に助けを求めなかったの?」とずっと家族・家族と...私は家族にはできるだけ触れたくないのですが…悩みどころ。
よし、分かった!私が書きたいのは、これだ!!
- 音楽というのは人生に於いて不可避の苦渋を慰めるもの。苦渋その物にになってしまっては本末転倒だ。
- 私は音楽業界のセクハラ文化や人種差別伝統には苦しんだが、元気に大笑いして今あるのは、結局音楽が楽しいからだと思う。
- 人の言動の大方はその人の背景と環境の産物であることが多い。
- だったら認識を持つことで変える事が出来るはず。
- 相互理解を深め「あなたの幸せは私の幸せ・あなたの痛みは私の痛み」を皆が深く受け止めれば色々改善の余地が在るはず。
- 音楽は相互理解と共感を強め、我々が同じ時代と地球を共有する運命共同体であるという認識を強める。
- 「羅生門」と同じように、一つの出来事も視点と語り口と記憶の焦点でどうにも変わる。人間像も歴史も同じく。
- 言葉でこの次元の全てを包括した物語を包括的に一度に語る事は無理だが、それをできるのが音楽なのではないか。
- また、簡略化を強制する物語で排除される「声なき人々」に声を与える可能性を持つのも、音楽なのではないか。
- 私は音楽で声を得た、普通だったら声なき人々に属するアメリカ在住東洋人女性として、この本を通じて物を言う!