洒脱日記195:綴り方教室ー感心した英文を翻訳します。

村上春樹は世界的な超売れっ子小説家になる前は「華麗なるギャツビー」などの古典を多く訳す翻訳家だった。

大ベストセラーになったオンラインマーケティングに関する「Ask」の著者は、「これだ!」と思う著者の本を手書きで写すことでその文体を学んだ、と前書きに書いている。

昨日、啓示を受ける文章を読んだ。今の私が書けるよりもずっと洗練された文章。そして彼女の主張は私の主張に似ているだけでなく、より深く・広く発展されている。一晩考えて、今この記事を訳す事は、私にとって必要な事だと決めた。

エッセーを翻訳した後の感想:ブログ読者の皆さん、この翻訳は読んでいただくには値しません。

自分のために、この記事を熟読するために訳しました。日本語の読みやすさなどは全然考えずに訳しました。読まない方が良いと思います。まず読みにくい。そして長い。そして主題が重く、暗く(自殺未遂・精神病院・母子の泥沼関係など)、更に結論に於いてさえ救いが無い。

でも訳した事で、いくつか非常な開眼が在りました。

①なぜ・何を・誰のために書くのか、明確化してしまうと、正直さに欠けてしまうことがある。

このエッセーは全く著者の主観を貫いているが、だから得られる共感が在る。そしてそういうエッセーをニューヨーカーが出版している!

②私の物書き仲間の感想では、物語性や時系列の整理=要するに読みやすさが足りないと批判されたが、読みやすくないが故に、読者に考えたり投影したりするスペースを与える、ということがあり得る。

このエッセーを読んだ昨日の朝、私は日本人の私が英語で書くということや、どこまで自分がプライヴェートとしてキープしておきたいことを本に入れるべきか、更に思考と感情の折り合いの付け方などを色々と投影して、まるでこのエッセーがその私の疑問を全て晴らしたかの様な気持ちがしました。余りにも感動したので、図書館でこの人の著書を全て予約してしまったほどです。が、今日訳すために熟読してみたら、昨日私が思ったのとは全く違うことが書いてあった!自分の読解力の問題もあるのかも知れませんが、この著者の何とも回りくどい、読みなれない聞きなれない言葉をフンダンに使った哲学調と、実は情けない論点の無さが(あり得ないでしょう!)という希望的観測から、自己投影をしてしまったのだと思います。しかも彼女は色々な賞を取っているかなり有名な作家です。(私は昨日始めて知りましたが。)ということは、私の途中からかなり抽象的になってしまう本も、同じ理由で勘違い読者に非常に受けるかもしれない!

③私がこの人よりずっと明るく、面白楽しい毎日を送れているのは、きっと私が言葉だけでなく、音楽と言う媒体を持っているからだ。音楽万歳!音楽人生万歳!私はきっと物書きオンリーだったらこの人と同じように自殺未遂して精神病院に入っていたかも知れない。そして長い長い(長すぎる)エッセーの結論に「書かない方が良かった」なんて書いちゃったかも。なんて悲惨なんだ!そしてなんて自己中なんだ!そしてなんでこんなエッセーが由緒あるニューヨーカーに掲載になるんだ!?

④この人は1996年に23歳で渡米している。私は1989年に13歳で渡米している。それなのにこの人の方がはるかに英語がうまい。語彙も豊富。(私が見た事も聞いた事ない単語がいっぱい出てきた)う~ん。もっと英語上手くなるぞ!

To Speak is to Blunder:Choosing to Renounce a Mother Tongue. by Yiyun Li

言うが失態:母国語を遮断するという選択。イーユン・リー著

この間夢の中で、私は北京に戻っていて、私の家族の団地の入り口の、隣人組合のおばあさん達が見張り番を務める黒い回転ダイヤル式の公共電話がかつて在った場所にいた。おばあさんたちはいつも好奇心も軽蔑も隠さずに私の会話にそば耳を立て、電話を切ると長電話を咎めてから分数を記録し、料金を計算した。あの頃私は電話をかける時は、両親にその長さを気づかれないよういつも用事を沢山ためこんでから出かけた。お昼代をケチって貯めたお小遣いは電話代と切手と封筒に使った。ヴィクトリア朝文学の登場人物のように、私は誰よりも早く郵便受けをチェックし、友達からの手紙を両親に横取りされない様に気を付けていた。

夢の中で、私は電話の使用をお願いしていた。オフィスから二人のおばあさんが出てきた。私の知っている二人:現実には二人共もう他界している。ダメよ、おばあさん達は言うのだった:もうあのサービスはやってないの、最近は皆携帯を持っているから。こういう哀愁を帯びた過去への一時帰郷は自分の意思の外にある。とりわけ特筆することもない夢だったーおばあさんたちが私に英語で喋っていたこと以外は。

何年も前、私が英語で執筆を始めた時、夫は私にその意味を理解しているか聞いた。彼が尋ねていたのは、実際問題に関してではない。勿論、現実的な懸念事項も沢山あった:出版の可能性の不確かさ;私が渡米してポスドクを取った科学に比べて皆無と言ってよいキャリアの見通し;より厳しくなる移民審査。私と同じく中国から科学研究者として渡米した同級生の多くはNational Interest Waiver(国益特例)で永住権を獲得していた。でも芸術に国益を見出す国はあまりない。

私の夫、コンピュータープログラムを書く夫が尋ねているのは言語そのものについてなのだった。母国語を断念するということが、どういう意味なのか分かっているのか?

ナボコフはもう答え疲れていたのであろうこの質問に、ある時こう答えている:「私の個人的な悲劇、他の誰の懸念事項でもありえない、実際にあってはならない、私の個人的な悲劇は、私にとって一番自然な言語、私の原語を断念せざるを得なかったことです。」しかし悲劇と描写した段階ですでにその現象は個人的なものではない。私情の苦痛は涙と共に洗い流すもの:群がる聴衆が理解と同情を宣告してそれは初めて悲劇と呼ばれる。個人の悲痛は個人のもの;一方悲劇は公衆のもの。

ナボコフの悲哀を想像する度に、私は罪悪感をチクリと感じる。他のあらゆる親密な関係と同じく、母国語と個人の関係は心安らぎ、掛けがえの無い物であると同時に、個人が与えたいと願う以上のもの、あるいは与えられる許容範囲を超えるものを要求してくる。私は、完全に正直になる事を自分に許して敢えて言えば、母国語を捨てたのだった。

2012年の夏と秋、私はカリフォルニアとニューヨークで自殺未遂で一回目は数日間、二回目は3週間、入院した。その数か月間、私の夢はしばしば私を北京に帰した。ビルの上に立っていたこともあるーソヴィエト様式の連なる灰色の団地ビルの一つー別の夢では、見知らぬ界隈をバスに乗ってさまよっている時もあった。目が覚めると、私は夢に出てこなかった場面を描写した:ベランダの下の雀の巣、屋上の有刺鉄線、老人が集まって噂話をする公園、道角の郵便ポストー丸くて、緑で、埃まみれで、半透明な四角いプラスチックの後ろに手書きで郵便収集の時間が書いてある。

なのに私は1996年に23歳で渡米して最初に降り立ったアイオワシティーは、一度も夢に見なかった。第一印象を尋ねられても意味ある答えを何も発掘できない。在住しているカリフォルニアから最近、当時は毎日歩いた近所を訪ねる機会が在った。落ち着いた色に塗られた一階建ての家々が、白い柵に囲まれた庭の後ろにある近所は変わっていなかった。気が付いたのは、中国語でこの風景を他人にも自分自身にさえも描写する事は一度もなかったということ。英語が私の言語となるころにはこの風景は当たり前すぎて描写に値しなくなっていた。一つの言語から次の言語へと私の意識が変換する過程で思い出の空白ができたのだった。

人は良く私の英語で執筆するという決断に関して質問する。一つの言語から次の言語への移行は自然に感じました、と私は答えるけれど、それはなぜ白髪が目立ち始めたのがこの日ではなく別の日だったのかという説明位、意味がない。でも私は本当は知っている:この比喩がうつろなのは、私が事の真相に触れたくないから。確かに、ここに何か不自然なものがあることを、私は直視する事を避けてきた。第二か国語で書くこと自体は、ナボコフもコンラッドもいるし、現代作家にも多く例がある:直感でもっと現実的なキャリアをギブアップしたことも別にそこまで不自然ではない。でも、私の中国語との決別の絶対性は、自殺に値する決意を持って執行した。

ナボコフの喪失の悲劇性は、彼の不運が歴史によって説明可能な事にある。彼の話しー革命によって永久追放の身となったーは人々の公共の話しになった。私の英語での執筆も、他者は私の国の歴史からの逃避と説明したりもする。でもロシア語で出版していたナボコフと違って、私は中国語で執筆した事はない。どちらにしろ、個人的な決断も、社会のレンズを通じて観察されると隠喩に変換する事は不可避だ。(中略)

同世代の在米移民中国人は、私の英語が十分流暢ではないと批判する。私の作品を読んだある同国人は私の語り口が本当の物書きのように豊満でも抒情的でもない、と怒りに満ちたメールで指摘してきた:お前は単純な事を単純な英語で書いているだけだ、恥を知れ。教授ーアメリカ人の物書きーは大学院で、私にとって英語は永遠に外国語なので書くのを諦めるように諭した。言語の所有権に関する彼らの懸念は、ナボコフのいら立ちとは逆に、私を密かに笑わせる。私にとって英語は、別に英語でなくても良かった、たまたまの縁。人の選択は、人の拒絶よりも、絶対性に劣る。

中国を発つ前、私は何年も書き溜めた日記と母に見つからないようにずっと守って来た私宛の手紙を破棄した。破棄しきれない物は、二度と開けることはないけれど密閉してアメリカに持ってきた。私からの手紙も、私の手元にあったら全て破棄したと思う。何度も思い返した私の日々の記録は、私の中国での時間の終焉と共に、耐えがたいものになった。でも母国語での人生を消去したいというこの暴力的な欲求ははかない願いに過ぎない。個人と個人の母国語の関係は、個人とその過去の関係に似ている。物語はいつも自分が開始したいところでは始まらず、終わって欲しいところで終わらない。

人は国境を越えて新しい人間になる。人は原稿を仕上げて登場人物を解き放つ。人は言語を習得する。これらは偽りのこじつけの概念、まるで単調に時間を過ごす事で苦痛を和らげることができると思いこむような、主体性の錯覚。「To kill time(直訳すると『時間を殺す』。『時間潰し』と同意義)」は今でも私を震わせる英語のことわざ:時間は軽薄な物事や目的の無い行動で殺す事が出来る。自殺を、時間を殺す勇気ある行為だと言う人はいない。

2度目の入院中、ニューヨークで、看護学校の生徒さんたちが金曜の夜にビンゴをやりに来た事が在った。若い女性の患者さんに一緒に行ってくれと頼まれた。ビンゴ、私は言った、一生に一度もやったことがない。彼女はちょっと考えてから、彼女も病院でしかやったことがない、と答えた。私に会った時、彼女は8回目の入院中だった:中学校は入院しながら通学した、子供時代は病院の中庭の小さな芝生の上で運動したの、と彼女は窓の外の囲われた小さな緑のエリアを指さした。お父さんが午後によくお見舞いに来て、会話を試みることなくゲームをしているのを私は見守った。もうそこに至るまでに、時間を生き延びる手段としては、全ての言葉が不十分になっていたのだろう、

でも言語は思考を陥れる可能性を含んでいる。人の思考は言葉の奴隷だ。深淵と言うのは絶望が永遠に続くことだとかつて私はおもっちえた:でも時間は、どんなに暗くても、過ぎる。本当の深淵は言葉が流砂のように人を取り巻くときだ:「お前は取るに足りない。何としてでもお前の無意味さを消し去らなければいけない。」人は時間を殺せるが、言語は人を殺せる。

「患者は...愛する人の重荷の様な気がする...と打ち明ける」ずっと後、救急病院のカルテを読んだ。そんなこと言った覚えはない。『愛する人の重荷』:この言い回しは誰かの口移し。こんな文句は私の思考にも発言にもありえない。決まり文句に当てはめられることに抵抗しているのではない。「重荷」には他の人に対する自分の重要性の認識が必要だ:周りの人間を「愛する人」と描写するのは愛する能力を偽る事だ。決まり文句に自己反省を強いられたくない。

(中略)私は9つで、姉は13だった。土曜日の午後、私はアパートにいて、姉はベランダに居た。姉はその年中学校の合唱団に入団して、秋の日光の中で子供時代を終わらせるような声で歌っていた。”Way down upon the Swanee River. Far, far away. That’s where my heart is turning ever; That’s where the old folks stay.”

歌詞は中国語に訳されていた。思い出も中国であるべきだ。でも父さんが植えて育てた葡萄の蔓、後で母さんが怒り狂って引っこ抜いた葡萄の蔓も、朝顔が絡まる竹のフェンスも、溜めこみ癖のある父さんの何年もの収集が半分以上を占拠しているベランダも、英語で描写しなければ思い出せない。姉さんが見えない。彼女の歌い声は聞こえるけれど、歌詞は英語。母さんのはかなさや残忍さを理解しようとも出来るけれど、言語の壁が私の選んだ砦。「知ってる?私が死んだその瞬間に父さんは別の人と結婚するのよ。」母さんは小さな私に何度もささやいた。「知ってる?私は死ねないの、だってあなたを継母と住まわせたくないから。」また別の時、理解を超える怒りを持って、世界で唯一愛する私が彼女に対して十分な感謝を表現しない、だから私は一番酷い死に方をするべきだ、と母さんに言われる。こういう瞬間をー英訳が可能な範疇内でー私は私の登場人物に託した。訳せない思い出は捨てる。訳さない思い出は別の人の物語。

何年も経って、私の脳は中国語を追放した。私は英語で夢を見る。私は英語で独り言を言う。そして思い出ーアメリカの思い出だけでなく中国の思い出;意識的に思い出すものだけでなく、忘れたいものも、全て英語で整理されている。自分の原語の孤児になるのは、重大決心だったし、今でもそうだ。

一つの世界に入場する時ー新しい国;新しい学校;パーティー;親族集会;同窓会;病院ー私たちは新しい言語を適応する。適応のコツは二つの言語を持つ知恵:周りと話す言語と、自分と話す言語。第二か国語を習得するのと同じように公共の言語も習得できる:状況の適格な判断と、それに合わせた言葉と文法、間違えはできるだけ避け、間違えたら失態を謝り学習する。公共言語の流暢さは、第二か国語の流暢さと同じように十分な練習でマスターできる。

この二つの言語の境目は流動的であるべきなのだろう;私にとってはそれは無理。私は書いている時によく、英語が他の人も使う言語だということを忘れる。英語は私のプライヴェートな言語。全ての単語は熟考の上に単語として成立する。私が自分と交わす言葉はーこれは幻想?ー私がいつも欲していた、こうありたいこうあって欲しいと思う会話。

(中略)中国語で上手く書けた時代もあった。学校では私の作文はお手本になった;18歳から19歳まで一年過ごした軍隊では隊長にトイレ掃除か豚小屋掃除か隊長のスピーチを書くの3択で、私はいつもスピーチを選んだ。高校で一度スピーチコンテストが在った。壇上から徴収の多くが私の詩的な嘘に涙するのを見た;私自身も泣いた。私はプロパガンダの書き手として成功できると思った。その考えに戸惑った。若者はいつも自分と世界に正直でありたいと願う。でもその時は考えが及ばなかった:人の思考が完全に公共の言葉に頼ることは可能なのか;公共の言葉のみで的確な思考、正確な記憶、そして本当の感情を感じることはあり得るのか?

(中略)ニューヨークの病院で、赤い靴を履いて廊下に座る老女がいた。ドロシーみたいな気持ちになるの、靴を見せながら彼女は言う、患者用に寄付された物品の中からわざわざ選んだ赤い靴。時々、意識がはっきりしている時、足が痛いけれど脱ぐのが忍びない赤い靴の話しや、肉体に苦痛を脳みそに仮死状態をもたらす彼女が服用する処方箋の話しをした。他の日は、彼女は見えない人々がいる空気に向かってしゃべった。死んだり遠くに行ったりして、彼女を置き去りにした人たちが戻ってきて彼女を嗚咽させた。

この寂しいドロシーの隣に私はよく座った。私のしたことは盗み聞きか?そうかもしれない。でも彼女の言葉は聞こえても手が届かないところにあった。人が公共とプライヴェートの言葉の境目を気にしなくなることがある、というのは怖い。人のする多くの事ー苦しみを避け、幸せを求め、健康を保つーはプライヴェートな言葉を守るためにする事だ。母や母の親戚によると、私の祖母は精神病院に送られてそこで死ぬ前に、見えない人々に喋りかける人になっていたそうだ。無くすものは多い:希望、自由、尊厳。プライヴェートな言葉はでも、死によってしか無くならない。

(中略)第二か国語で書くということは、中立した無関心な言葉を整理し続けるということだ。

第二か国語で思い出すということは、その思い出に境界線が在るということだ。境界線の前の思い出は別人の人生;フィクションと考えても良いのかもしれない。

人はどの言語で感じるのか?感じるのに言語は必要なのか?ニューヨークの病院で、脳と思考のクラスに来てくれ、と頼まれた。二人の医学生が台本に従って私に質問した。医学生の遠慮深さに痺れを切らした教官は、生徒を後ろに追いやってもっと容赦ない、的を得た質問を繰り出した。彼に答えるために私は思考を模索しなければいけなかった。私を見ている彼と彼の生徒らを、私は観察した。感情について聞かれたときは、自分の描写の能力を超えていると答えた。

思考は描写できるのに、なぜ感情は描写できないのですか?教官は聞いた。

答えを見つけるのに一年かかった。第二か国語で感じるのは難しい、でも母国で感じるのは不可能だ。

しばしば、私は書くのは無意味な行為だと思う;読むことも;生きることも。孤独感というのは自分のプライヴェートの言葉で他者と会話をする事の不可能さ。この空虚さは、公共の言葉やロマンチック化された繋がりで埋められてしまう。

(中略)理想を言えば、私は考えることだけに思考を専念させたい。思考が感情にとって代わり、言葉が無い空洞に行かないように走り続ける可能性を私は恐れる。喋れない時に喋るのは失態だ。私は書くことによってーこのエッセーでも他の作品でもー自分のために、そして自分に逆らって喋って来た。慰めは言語を選択した主体性。悲しみは、一言でも喋ってしまった事。

3 thoughts on “洒脱日記195:綴り方教室ー感心した英文を翻訳します。”

  1. お疲れ様です。

    お言葉に甘えまして読みませんでした。
    頭脳不明晰のため村上春樹はいじりすぎの難解で読めません。
    頭の程度は、色の三原色で、単細胞にはこれで十分なのです。

    小川久男

    1. いやいや。
      私の入り組んだブログに毎日コメントをつけて下さるご尽力には脱帽しています。
      いつも、お疲れ様です。
      ありがとうございます。
      真希子

  2. Pingback: 洒脱日記197:王様は裸だ! - "Dr. Pianist" 平田真希子 DMA

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