日本人であること、そして舞台芸術家であることに、圧倒的な誇りを感じる時があります。この芸術の秋は、そういう瞬間に多く恵まれました。
オーガスト・ウィルソン脚本「ピアノ・レッスン(1987)」:劇団「A Noise Within」制作(10月20日)
アフリカ系アメリカ人の視点からアメリカの過酷な現実をとらえ、「演劇の詩人」と謳われたオーガスト・ウィルソンの最初のピュリツァー賞作品「ピアノ・レッスン」は今年ネットフリックスでの映画版が公開されたこともあり、様々な劇場で演出されているようです。私自身はウィルソンの「フェンス」など他の作品を映画で観たことはありましたが、生の上演は初めて。しかも家から徒歩圏内にあるこの「A Noise Within」という劇場は324席のブラックボックス型。観客席とステージの距離が非常に近く、役者さんの汗や息遣いや体温が手に取るような臨場感なのです。
しかし残念ながら今回のこの「ピアノ・レッスン」に関しては、誘ってくれた友人たちや輝かしい評論に恐縮しながら、少し不満が残ったと正直に認めたいと思います。まず、音楽の専門家として「ピアノ・レッスン」と題される劇の音楽の質・量共に疑問を感じたこと。更に、奴隷だった祖先の暗い過去(と呪い?)を背負うアップライトピアノ(いわばこの劇の主人公)自身に脚光が当たる舞台設計・装置や照明・音声・演出の工夫がほしかった。それから、畳みかけるような台詞のやり取りや、長くて重い独白の合間に、言葉や意味の反芻をする『間』が欲しかった。強弱・光と影・高低、すべてに於いてコントラストが足りなかった気がする。
でも私の不満の原因はもしや映画のハイテク音声・照明・編集と生舞台との不公平な比較検討をしているからかもしれない。ネットフリックの「ピアノレッスン」の予告編(2分9秒)をご覧いただければ、いかにこの映画ならではの演出が舞台では不可能だということがお分かりいただけると思います。
グノー作曲「ロミオとジュリエット」:LAオペラ(11月2日)
バッハの緻密な作曲技法に壮大な宇宙観の様な物を感じてうっとりする私は、実はオペラやバレーの音楽は水増しされた感じがしてしまうことが多いのです。そしてグノーという作曲も私が知っているのはバッハの有名な前奏曲1番のアルペジオに「アベマリア」を載せたメロディーのみ。このオペラ鑑賞も、友人に招待されて社会勉強のために行ったのであまり期待はしていなかったのですが…私の期待をはるかに上回る素晴らしい上演でした!まずこの制作の予告編(31秒)をご覧ください。
「えっ、アジア人のロミオ…❣❣❣❓」…そうなのです。この演出では、ロミオ・モンタギュー側の歌手さんの多くがアジア系だっただけではなく、犬猿の仲の両家の仲直りを願って密かにロミオとジュリエットを結婚させる神父の役もアジア系。しかもこのアジア系オペラ歌手の皆さん全員揃って素晴らしい歌い手、そして役者さんたちだったのです!ロミオ役のDuke Kimさんの声の艶と存在感!神父役のWei Wuさんの会場全体を震わせるような低音…
アジア人たちの大舞台が同じアジア人として嬉しかったのが私がこの舞台を楽しんだ一因となったことに加え、あまり上演させることのないこのグノーの「ロミオとジュリエット」はオペラ音楽のファンでは無い私でも、胸が高鳴る素晴らしいコーラスやデュエットのオンパレード。更にフランスオペラでは絶対に欠かせないバレーも舞台の華やかさを盛り上げてきました。(でも、乱闘のシーンで舞台袖から「えっほえっほ…実際に戦うのは我々です!」という感じでダンサーさんたちがジョギングしながら登場してきたときには、緊張感のあるシーンなのに会場がちょっと笑いで包まれました…この日の観客はよく笑う観客でした。ロミオとジュリエットの悲嘆の初夜、ロミオが上半身裸でジュリエットに抱き着くベッドシーンで観客が笑った時は「Duke君に失礼だ!」と私は母性(老婆心?)丸出しでぷんぷんしました。)
久石譲作曲・指揮「ハープ協奏曲」世界初演と「展覧会の絵」:ロサンジェルス交響楽団 (11月15日)
これも私からは絶対に行こうとは思わなかった演目ですが、LAに住む娘を訪ねてボストンから来ていた音楽仲間が「娘の都合が悪くなって…一緒に行かない?」と誘ってくれたので行きました。でも、色々な意味で行って良かった。
まず会場に来ている人たちがいつもとは明らかに違いました。いかにもジブリファンのコスプレの10代・20代・30代。かけている手間暇もピンキリ「そのマントは一体どこでお買い求めに…」級の数時間はかけている特殊ばっちりメークの方々から普通の黒っぽいワンピースに絶対クリスマスツリー用のどでかい赤いリボンを頭に堂々と乗っけた簡潔なコスプレまで。それから、多分普通の交響曲や協奏曲の演目なら絶対来ないカップルが目いっぱいキラキラドレスのお洒落を楽しんで腕を組みながらLAフィルのお土産屋さんに行列していたり…なんか「これから高尚な音楽を心して聞きます」感よりも「楽しもう感」のうきうきが充満していて、(音楽って、演奏会って、交響楽団って何だろう…、何であるべきなんだろう)と考えさせられたのです。
久石譲は、私はジブリスタジオの作曲しか知りませんでしたが、ハープ協奏曲は楽器の使い方や組み合わせに魅せられました。ソロのハープと、オケの中のハープとのやり取りや、オケ・ピアノとパーカッションとハープの音色のコンビで醸し出す新「触(食)感」と言いたいような小気味よい音色。でも「2代のハープと弦楽器のためのアダージオ」と、今回世界初演だった3楽章からなるハープ協奏曲、合わせて30分の新曲で耳も脳もいっぱいになった時、ハープ独奏を行ったEmmanuel Ceysson氏がアンコールで独奏した「あの夏へ」に心が洗われるようなすがすがしさがあったのです。単純だから、アニメだから、流行ったからと言ってバカにはできない、してはいけない、と思いました。
(後日談:上の文章を書いた後、反省も込めて自分で「あの夏へ」を弾いてみました。そして至った結論。馴染みない小難しい料理を次から次へとコースで食べさせられた後にお茶漬けを食べたらほっとするけれど、じゃあお茶漬けを「高級料理」と言えるかというと…疑問!)
HomeCare: 環境問題コンサート: Tonality合唱団、カリフォルニア工科大学主催(11月16日)
Tonalityは環境問題・銃規制・人種差別など社会問題を一つずつテーマとして取り上げて演奏会で問題提示をする合唱団です。2016年創立以来ロサンジェルスに拠点を置いて全米で活躍をしていて、今年晴れてグラミー賞に輝きました。今回は環境問題を取り扱った演目で、カリフォルニア工科大学の主催。テンポ:音楽による環境問題のリーダーや仲間たちもスピーカーとして登壇するということで、私もご招待していただきました。
カリフォルニア工科大学があるパサデナ市を含む第28区を代表する議員、Judy Chu史が開会の演説。出席している人たちもカリフォルニア工科大学関係者が多く、平均年齢もVIP度もちょっと高い感じ。でも壇上の若い声楽家たちの声が一つになって静かに会場を震わせ始めると同時に、緊張がほぐれます。トランプ当選により、これからの環境問題関係者たちは苦戦が強いられることは想像に難くありません。その現実を受け止めながらのファイト精神が会場にゆっくりと浸透していきます。グレタ・トゥーンべリさんが2019年に国連で行ったスピーチ「How Dare You」を歌詞にした曲では、私は涙してしまいました。
AWE and WONDER: 4人の科学者と振付家の対話から生まれた舞踏作品4作:(11月17日)
野の君と、野の君が学生時代からお世話になっているN教授の研究を、振付家のTai君がダンスにするという過程に、私も10月から携わってきていました。科学と芸術をテーマにした企画でしたが、この演目では図らずして『科学側』が日本人、『舞踏側」がアメリカ人となり、日米の歴史も踏まえるために原爆の歴史もストーリーに入れることにしました。映画「オッペンハイマー」も被団協のノーベル平和賞受賞もまだ記憶に新しいこともあったので。
最終的にこんなお話しにまとまりました。「原子と電子の動きを量子力学で理解し、更にスーパーコンピューターによるシミュレーションでこれらの動きを「振りつけ」することで、新しい可能性が広がる。その最初の形体がマンハッタンプロジェクトとオッペンハイマーによる原子爆弾だったことは悲嘆すべき史実だが、これから環境変動に対応して地球に優しい、サステイナブルな技術を開発する上で大きな可能性を秘める量子力学とスーパーコンピューター。選択は我々全員にかかっている。」
私はコンセプトの形成に関わったのみだったので、実際の作品は当日初めて観たのですが、鳥肌が立つパワフルなメッセージになっていました。原爆の悲惨。未来への希望。12分の作品でそのどん底から決意までの波に思いを馳せさせる見事な作品に改めて科学と芸術のコラボの持つ無限大の可能性への勇気をもらいました。
ミュージカル「Pacific Overture (太平洋序曲) 」East West Players制作(11月23日)
East West Playersはアメリカ初のプロのアジア系アメリカ人の劇団として1965年に創立しました。ロサンジェルスのダウンタウンに北米最大の日系アメリカ人数を誇るリトル東京の一部です。「東洋にルーツを持つアーティストの活動の幅を広げ、東洋と西洋の相互理解を深める」ことを目的として始まったこの劇団は今ではアメリカを代表するアジア系劇団となっています。
このEast West Playersが今回主催したのは、スティーブン・ソンドハイムが作曲したミュージカル「太平洋序曲」。ソンドハイムは一世を風靡したミュージカルの天才で、例えばウェストサイド・ストーリーの作詞家としても有名です。1853年の黒船の出現から明治維新・廃刀令くらいまでが、加山栄左衛門(ペリー艦隊との交渉に当たった浦賀奉公)とジョン・万次郎や阿部正弘を始めとする、様々な立場の日本人の視点から語られます。物語の起承転結よりも歴史の複雑さ、視点の多様性、そしてそれを一つの物語にまとめることの不可能性に焦点があたるこの作品。作詞も作曲もアメリカ人が行っているのにも関わらず、文化帝国主義に敏感にアレルギー反応を示す私でも安心して心から楽しめる作品でした。むしろ、黒船の直後に日本に進出してきた英・仏・蘭・露の代表がみんな白い紙で作った天狗のように鼻の長いお面をつけてそれぞれの国のステレオタイプをコメディータッチ丸出しにして出てきて、(逆にいいのかな~?)と大笑いをしながらちょっと後ろめたさを感じるほどでした。更に舞台装置・衣装・振付・照明デザイン・髪・メイク・邦楽・投影イメージなど全ての舞台芸術家がアジア系、あるいは東洋文化を専門的に勉強した方々の渾身の作。演出のために誇張や現代化があったとしても解釈として楽しめるものばかり。特に投影イメージはあっぱれ!舞台という限りある空間に無限な夢の時空を演出する魔法のようなできでした。
何より嬉しかったのは、フィナーレの「Next!」という歌で、近代日本の目覚ましい発展ぶりが次々と紹介され、私は日本愛で心が満タンになってしまったのです。第二経済大国となった1968年から大谷のドジャーズ入団まで、ピカチューや、鬼滅の刃や、草間彌生や、パリオリンピックの新種目ブレーキングで金メダルを獲得したAmiさんや、宮崎駿などなどが、みんな一目で誰だかわかる格好をして舞台狭しとみんなで楽しそうに踊ってるんです。
嬉しかったことの一つには、観客の多くが日本人でもアジア人でもなかったことです。そして私が観る限り桟敷席まで売り切れでした。12月8日までの延長公演も壇上からも発表され、私たち観客も心の底からの拍手を一体となって送りました。嬉しかった。
日本も、舞台芸術も、舞台芸術に携わるみんなも、偉い!人間も人生も、捨てたもんじゃありません!